最近、若い男性が、草食系になって女の子を、猛獣のように積極的にアタックしなくなったと言われている。
私が、若かった頃はどうだったかと言うことだが、やはり、お互いの気持ちが痛いほど分かっていても、好きな女性に、話すことさえままならず好きだと言えずに涙を呑んだと言うのが殆どではなかったかと思うと、何が草食系で、何が動物系なのか、判断は難しい。
さて、このタイトルの「草食動物型文明」へ向かうべきだと提唱するのは、青柳正規東大名誉教授で、「植物型文明」とも言い換えているが、このままでは、地球が破滅してしまうので、もっと穏やかに、地球になるべく負担をかけないようにやって行こうと言うのである。
動物型から植物方に転換するのは、どうすれば良いのか。それは、「心地よい停滞」を受け入れることだと言う。
日本のバブルが崩壊した1990年代以降、経済学者たちは、一様に「日本は停滞期に入った」と言うのだが、成長は鈍化したが、依然世界第二位(?)の経済大国であり、あまり変化を好まず平穏に暮らしたい人にとっては、この状態は決して悪いことではなく、「停滞期」と言うからこのままではいけないと力み返るのことになるのであって、「安定期」と言えば良いのであると説く。
(この議論は、現在の境遇に満足していて、このままの生活が続いても良いと思っている定職もあり財産もある比較的恵まれた境遇にある人の考え方で、今日のような疲弊して苦境に立った経済社会情勢では、経済的弱者が、最も経済社会の軋みをモロに受けて、その皺寄せに呻吟するなど経済社会現象の捩れをを知らない独り善がりの議論でもあるのだが、ここでは深入りしない。)
現代人は成長の呪縛から中々逃れられず、経済分野は結果や予測が数値化されやすく、説得力も持つのだが、数値化されないところに、重要なものが隠れており、気分で左右されない、本当の満足度を追及することが必要である。
このまま、進歩、成長、拡大、イノベーションと言った、いわば肉食動物型文明の原理をあたりまえのものとして継続して行けば、その先に待っているものは破滅であり、気分を変えるためにも、穏やかな植物型文明にシフトして、「心地よい停滞」を抵抗なく受け入れるようになった時には、新しい繁栄の形が見えてくるような気がする。と仰るのである。
「心地よい停滞」を是とするには、経済成長がゼロないしマイナスでもどうにかやって行ける社会的な仕組みを作り直さなければならない。
経済が縮小傾向に入っても、質の向上と満足度の増大を、数値化できない時には、言葉で、様々なメディアを通して訴え、多くの人々の合意を形成することが大切である。と主張する。
現在の経済学では、特に、良くても悪くても何でもかんでも、マネタリータームで取引されれば国民所得統計に計上されて、経済成長や経済水準を図る指標として使われているGDPが、次善ではあるが幾分欺瞞的な概念であることは、何度も問題となり俎上に上がって論議されてきたことで、このブログでも、人間の幸福や満足の視点から、経済学のあり方などについて論じてきており、本題ではないので今回は端折る。
しかし、この経済成長をゼロないしマイナス状態で、国民生活の質の向上と満足度を上げるべく社会的な仕組みを作り直すなどと言うのは、言うは易しで、実現するなど至難の業なのである。
早い話、政府の無為無策状態で経済成長が止まれば、如何に国民生活の質が悪化するのかは、深刻な所得格差や壊滅状態に追い込まれて疲弊している地方経済の惨状を見れば、一目瞭然であろう。
もっと深刻なのは、日本の財政赤字の問題で、経済成長がゼロないしマイナス成長で推移すれば、たちまち国家の債務が1000兆円をオーバーして悪化の一途を辿って行き、早晩日本経済が破綻するのは、火を見るより明らかである。
従って、課題は、このブログでも何度も論じて来たが、経済成長を進めながら、現存する社会のマイナスを縮小しつつ、如何に、国民生活の質を向上させて人々の満足度を向上させて行くかと言うことである。
青柳教授が糾弾する進歩、成長、拡大、イノベーションが悪いのではなく、これこそが、現在社会においても切り札であって、その質を、危機に瀕した地球船宇宙号と人類の幸せのために、似つかわしい姿に変えて機動力として活用することである。
例えば、イノベーションによって太陽光発電を安く簡便に利用する仕組みを確立させ、日本中の家庭の総てに太陽光発電パネルを設置出来れば、経済成長を図りつつ、環境に優しい社会へ一歩近づく。
人間が原始の生活に戻るのが一番良いのかも知れないが、同じものを作っても、それ以前のものより省エネかつ省資源で、地球環境をどんどん浄化して行くようなエコ・プロダクツを生み出すのは、人間の英知を結集したイノベーション以外に救世主はないと思っている。
私は、国民生活の質の向上のためにも、経済社会の構造改革のためにも、新しい幸福指標を満足させるような経済成長が必須だと思っているので、今こそ、どのような経済成長を目指すべきなのか、真剣に考えるべきだと思っている。
私が、若かった頃はどうだったかと言うことだが、やはり、お互いの気持ちが痛いほど分かっていても、好きな女性に、話すことさえままならず好きだと言えずに涙を呑んだと言うのが殆どではなかったかと思うと、何が草食系で、何が動物系なのか、判断は難しい。
さて、このタイトルの「草食動物型文明」へ向かうべきだと提唱するのは、青柳正規東大名誉教授で、「植物型文明」とも言い換えているが、このままでは、地球が破滅してしまうので、もっと穏やかに、地球になるべく負担をかけないようにやって行こうと言うのである。
動物型から植物方に転換するのは、どうすれば良いのか。それは、「心地よい停滞」を受け入れることだと言う。
日本のバブルが崩壊した1990年代以降、経済学者たちは、一様に「日本は停滞期に入った」と言うのだが、成長は鈍化したが、依然世界第二位(?)の経済大国であり、あまり変化を好まず平穏に暮らしたい人にとっては、この状態は決して悪いことではなく、「停滞期」と言うからこのままではいけないと力み返るのことになるのであって、「安定期」と言えば良いのであると説く。
(この議論は、現在の境遇に満足していて、このままの生活が続いても良いと思っている定職もあり財産もある比較的恵まれた境遇にある人の考え方で、今日のような疲弊して苦境に立った経済社会情勢では、経済的弱者が、最も経済社会の軋みをモロに受けて、その皺寄せに呻吟するなど経済社会現象の捩れをを知らない独り善がりの議論でもあるのだが、ここでは深入りしない。)
現代人は成長の呪縛から中々逃れられず、経済分野は結果や予測が数値化されやすく、説得力も持つのだが、数値化されないところに、重要なものが隠れており、気分で左右されない、本当の満足度を追及することが必要である。
このまま、進歩、成長、拡大、イノベーションと言った、いわば肉食動物型文明の原理をあたりまえのものとして継続して行けば、その先に待っているものは破滅であり、気分を変えるためにも、穏やかな植物型文明にシフトして、「心地よい停滞」を抵抗なく受け入れるようになった時には、新しい繁栄の形が見えてくるような気がする。と仰るのである。
「心地よい停滞」を是とするには、経済成長がゼロないしマイナスでもどうにかやって行ける社会的な仕組みを作り直さなければならない。
経済が縮小傾向に入っても、質の向上と満足度の増大を、数値化できない時には、言葉で、様々なメディアを通して訴え、多くの人々の合意を形成することが大切である。と主張する。
現在の経済学では、特に、良くても悪くても何でもかんでも、マネタリータームで取引されれば国民所得統計に計上されて、経済成長や経済水準を図る指標として使われているGDPが、次善ではあるが幾分欺瞞的な概念であることは、何度も問題となり俎上に上がって論議されてきたことで、このブログでも、人間の幸福や満足の視点から、経済学のあり方などについて論じてきており、本題ではないので今回は端折る。
しかし、この経済成長をゼロないしマイナス状態で、国民生活の質の向上と満足度を上げるべく社会的な仕組みを作り直すなどと言うのは、言うは易しで、実現するなど至難の業なのである。
早い話、政府の無為無策状態で経済成長が止まれば、如何に国民生活の質が悪化するのかは、深刻な所得格差や壊滅状態に追い込まれて疲弊している地方経済の惨状を見れば、一目瞭然であろう。
もっと深刻なのは、日本の財政赤字の問題で、経済成長がゼロないしマイナス成長で推移すれば、たちまち国家の債務が1000兆円をオーバーして悪化の一途を辿って行き、早晩日本経済が破綻するのは、火を見るより明らかである。
従って、課題は、このブログでも何度も論じて来たが、経済成長を進めながら、現存する社会のマイナスを縮小しつつ、如何に、国民生活の質を向上させて人々の満足度を向上させて行くかと言うことである。
青柳教授が糾弾する進歩、成長、拡大、イノベーションが悪いのではなく、これこそが、現在社会においても切り札であって、その質を、危機に瀕した地球船宇宙号と人類の幸せのために、似つかわしい姿に変えて機動力として活用することである。
例えば、イノベーションによって太陽光発電を安く簡便に利用する仕組みを確立させ、日本中の家庭の総てに太陽光発電パネルを設置出来れば、経済成長を図りつつ、環境に優しい社会へ一歩近づく。
人間が原始の生活に戻るのが一番良いのかも知れないが、同じものを作っても、それ以前のものより省エネかつ省資源で、地球環境をどんどん浄化して行くようなエコ・プロダクツを生み出すのは、人間の英知を結集したイノベーション以外に救世主はないと思っている。
私は、国民生活の質の向上のためにも、経済社会の構造改革のためにも、新しい幸福指標を満足させるような経済成長が必須だと思っているので、今こそ、どのような経済成長を目指すべきなのか、真剣に考えるべきだと思っている。