古代エジプトは、地中海にそそぐナイル川の流域に沿って南北800キロに及ぶ細長く形成された王国で、紀元前3200年頃から、変わることなく極めて安定し、3000年の間繁栄を続けて来た。
何故これ程までに長きに亘って変わることなく安定した文明が維持されて来たのか。
それを可能にしたのは、ナイル川で、毎年、決まった時期に増水して緩やかな氾濫を起こし、上流から作物の生育にとって理想的な肥えた土・ナイル・シルトを運んで来るので、作物の種を蒔きさえすれば必ず恵みをもたらすと言う機械仕掛けのようなナイルの規則的な律儀さがそうさせたのであって、これこそが、エジプトはナイルの賜物と言われる所以である。
ここで想起されるのは、先日、取り上げたシュメール文明との対比で、同じ大河の恵みを受けた文明でありながら、ティグリス・ユーフラテス川の洪水では耕作地は壊滅的な打撃を受け、水が引くと、再び耕作地に戻すためには過酷な労働を必要としたのだが、エジプトのナイルは、氾濫と言うよりは増水程度で、肥沃なナイル・シルトを残して穏やかに水位を下げて行き豊作を結果すると言った状態であるから、この自然の恵みの対照が、夫々の文明に、大きな差をもたらしたのである。
例えば、その差の典型が、エジプトのピラミッドの存在で、十分な余剰農産物があったから、農閑期に巨大な建造物を建設するために多くの人々を動員することが出来たのであって、ピラミッドこそは、ナイルの恵みが生んだ余剰農産物の象徴なのである。
ところが、この途方もない無駄が出来るだけの富がある一方で、その富をより有益なことに利用するだけの外界からの刺激がなかったために、むしろ、その安定した豊かさの保証が、変革や進歩を阻害する要因となり、自分たちで何か新しいものを生み出そうとか、イノベーションを起こそうとかと言った必要性を削いでしまった。
そのために、エジプトの場合には、何時までも変わることなく、、3000年の間、同じことをひたすら繰り返すと言う、いわば、一種の思考停止の文明であり、その歴史であった。
古代エジプトの歴史は思考停止の3000年だと言う視点に立つと、ピラミッドに代表されるエジプトの建造物などは、高度な建築技術とは無縁で、単純なものを愚鈍なまでに集積して造られたもので、いわば、大いなるマンパワーの産物に過ぎないと言う青柳正規名誉教授の指摘が面白い。
エジプト文明は、それ程たいしたものではなく、豊かさゆえに存続を続けたのだと言うことになると、エジプトへの思いが大分変わって来る。
メソポタミアの数学や天文学には及びも付かないが、エジプトが歴史に残した例外的な唯一の遺産は、太陽暦の発明だと言う。
エジプトでは、ナイル川が増水する時には、決まって明け方の東の空に明るいシリウス星が輝くのだが、次の増水時期でシリウスが輝く日を正確に計算して1年を365日とする太陽暦を生んだと言うのだが、これもナイルの恵みと言うべきであろうか。
ところで、アントニウスとクレオパトラの連合軍を破って地中海の覇者となったアウグストゥスが、エジプトの豊かさを目の当たりにして、政敵がエジプトを制したら大変なことになると考えて、元老院議員のエジプト入国を禁止したと言うから、ナイルの恵みを受けたエジプトの豊かさは、群を抜いていたのであろう。
しかし、エジプトは、軍事面では極めて弱体で、殆ど軍の体を成して居らず、豊かさゆえに他国への進出の必要性はなく、逆に、侵攻の標的になっていたので、富を奪われないための防衛的な軍事行動が主体であったと言うことである。
さて、豊かさゆえに、進歩と変革が殆ど止まった思考停止状態で推移した古代エジプト文明だが、偉大な歴史的、芸術的な数多くの遺産を後世に残している。
やはり、この古代エジプトの歴史も、古代においても現代においても、文化文明が高度に発展して遺産を残すためにも、あるいは、その文明が長く存続しして行くためにも、農産物の余剰、富や資本の余剰を生み出すことが、必須であったことを教唆していて、非常に興味深い。
何故これ程までに長きに亘って変わることなく安定した文明が維持されて来たのか。
それを可能にしたのは、ナイル川で、毎年、決まった時期に増水して緩やかな氾濫を起こし、上流から作物の生育にとって理想的な肥えた土・ナイル・シルトを運んで来るので、作物の種を蒔きさえすれば必ず恵みをもたらすと言う機械仕掛けのようなナイルの規則的な律儀さがそうさせたのであって、これこそが、エジプトはナイルの賜物と言われる所以である。
ここで想起されるのは、先日、取り上げたシュメール文明との対比で、同じ大河の恵みを受けた文明でありながら、ティグリス・ユーフラテス川の洪水では耕作地は壊滅的な打撃を受け、水が引くと、再び耕作地に戻すためには過酷な労働を必要としたのだが、エジプトのナイルは、氾濫と言うよりは増水程度で、肥沃なナイル・シルトを残して穏やかに水位を下げて行き豊作を結果すると言った状態であるから、この自然の恵みの対照が、夫々の文明に、大きな差をもたらしたのである。
例えば、その差の典型が、エジプトのピラミッドの存在で、十分な余剰農産物があったから、農閑期に巨大な建造物を建設するために多くの人々を動員することが出来たのであって、ピラミッドこそは、ナイルの恵みが生んだ余剰農産物の象徴なのである。
ところが、この途方もない無駄が出来るだけの富がある一方で、その富をより有益なことに利用するだけの外界からの刺激がなかったために、むしろ、その安定した豊かさの保証が、変革や進歩を阻害する要因となり、自分たちで何か新しいものを生み出そうとか、イノベーションを起こそうとかと言った必要性を削いでしまった。
そのために、エジプトの場合には、何時までも変わることなく、、3000年の間、同じことをひたすら繰り返すと言う、いわば、一種の思考停止の文明であり、その歴史であった。
古代エジプトの歴史は思考停止の3000年だと言う視点に立つと、ピラミッドに代表されるエジプトの建造物などは、高度な建築技術とは無縁で、単純なものを愚鈍なまでに集積して造られたもので、いわば、大いなるマンパワーの産物に過ぎないと言う青柳正規名誉教授の指摘が面白い。
エジプト文明は、それ程たいしたものではなく、豊かさゆえに存続を続けたのだと言うことになると、エジプトへの思いが大分変わって来る。
メソポタミアの数学や天文学には及びも付かないが、エジプトが歴史に残した例外的な唯一の遺産は、太陽暦の発明だと言う。
エジプトでは、ナイル川が増水する時には、決まって明け方の東の空に明るいシリウス星が輝くのだが、次の増水時期でシリウスが輝く日を正確に計算して1年を365日とする太陽暦を生んだと言うのだが、これもナイルの恵みと言うべきであろうか。
ところで、アントニウスとクレオパトラの連合軍を破って地中海の覇者となったアウグストゥスが、エジプトの豊かさを目の当たりにして、政敵がエジプトを制したら大変なことになると考えて、元老院議員のエジプト入国を禁止したと言うから、ナイルの恵みを受けたエジプトの豊かさは、群を抜いていたのであろう。
しかし、エジプトは、軍事面では極めて弱体で、殆ど軍の体を成して居らず、豊かさゆえに他国への進出の必要性はなく、逆に、侵攻の標的になっていたので、富を奪われないための防衛的な軍事行動が主体であったと言うことである。
さて、豊かさゆえに、進歩と変革が殆ど止まった思考停止状態で推移した古代エジプト文明だが、偉大な歴史的、芸術的な数多くの遺産を後世に残している。
やはり、この古代エジプトの歴史も、古代においても現代においても、文化文明が高度に発展して遺産を残すためにも、あるいは、その文明が長く存続しして行くためにも、農産物の余剰、富や資本の余剰を生み出すことが、必須であったことを教唆していて、非常に興味深い。