松屋で開催されていた日展の日本画部の春季展「日春展」を見に出かけた。
目的は、知り合いの女流画家時田麻弥さんの猫の絵を拝見する為であったが、絵画鑑賞は私の趣味でもあるので、比較的空いていて静かな明るい会場であった所為もあり、じっくり見せて頂いた。
洋画と違って日本画は、どうしても歴史と伝統があって固定観念が強いのか、紋切り型の作品が多くて、特に、委員や会員と言った重鎮や幹部画家にその嫌いが強く、ハッとするような斬新な絵は、一般の応募者の入選作品の方に多い感じがした。
日本画と洋画の差が、技法や様式、或いは、オイル、墨や岩絵具と言った画材等の差にあるとしても、私には、最近では、画家の描こうとする主題やモチーフなどは、殆ど錯綜していて、作品によっては区別がつかなくなって来たような気がしている。
私の場合には、欧米の有名な美術館で、美術のテキストに出てくるような洋画を見ることが多くて、日本画は、どうしても昔京都や奈良の古社寺を歩いて見た襖絵や屏風などの印象が強いので、コントラストが激しくて解釈に困ったのだが、最近、あっちこっちの地方の美術館や日本の絵画展で日本画の素晴らしい絵画を鑑賞しながら、やはり、山紫水明で季の移り変わりによって微妙に変化する日本の自然や風物などを描写した日本画に感興をそそられることが多くなってきた。
歳の所為かも知れない。
ところで、時田麻弥さんの猫の絵は、最近、連続して描き続けている一匹の母猫と二匹の子猫の群像(口絵写真は今回の日春展の入賞作品)である。
暗いトーンで統一した画法は相変わらずだが、今回は、バックの赤紫の色調がやや明るさを増した分、画面全体に動きが出ている。
題が「瞳輝いて」だが、時田さんの絵は、いわば、猫の肖像画と言った雰囲気で、実に丁寧に描かれているだけではなく、夫々の猫の個性と言うか、猫性が巧みに描かれていて、その中でも、目が口ほどにものを言っている。
3匹の猫の目の表情は、同じ様に輝いていても、全く描写の仕方も違えば表情も違っていて、特に、正面前方に鎮座した母猫の目が印象的で、実に端正で気品があり威厳さえ感じさせているが、後方中央のもじゃもじゃとして顎鬚を蓄えた子猫はどこかヒョウキンでおっとりしているかと思えば、後方の黒っぽい横向きの子猫は野性的で目の輝きが動物的である。
実際にこのように猫が並んで座ることはないであろう。従って、これは、時田さんの3匹揃っての目の輝きのコンポジションなのであろうが、人格を持った猫のように描かれているので、何か、自分の心を猫に見透かされているようで、一寸たじろいでしまう。
猫の群像の中に、花が鏤められている。
矢車草のようた形をした菊(?)の花が、母猫の目の輝きに呼応して線香花火の連続のように上に舞い上がっており、右端中央の蘭の花には一匹のカマキリが止まっており、母猫の右背後に大輪の菊花が描かれているが、時田さんの心象風景の表現であろうか。
四季折々の花々、それに、一匹の昆虫が、猫たちへの思いを一番身近に増幅させてくれる客体となるのだと思うが、描写は、実に繊細である。
これらの植物は、緑や赤や黄色に幽かに色づけされてはいるが、殆ど、色彩はかき消されていて、ダークブラウン基調の猫の色彩と同化していて、あくまで脇役で主張することはない。
この日、大丸東京店で、「写真とは何か 20世紀の巨匠展」で、マン・レイやロバート・キャパ、ユージン・スミス等の素晴らしいモノクロ写真の世界を鑑賞して来た。
時田さんの場合、いくらでも、美しい色彩を使って綺麗で印象的な絵を描くことは出来るであろうが、、この殆どモノクロの世界に近い、色彩を抑えた絵画でないと、時田さんの限りなき猫たちへの思い入れを表現出来ないのであろうと思った。
先に猫の肖像画と言う表現をしたが、これら20世紀の巨匠達のモノクロ写真の人物写真を見ながらそんな気がしたのである。
ところで、この日春展には、何点か猫を描いた絵画が展示されていた。
「仔猫」は、黄色っぽい黄土色のバスケットの中に10匹の仔猫が思い思いの形でいる表情を描いた絵で、
「あそぶ」は、洋風の庭園の高い花台の上にいるネズミを柱に伸び上がって捕まえようとする猫を描いた絵で、
「猫とマフラー」は、黒いマフラーをした若い女性が後ろ向きに伸び上がった猫を横抱きにした絵で、
「シロとクロ」は、白猫と黒猫を正面から描いた絵で、夫々、それなりに面白かったし、
他にも画面に猫が描かれた絵があったが、しかし、猫の個性と猫の鳴き声まで聞えそうな臨場感と猫との対話を感じさせてくれる絵は、時田さんの「瞳輝いて」しかなかったと思っている。
目的は、知り合いの女流画家時田麻弥さんの猫の絵を拝見する為であったが、絵画鑑賞は私の趣味でもあるので、比較的空いていて静かな明るい会場であった所為もあり、じっくり見せて頂いた。
洋画と違って日本画は、どうしても歴史と伝統があって固定観念が強いのか、紋切り型の作品が多くて、特に、委員や会員と言った重鎮や幹部画家にその嫌いが強く、ハッとするような斬新な絵は、一般の応募者の入選作品の方に多い感じがした。
日本画と洋画の差が、技法や様式、或いは、オイル、墨や岩絵具と言った画材等の差にあるとしても、私には、最近では、画家の描こうとする主題やモチーフなどは、殆ど錯綜していて、作品によっては区別がつかなくなって来たような気がしている。
私の場合には、欧米の有名な美術館で、美術のテキストに出てくるような洋画を見ることが多くて、日本画は、どうしても昔京都や奈良の古社寺を歩いて見た襖絵や屏風などの印象が強いので、コントラストが激しくて解釈に困ったのだが、最近、あっちこっちの地方の美術館や日本の絵画展で日本画の素晴らしい絵画を鑑賞しながら、やはり、山紫水明で季の移り変わりによって微妙に変化する日本の自然や風物などを描写した日本画に感興をそそられることが多くなってきた。
歳の所為かも知れない。
ところで、時田麻弥さんの猫の絵は、最近、連続して描き続けている一匹の母猫と二匹の子猫の群像(口絵写真は今回の日春展の入賞作品)である。
暗いトーンで統一した画法は相変わらずだが、今回は、バックの赤紫の色調がやや明るさを増した分、画面全体に動きが出ている。
題が「瞳輝いて」だが、時田さんの絵は、いわば、猫の肖像画と言った雰囲気で、実に丁寧に描かれているだけではなく、夫々の猫の個性と言うか、猫性が巧みに描かれていて、その中でも、目が口ほどにものを言っている。
3匹の猫の目の表情は、同じ様に輝いていても、全く描写の仕方も違えば表情も違っていて、特に、正面前方に鎮座した母猫の目が印象的で、実に端正で気品があり威厳さえ感じさせているが、後方中央のもじゃもじゃとして顎鬚を蓄えた子猫はどこかヒョウキンでおっとりしているかと思えば、後方の黒っぽい横向きの子猫は野性的で目の輝きが動物的である。
実際にこのように猫が並んで座ることはないであろう。従って、これは、時田さんの3匹揃っての目の輝きのコンポジションなのであろうが、人格を持った猫のように描かれているので、何か、自分の心を猫に見透かされているようで、一寸たじろいでしまう。
猫の群像の中に、花が鏤められている。
矢車草のようた形をした菊(?)の花が、母猫の目の輝きに呼応して線香花火の連続のように上に舞い上がっており、右端中央の蘭の花には一匹のカマキリが止まっており、母猫の右背後に大輪の菊花が描かれているが、時田さんの心象風景の表現であろうか。
四季折々の花々、それに、一匹の昆虫が、猫たちへの思いを一番身近に増幅させてくれる客体となるのだと思うが、描写は、実に繊細である。
これらの植物は、緑や赤や黄色に幽かに色づけされてはいるが、殆ど、色彩はかき消されていて、ダークブラウン基調の猫の色彩と同化していて、あくまで脇役で主張することはない。
この日、大丸東京店で、「写真とは何か 20世紀の巨匠展」で、マン・レイやロバート・キャパ、ユージン・スミス等の素晴らしいモノクロ写真の世界を鑑賞して来た。
時田さんの場合、いくらでも、美しい色彩を使って綺麗で印象的な絵を描くことは出来るであろうが、、この殆どモノクロの世界に近い、色彩を抑えた絵画でないと、時田さんの限りなき猫たちへの思い入れを表現出来ないのであろうと思った。
先に猫の肖像画と言う表現をしたが、これら20世紀の巨匠達のモノクロ写真の人物写真を見ながらそんな気がしたのである。
ところで、この日春展には、何点か猫を描いた絵画が展示されていた。
「仔猫」は、黄色っぽい黄土色のバスケットの中に10匹の仔猫が思い思いの形でいる表情を描いた絵で、
「あそぶ」は、洋風の庭園の高い花台の上にいるネズミを柱に伸び上がって捕まえようとする猫を描いた絵で、
「猫とマフラー」は、黒いマフラーをした若い女性が後ろ向きに伸び上がった猫を横抱きにした絵で、
「シロとクロ」は、白猫と黒猫を正面から描いた絵で、夫々、それなりに面白かったし、
他にも画面に猫が描かれた絵があったが、しかし、猫の個性と猫の鳴き声まで聞えそうな臨場感と猫との対話を感じさせてくれる絵は、時田さんの「瞳輝いて」しかなかったと思っている。