今夜の東京文化会館は、新しく東京都交響楽団のプリンシパル・コンダクターとなったエリアフ・インバルの就任披露公演で、マーラーの「交響曲第8番千人の交響曲」が壮大なスケールで演奏され、会場が沸いた。
都響とインバル・コンビでの千人の交響曲の演奏は三回目で、これまでもマーラーの交響曲では何度も共演しており珍しい話ではなさそうだが、私にとっては初めての経験であった。
インバルの指揮については、随分前ヨーロッパに居た時、コンセルトヘボー響やロンドン響、フィルハーモニア響等の定期会員であった頃に、客演指揮者として聞いていた可能性があるが記憶にはない。
しかし、今夜の素晴らしいマーラーに感激して、これからの都響が楽しみになって来た。
ところで、この交響曲はCDは持っているがまだ演奏会では聴いたことがなく、やっと、ロンドンで、今は亡きジュゼッペ・シノーポリが、フィルハーモニアを振るという事で期待をしていたのだが、帰国せざるを得なくなって断念した苦い経験がある。ヨーロッパでも、それほど、演奏される機会がなかったような気がする。
千人と言うのは、マーラー指揮で初演された時に、1030人の出演者で演奏され興行主が千人の交響曲と銘打ったらしいのだが、ソリスト8人と大編成のオーケストラと混声2組と児童合唱団で構成されるのだから何百人の出演者となる。
今回の東京文化会館の都響のステージも、晋友会合唱団とNHK児童合唱団が幾重にも舞台後方を取り囲み、客席にも演奏者が配置されると言う大変な規模でのコンサートであった。
この交響曲だが、ベートーヴェンが第9番「合唱つき」で交響曲に人間の声を加えると言うタブーを破ってから、マーラーは、「大地の歌」などで追随しているが、この曲は、謂わば壮大なオラトリオかカンタータと言った調子の交響曲である。
本人自身が言っているが、「大宇宙が響き渡る様を想像して欲しい。もはや人間の声ではなく、運行する惑星であり太陽である。」と言うことで、これまでの交響曲は、総てこの序曲に過ぎないとまで言う途轍もない意気込みとスケールの作品なのである。
2部構成で、第一部は中世のラテン語の精霊賛歌の詞を、第二部はゲーテのファウスト第二部の終景をテキストにしているので、前後で雰囲気が随分違っている。
第一部は、ヴェルディのレクイエムも度肝を抜かすようなすごい迫力の壮大な宗教曲だが、第二部は、カンタータ風だけれど、マーラーの意図が、ファウストを下敷きにしたエロスの誕生賛歌であったから、実に美しい音楽が流れるなど私見だがオペラを聴いているような感じがした。
途中のハープを伴った甘美な主題がヴァイオリンで奏される部分などマーラーの音楽でも最も美しい曲だと思うし、高みから聞えてくるグレートヒェンの歌声など天国からの音楽のようで感激的であった。
しかし、マーラーの終曲に向かってぐいぐい上り詰めて行く圧倒的な高揚感は抜群である。
72歳のインバルが、終曲に向かうと右向きに方向を代えて客席上部を見上げて少し客席側に顔を向けてタクトを振るので表情が見えるのだが、緊張と興奮で上気した顔に鬼気迫る気迫が漲っていて感動的でさえあった。
私には音楽的な素養や知識が不足しているので、これまでの特に実演での多くの音楽鑑賞経験を経た勘と印象だけで直感的にコンサートの良し悪しを判断することしか出来ないのだが、今回は、ソリストも合唱団も日本屈指のプロ歌手と演奏集団であり、それに名にし負う都響をフル展開して、最良のものをマーラーの権威とも言うべきインバルが引き出したのであるから、本当に素晴らしい感動的な千人の交響曲を聴く事が出来て幸せであった。
こう言う時は、上野の喫茶店で飲んでも、UCCのクリスタルマウンテンの珈琲も美味しいのである。
(追記)写真は、都響ホームページから借用。
都響とインバル・コンビでの千人の交響曲の演奏は三回目で、これまでもマーラーの交響曲では何度も共演しており珍しい話ではなさそうだが、私にとっては初めての経験であった。
インバルの指揮については、随分前ヨーロッパに居た時、コンセルトヘボー響やロンドン響、フィルハーモニア響等の定期会員であった頃に、客演指揮者として聞いていた可能性があるが記憶にはない。
しかし、今夜の素晴らしいマーラーに感激して、これからの都響が楽しみになって来た。
ところで、この交響曲はCDは持っているがまだ演奏会では聴いたことがなく、やっと、ロンドンで、今は亡きジュゼッペ・シノーポリが、フィルハーモニアを振るという事で期待をしていたのだが、帰国せざるを得なくなって断念した苦い経験がある。ヨーロッパでも、それほど、演奏される機会がなかったような気がする。
千人と言うのは、マーラー指揮で初演された時に、1030人の出演者で演奏され興行主が千人の交響曲と銘打ったらしいのだが、ソリスト8人と大編成のオーケストラと混声2組と児童合唱団で構成されるのだから何百人の出演者となる。
今回の東京文化会館の都響のステージも、晋友会合唱団とNHK児童合唱団が幾重にも舞台後方を取り囲み、客席にも演奏者が配置されると言う大変な規模でのコンサートであった。
この交響曲だが、ベートーヴェンが第9番「合唱つき」で交響曲に人間の声を加えると言うタブーを破ってから、マーラーは、「大地の歌」などで追随しているが、この曲は、謂わば壮大なオラトリオかカンタータと言った調子の交響曲である。
本人自身が言っているが、「大宇宙が響き渡る様を想像して欲しい。もはや人間の声ではなく、運行する惑星であり太陽である。」と言うことで、これまでの交響曲は、総てこの序曲に過ぎないとまで言う途轍もない意気込みとスケールの作品なのである。
2部構成で、第一部は中世のラテン語の精霊賛歌の詞を、第二部はゲーテのファウスト第二部の終景をテキストにしているので、前後で雰囲気が随分違っている。
第一部は、ヴェルディのレクイエムも度肝を抜かすようなすごい迫力の壮大な宗教曲だが、第二部は、カンタータ風だけれど、マーラーの意図が、ファウストを下敷きにしたエロスの誕生賛歌であったから、実に美しい音楽が流れるなど私見だがオペラを聴いているような感じがした。
途中のハープを伴った甘美な主題がヴァイオリンで奏される部分などマーラーの音楽でも最も美しい曲だと思うし、高みから聞えてくるグレートヒェンの歌声など天国からの音楽のようで感激的であった。
しかし、マーラーの終曲に向かってぐいぐい上り詰めて行く圧倒的な高揚感は抜群である。
72歳のインバルが、終曲に向かうと右向きに方向を代えて客席上部を見上げて少し客席側に顔を向けてタクトを振るので表情が見えるのだが、緊張と興奮で上気した顔に鬼気迫る気迫が漲っていて感動的でさえあった。
私には音楽的な素養や知識が不足しているので、これまでの特に実演での多くの音楽鑑賞経験を経た勘と印象だけで直感的にコンサートの良し悪しを判断することしか出来ないのだが、今回は、ソリストも合唱団も日本屈指のプロ歌手と演奏集団であり、それに名にし負う都響をフル展開して、最良のものをマーラーの権威とも言うべきインバルが引き出したのであるから、本当に素晴らしい感動的な千人の交響曲を聴く事が出来て幸せであった。
こう言う時は、上野の喫茶店で飲んでも、UCCのクリスタルマウンテンの珈琲も美味しいのである。
(追記)写真は、都響ホームページから借用。