愈々、木挽町のこの歌舞伎座での公演は、この四月で終わり、改築工事に入る。
お寺のような古代建築だと思って入ったら歌舞伎座で、偶々、歌右衛門の美しい姿を見て歌舞伎に魅了されて大ファンとなったと言う話を、歌舞伎を救ったと男として有名なマッカーサーの副官フォービアン・パワーズが書いているのだが、その歌舞伎座である。
私自身、手術を受けた後なので、無理を承知で、最後の第三部だけ見に出かけたのだが、その演目が、「実録先代萩」と「助六由縁江戸桜」で、非常に感激して帰ってきた。
助六由縁江戸桜は、やはり、御名残公演としては最高の演目の一つで、お家の十八番を背負っての團十郎の助六であり、揚巻を玉三郎が演じ、菊五郎をはじめ、歌舞伎界のトップスターが勢揃いする豪華な舞台であるから、楽しくない筈がない。
冒頭の花道から登場するほろ酔い機嫌の玉三郎・揚巻の妖艶で美しい艶姿と豪華絢爛たる花魁道中を見るだけでも、この歌舞伎を見るだけの値打ちがあると思うのだが、
山川静夫さんの解説を借用すると、「黒羽二重の小袖に紅絹裏、杏葉牡丹の五つ紋、浅黄無垢の下着に綾織の帯、鮫鞘の刀、印籠、尺八を後ろに指し紫縮緬の鉢巻を結び、」黄色い足袋を履いて下駄の音を高らかに響かせて、蛇の目傘を半開きにして顔を隠して小走りに團十郎・助六が、花道に登場するとやんやの喝采。
助六が、河東節にのって、花道の七三で行ったり来たり、蛇の目傘を小道具に、江戸の伊達男の粋の限りを尽くした見得の数々をたっぷりと披露するのだから、ファンにとっては堪らないのであろう。
この助六の黒、紅、浅黄、紫、黄色などと言ったベネトン顔負けの色鮮やかな衣装もそうだが、兎に角、五節旬の趣向が用いられていると言う揚巻の花魁の衣装の豪華さ美しさは格別で、これだけ複雑で粋と美の局地を凝縮させデザインを創造した芸術家魂の発露に感嘆せざるを得ないと思う。
髭の意休の衣装でも、くわんぺらの子分・朝顔仙平(歌六)の奴姿でも、美的感覚の素晴らしさは、流石だと思っている。
ところで、助六のモデルは多々あるようだが、この歌舞伎でも上方を連想させる台詞や紙衣が登場しており、実際に大坂で実在した侠客助六と心中した嶋原の傾城総角(あげまき)の話が濃厚だと思うのだが、二代目團十郎が、助六を曽我五郎に脚色して、今日の助六の舞台を作り上げたのだと言う。
筋書きは極めて単純。吉原仲之町三浦屋の看板花魁揚巻の間夫である助六が、華の吉原で喧嘩を仕掛けるのは、相手の刀が、なくなった源氏の宝刀友切丸かどうかを詮議するためで、揚巻に入れ込むが振られっ放しの髭の意休(左團次)が持っていることを突き止め、揚巻の機転で、意休を殺害して取り戻すと言うのが、本筋だが、観客を喜ばせるために、ユーモア、諧謔、沢山のコント風の挿話を散りばめて、実にユニークな舞台を作り上げていて楽しませてくれる。
助六役者としても天下一品の二枚目役者仁左衛門が、どうにも締りの付かないチンピラやくざ(?)くわんぺら門兵衛を演じて、三枚目のずっこけた醜態を見せているのも、この舞台の見せ所であるし、勘三郎が、通人里暁を演じて、助六・團十郎と白酒売新兵衛・実は助六の兄曽我十郎(菊五郎)を前にして、カレントトピックスのギャグを連発しながら股潜りをするなど、助六が、何の芝居なのか分からなくなるくらいである。
天下の名優三津五郎が、福山かつぎ寿吉で、一寸出で登場し、口上を、何時もの段四郎に代わって海老蔵が勤めるなど興味深い趣向もある。
やはり人間国宝で、白酒売の菊五郎の何とも言えない女っぽい優男ぶりの柔が、助六の團十郎の剛と絶妙な対照を成していて面白かった。
左團次の意休は、もはや、定番。
前回、通人里暁を演じて観客を笑いに巻いていた東蔵が、今度は、曽我兄弟の母・曽我満江で登場し、渋い芸を見せている。
しかし、何と言っても、この助六の舞台は、團十郎と玉三郎あっての舞台であって、旧歌舞伎座で演じられた極め付きの名舞台として、後世に名を残すであろうと思っている。
團十郎が、「助六」について、「團十郎の歌舞伎案内」に書いているのだが、助六は、江戸庶民の願望が織り込まれていて、江戸っ子そのものであり、江戸庶民の羨望の的なので、舞台に出てゆく時には、イイ男でありたいと言う。
履いている下駄は、魚河岸から貰ったものだが、よく花道の出などで滑って危険なのだが、下駄特有のカッカッカッと言う音が命なので、ビクビクせずにやっていると言うことらしい。
面白かったのは、二代目が助六を舞台に乗せたのは、江島生島事件の後で、助六が花道で二回お辞儀をするのは、一回目は江戸のお客様に対して、そして、二回目は、芝居を愛してやまなかった江島を敬うための所作なのだと言うことである。
お寺のような古代建築だと思って入ったら歌舞伎座で、偶々、歌右衛門の美しい姿を見て歌舞伎に魅了されて大ファンとなったと言う話を、歌舞伎を救ったと男として有名なマッカーサーの副官フォービアン・パワーズが書いているのだが、その歌舞伎座である。
私自身、手術を受けた後なので、無理を承知で、最後の第三部だけ見に出かけたのだが、その演目が、「実録先代萩」と「助六由縁江戸桜」で、非常に感激して帰ってきた。
助六由縁江戸桜は、やはり、御名残公演としては最高の演目の一つで、お家の十八番を背負っての團十郎の助六であり、揚巻を玉三郎が演じ、菊五郎をはじめ、歌舞伎界のトップスターが勢揃いする豪華な舞台であるから、楽しくない筈がない。
冒頭の花道から登場するほろ酔い機嫌の玉三郎・揚巻の妖艶で美しい艶姿と豪華絢爛たる花魁道中を見るだけでも、この歌舞伎を見るだけの値打ちがあると思うのだが、
山川静夫さんの解説を借用すると、「黒羽二重の小袖に紅絹裏、杏葉牡丹の五つ紋、浅黄無垢の下着に綾織の帯、鮫鞘の刀、印籠、尺八を後ろに指し紫縮緬の鉢巻を結び、」黄色い足袋を履いて下駄の音を高らかに響かせて、蛇の目傘を半開きにして顔を隠して小走りに團十郎・助六が、花道に登場するとやんやの喝采。
助六が、河東節にのって、花道の七三で行ったり来たり、蛇の目傘を小道具に、江戸の伊達男の粋の限りを尽くした見得の数々をたっぷりと披露するのだから、ファンにとっては堪らないのであろう。
この助六の黒、紅、浅黄、紫、黄色などと言ったベネトン顔負けの色鮮やかな衣装もそうだが、兎に角、五節旬の趣向が用いられていると言う揚巻の花魁の衣装の豪華さ美しさは格別で、これだけ複雑で粋と美の局地を凝縮させデザインを創造した芸術家魂の発露に感嘆せざるを得ないと思う。
髭の意休の衣装でも、くわんぺらの子分・朝顔仙平(歌六)の奴姿でも、美的感覚の素晴らしさは、流石だと思っている。
ところで、助六のモデルは多々あるようだが、この歌舞伎でも上方を連想させる台詞や紙衣が登場しており、実際に大坂で実在した侠客助六と心中した嶋原の傾城総角(あげまき)の話が濃厚だと思うのだが、二代目團十郎が、助六を曽我五郎に脚色して、今日の助六の舞台を作り上げたのだと言う。
筋書きは極めて単純。吉原仲之町三浦屋の看板花魁揚巻の間夫である助六が、華の吉原で喧嘩を仕掛けるのは、相手の刀が、なくなった源氏の宝刀友切丸かどうかを詮議するためで、揚巻に入れ込むが振られっ放しの髭の意休(左團次)が持っていることを突き止め、揚巻の機転で、意休を殺害して取り戻すと言うのが、本筋だが、観客を喜ばせるために、ユーモア、諧謔、沢山のコント風の挿話を散りばめて、実にユニークな舞台を作り上げていて楽しませてくれる。
助六役者としても天下一品の二枚目役者仁左衛門が、どうにも締りの付かないチンピラやくざ(?)くわんぺら門兵衛を演じて、三枚目のずっこけた醜態を見せているのも、この舞台の見せ所であるし、勘三郎が、通人里暁を演じて、助六・團十郎と白酒売新兵衛・実は助六の兄曽我十郎(菊五郎)を前にして、カレントトピックスのギャグを連発しながら股潜りをするなど、助六が、何の芝居なのか分からなくなるくらいである。
天下の名優三津五郎が、福山かつぎ寿吉で、一寸出で登場し、口上を、何時もの段四郎に代わって海老蔵が勤めるなど興味深い趣向もある。
やはり人間国宝で、白酒売の菊五郎の何とも言えない女っぽい優男ぶりの柔が、助六の團十郎の剛と絶妙な対照を成していて面白かった。
左團次の意休は、もはや、定番。
前回、通人里暁を演じて観客を笑いに巻いていた東蔵が、今度は、曽我兄弟の母・曽我満江で登場し、渋い芸を見せている。
しかし、何と言っても、この助六の舞台は、團十郎と玉三郎あっての舞台であって、旧歌舞伎座で演じられた極め付きの名舞台として、後世に名を残すであろうと思っている。
團十郎が、「助六」について、「團十郎の歌舞伎案内」に書いているのだが、助六は、江戸庶民の願望が織り込まれていて、江戸っ子そのものであり、江戸庶民の羨望の的なので、舞台に出てゆく時には、イイ男でありたいと言う。
履いている下駄は、魚河岸から貰ったものだが、よく花道の出などで滑って危険なのだが、下駄特有のカッカッカッと言う音が命なので、ビクビクせずにやっていると言うことらしい。
面白かったのは、二代目が助六を舞台に乗せたのは、江島生島事件の後で、助六が花道で二回お辞儀をするのは、一回目は江戸のお客様に対して、そして、二回目は、芝居を愛してやまなかった江島を敬うための所作なのだと言うことである。