中国やインドなどの低賃金国で生産される安いモノやサービスが、世界経済を潤している。
同時に、これらの新興国の台頭により、中国人やインド人科学者が増加して、科学的な発明発見を生み出すコストもどんどん下がってきているが、この現象は、アメリカにとっては、非常に喜ばしいことである。
いくら科学的発明や発見を行っても、これの国々では、このような科学的業績を実用化乃至企業化する能力がないので、ものづくりと同じ様に、科学的発明や発見を海外に安くアウトソーシングして、それを活用してアメリカで果実化すれば非常に安上がりにイノベーションを行える筈である。
こんな記事が、最近のニューヨーク・タイムズに掲載されていた。(How Scientific Gains Abroad Pay Off in the U.S.)
ジョージ メイソン大学クリストファー・ヒル教授によると、
「生産デザイン、マーケティング、ファイナンス等世界的に傑出した実力を誇るアメリカのイノベーターは、海外での科学的ノウハウを活用・転換することによって市場化して利益を叩きだす有史以来の絶好のチャンスを持つことになった。」と言うことになる。
このポスト・サイエンス社会への移行は、アメリカの新製品やサービスを生み出そうとする企業家達にとって予期しないボーナスとなるとまで言っている。
この説は、「アメリカは、自国で十分な科学者を教育することに失敗したので、この不足が、アメリカの国際競争力を著しく削ぐことになる。」と言われていた通説に対する反論として、昨秋ナショナル・アカデミー・オブ・サイエンスに掲載された。
その後、どんどん、この意見に賛成する同調者が出てきている。
科学的グローバリゼーションに対しても、モノと同じ様にアウトソーシングして、公式やアイデアから実験・試験に至るまでの科学的製品を生み出せば良く、新興国の安い科学者の生み出した発明・発見の果実だけを頂く努力をしさえすれば良いと言うのである。
尤も、科学的知識は、子供の玩具や電気モーターのようなモノではないので、中国やインドのカタログから科学を買えば良いと言った時代は来ないであろうから、
アメリカ企業は、外国の科学的情報や知識を買って、自分達のラボで活用する為には、それらが役に立つのかどうかを目利き出来る高度な科学者達を、高給で雇って自分たちで保有しておかなければならなくなるであろうと、アリゾナ州立大のダニエル・サレウィッツ氏は言う。
アメリカが、世界最高の科学者を選択し保有し続けるホームであり続ける必要があり、一方、企業の方は、世界的な活躍を望む新興国の科学者達と激しい交渉に明け暮れることになるであろうと言うことである。
科学的な発明・発見とは関係なく、何故アメリカが優位を保つことが出来るのかは、基礎科学と商業化されるイノベーションとの間に大きなギャップがあるからである。
科学を商業化することが如何に難しいかと言うことであって、いくら中国やインドの科学者が増加しても、自分達の発明・発見の科学的果実を、実際のビジネスでの成功に結びつけることは容易には出来ないからである。
ニュヨーク・タイムズの記事は、デジタル・ストレージのシーゲート・テクノロジーが、国家の補助金を得て育成されているシンガポールの技術者を使って安上がりで製品開発を進めているとレポートしている。
また、昨年、巨大磁気抵抗効果でノーベル賞の物理学賞を得たアルベール・フェール(仏)やペーター・グリュンベルグ(独)の発明も、本国では商業化には何のインパクトも与えなかったが、シーゲートは、科学的論文や会議などで情報を得て、ヨーロッパ政府の資金提供を受けて実用化したのだが、それは、シーゲートの技術者達は、ノーベル賞学者とは違った材料で、違った温度で実現したと言う。
外国の科学者達が、自分達の創造的な仕事の手助けをしてくれている、と言うのがシーゲートのマーク・リー副社長の言である。
ここで重要なポイントは、科学的発見・発明をイノベーションとして商業化することが如何に難しいことか、そして、商業化するためには、企業の能力や努力だけではなく経済社会体制等制度的な成熟が如何に大切か、と言うことであって、経済社会の知識情報産業化、そしてそのソフト化高度化において、アメリカがはるかに群を抜いている事実がこのことを如実に物語っている。
しかし、ヒル教授が指摘するように、ポスト・サイエンス社会構想が、イノベーターにとって本当に意味のある正しい方法であるのかどうか、アメリカの優位を維持し続ける妙手であり続けるのであろうか、については私自身疑問に感じている。
問題の指摘だけに止めるが、スタンフォード・グループのレポートにも記述されていたように、製造業等アメリカ産業のアウトソーシング、オフショアリング等への過度な移行によって、中長期的なアメリカ産業の競争力低下が危惧されているように、科学技術の分野においても、同じ様な問題が生じることは必定だからである。
科学技術やものづくりを軽視して、自分だけ頂点に立って、世界経済の采配を振って果実のみを追求し続けるなどと言った論理が永続する筈はない。
(追記)椿は、天賜(てんし)。
同時に、これらの新興国の台頭により、中国人やインド人科学者が増加して、科学的な発明発見を生み出すコストもどんどん下がってきているが、この現象は、アメリカにとっては、非常に喜ばしいことである。
いくら科学的発明や発見を行っても、これの国々では、このような科学的業績を実用化乃至企業化する能力がないので、ものづくりと同じ様に、科学的発明や発見を海外に安くアウトソーシングして、それを活用してアメリカで果実化すれば非常に安上がりにイノベーションを行える筈である。
こんな記事が、最近のニューヨーク・タイムズに掲載されていた。(How Scientific Gains Abroad Pay Off in the U.S.)
ジョージ メイソン大学クリストファー・ヒル教授によると、
「生産デザイン、マーケティング、ファイナンス等世界的に傑出した実力を誇るアメリカのイノベーターは、海外での科学的ノウハウを活用・転換することによって市場化して利益を叩きだす有史以来の絶好のチャンスを持つことになった。」と言うことになる。
このポスト・サイエンス社会への移行は、アメリカの新製品やサービスを生み出そうとする企業家達にとって予期しないボーナスとなるとまで言っている。
この説は、「アメリカは、自国で十分な科学者を教育することに失敗したので、この不足が、アメリカの国際競争力を著しく削ぐことになる。」と言われていた通説に対する反論として、昨秋ナショナル・アカデミー・オブ・サイエンスに掲載された。
その後、どんどん、この意見に賛成する同調者が出てきている。
科学的グローバリゼーションに対しても、モノと同じ様にアウトソーシングして、公式やアイデアから実験・試験に至るまでの科学的製品を生み出せば良く、新興国の安い科学者の生み出した発明・発見の果実だけを頂く努力をしさえすれば良いと言うのである。
尤も、科学的知識は、子供の玩具や電気モーターのようなモノではないので、中国やインドのカタログから科学を買えば良いと言った時代は来ないであろうから、
アメリカ企業は、外国の科学的情報や知識を買って、自分達のラボで活用する為には、それらが役に立つのかどうかを目利き出来る高度な科学者達を、高給で雇って自分たちで保有しておかなければならなくなるであろうと、アリゾナ州立大のダニエル・サレウィッツ氏は言う。
アメリカが、世界最高の科学者を選択し保有し続けるホームであり続ける必要があり、一方、企業の方は、世界的な活躍を望む新興国の科学者達と激しい交渉に明け暮れることになるであろうと言うことである。
科学的な発明・発見とは関係なく、何故アメリカが優位を保つことが出来るのかは、基礎科学と商業化されるイノベーションとの間に大きなギャップがあるからである。
科学を商業化することが如何に難しいかと言うことであって、いくら中国やインドの科学者が増加しても、自分達の発明・発見の科学的果実を、実際のビジネスでの成功に結びつけることは容易には出来ないからである。
ニュヨーク・タイムズの記事は、デジタル・ストレージのシーゲート・テクノロジーが、国家の補助金を得て育成されているシンガポールの技術者を使って安上がりで製品開発を進めているとレポートしている。
また、昨年、巨大磁気抵抗効果でノーベル賞の物理学賞を得たアルベール・フェール(仏)やペーター・グリュンベルグ(独)の発明も、本国では商業化には何のインパクトも与えなかったが、シーゲートは、科学的論文や会議などで情報を得て、ヨーロッパ政府の資金提供を受けて実用化したのだが、それは、シーゲートの技術者達は、ノーベル賞学者とは違った材料で、違った温度で実現したと言う。
外国の科学者達が、自分達の創造的な仕事の手助けをしてくれている、と言うのがシーゲートのマーク・リー副社長の言である。
ここで重要なポイントは、科学的発見・発明をイノベーションとして商業化することが如何に難しいことか、そして、商業化するためには、企業の能力や努力だけではなく経済社会体制等制度的な成熟が如何に大切か、と言うことであって、経済社会の知識情報産業化、そしてそのソフト化高度化において、アメリカがはるかに群を抜いている事実がこのことを如実に物語っている。
しかし、ヒル教授が指摘するように、ポスト・サイエンス社会構想が、イノベーターにとって本当に意味のある正しい方法であるのかどうか、アメリカの優位を維持し続ける妙手であり続けるのであろうか、については私自身疑問に感じている。
問題の指摘だけに止めるが、スタンフォード・グループのレポートにも記述されていたように、製造業等アメリカ産業のアウトソーシング、オフショアリング等への過度な移行によって、中長期的なアメリカ産業の競争力低下が危惧されているように、科学技術の分野においても、同じ様な問題が生じることは必定だからである。
科学技術やものづくりを軽視して、自分だけ頂点に立って、世界経済の采配を振って果実のみを追求し続けるなどと言った論理が永続する筈はない。
(追記)椿は、天賜(てんし)。