事業仕分け第二段が始まったと言うので初日から話題をまいているのだが、悪人(?)に仕立てられた官僚や独立行政法人などが槍玉に上がって、水戸黄門よろしく、ばさばさと無駄(?)を切り捨てて行くのを見ている国民は、何となく溜飲を下げた気持ちで見ていて面白いのかも知れないので、日頃、槍玉に上がって苦しんでいるNHKまでが、嬉々として報道している。
さて、昨年は、思慮の不足した仕分けチームが、スーパーコンピューターを滅多斬りにして、批難ごうごうとなり、鳩山首相が復活せざるを得なくなったケースがあったのだが、今回、日経ビジネスに、「敗軍の将、兵を語る」で、日本芸術文化振興会の茂木健三郎理事長が、『「仕分け」が伝統芸を潰す』と、「予算仕分け」の対象となり、組織の無駄を批判され、予算を削減されたとして息巻いているのを読んで、同じような腹立たしさを覚えた。
「ケチコーマン」だと揶揄されるほど、お金には厳しい会社の元トップが、「本当に切り詰めて運営しており、これではやって行けない、日本人の魂であり日本の宝である伝統芸術を殺すのか」と、大変な剣幕であるから迫力がある。
伝統芸術とは毛色の違ったバレエやオペラ、演劇などの舞台芸術を運営している新国立劇場を、別法人の同劇場運営財団に委託しているのが二重構造だと言われて批難され、天下りと目された理事長の遠山敦子元文部大臣も、民主党の「コンクリートから人へ」と言うキャッチフレーズが、如何に皮相で浅はかかを遠まわしに語っていて非常に興味深い。
結論から先に言うと、色々あるだろうが、伝統的な文化芸術や技術、基礎科学などの研究開発および学術、スポーツなどと言った国民の文化文明の基礎となるような部門に対する分野への国家的な保護支援等は、コストパーフォーマンス的な考慮の埒外にあり、国家が積極的にサポートすべきであって、無用な口を挟むべきではないと思っている。
仕分けが始まった時にも、ずぶの素人で知識も経験も乏しい未熟な政治家が、殆ど知識も経験もない分野の事業を短時間で斬った張ったすることが、如何に危険であるかを、このブログでも書いた。
それに、当事者に、知性教養は勿論、会計学を筆頭に、かなりの高度なマネジメントに関する知識がなければ、価値ある有効な対応は不可能である筈である。
そして、経済は一流(今は二流だが)、政治は二流と言われ続けていた日本で、何時、政治家が一流になったのかと言う疑問を呈し、その二流の政治家が、政治主導だと言って何もかも自分たちで推し進めようとする危険についても書いてきた。
そのことはさて置き、文楽や歌舞伎、能楽、落語等の伝統芸術は勿論、オペラ、クラシック音楽、芝居等パーフォーマンス・アートに対する国立劇場などでの活動を通じての日本芸術文化振興会の貢献は、極めて大きい。
茂木理事長の話では、運営費交付金は前年度の109億円から105億円へ、芸術振興補助金は51億円から44億円に減っていると言うことだが、使途は分からないが、世界文化遺産の文楽や歌舞伎や能楽などを守るための国家の支出としてだけだと考えても、例えば200億円は、法外な支出であろうか。
文楽は、松竹から見放されて一時は崩壊の危機に瀕して、大阪市や国やNHKのサポートで命脈をつないで、今日の芸術性の高さと高度な質を維持しているのだが、日本芸術文化振興会のサポートがなければ、維持不能であったであろう。
文楽協会の決算数字を見ると、事業活動収入6.9億円のうち1.57億円の補助金等収入があるが、この一部が、この振興会から出ているのであろうが、微々たるもので、しかし、それがなければ、文楽協会はやって行けない。
日本の文楽の芸術性の高さと洗練さてた技術の卓越さは、世界的にも愁眉の的で、その舞台芸術への影響力の高さは、ライオンキングをはじめ、世界中の芝居やオペラを見れば良く分かるし、歌舞伎でも同様であり、正に、日本文化の粋とも言うべき誇りなのである。
歌舞伎に対しても、国立劇場は、古い歌舞伎を掘り起こしたり、通し狂言の舞台を意欲的に展開するなど、多くの貢献をしており、能楽や落語など幅広い日本の伝統芸術の維持向上への働きは計り知れない。
今時点でも、伝統芸術やオペラ等への文化芸術関連事業に対する政府の支出が十分かどうか疑問であるのだから、この事業の中核を握っている日本芸術文化振興会を締め付けて、政府のサポートの質と量を落とすと、間違いなしに、文楽や歌舞伎などの伝統芸術の質に影響を与え、日本の文化文明度や日本の価値(?)が低下することは間違いなかろう。
民間の寄付で運営すれば良いとして、事業仕分けでも「寄付を増やすような制作体系が必要」と指摘しているようだが、寄付行為や民間のサポートが宗教や価値観によって伝統的に根付いている欧米と同列に考えるのなどは、正に、当事者たちの知識教養の無さを暴露しているのであって、その欧米でも、例えばオペラや交響楽団などへ政府公共団体が、如何に、手厚いサポートを続けているかを理解すれば、その皮相さが分かる。
自分たちの文化の水準を如何に高く維持するかが、彼らの誇りであり生き甲斐なのである。
良く分析してからの議論ではないので、これ以上の多言は慎むが、スーパーコンピューターと同じで、文楽も歌舞伎も、まともに見たことも鑑賞したこともない文化音痴の御仁の仕分けとしか思えなかったので、僭越ながら私見を綴ってみた。
何よりも、日経ビジネスの茂木理事長の記事を読んで頂き、一度、半蔵門の国立劇場なり、大阪日本橋の文楽劇場に足を運んで日本の伝統芸術の今を見て頂くことだと思っている。
さて、昨年は、思慮の不足した仕分けチームが、スーパーコンピューターを滅多斬りにして、批難ごうごうとなり、鳩山首相が復活せざるを得なくなったケースがあったのだが、今回、日経ビジネスに、「敗軍の将、兵を語る」で、日本芸術文化振興会の茂木健三郎理事長が、『「仕分け」が伝統芸を潰す』と、「予算仕分け」の対象となり、組織の無駄を批判され、予算を削減されたとして息巻いているのを読んで、同じような腹立たしさを覚えた。
「ケチコーマン」だと揶揄されるほど、お金には厳しい会社の元トップが、「本当に切り詰めて運営しており、これではやって行けない、日本人の魂であり日本の宝である伝統芸術を殺すのか」と、大変な剣幕であるから迫力がある。
伝統芸術とは毛色の違ったバレエやオペラ、演劇などの舞台芸術を運営している新国立劇場を、別法人の同劇場運営財団に委託しているのが二重構造だと言われて批難され、天下りと目された理事長の遠山敦子元文部大臣も、民主党の「コンクリートから人へ」と言うキャッチフレーズが、如何に皮相で浅はかかを遠まわしに語っていて非常に興味深い。
結論から先に言うと、色々あるだろうが、伝統的な文化芸術や技術、基礎科学などの研究開発および学術、スポーツなどと言った国民の文化文明の基礎となるような部門に対する分野への国家的な保護支援等は、コストパーフォーマンス的な考慮の埒外にあり、国家が積極的にサポートすべきであって、無用な口を挟むべきではないと思っている。
仕分けが始まった時にも、ずぶの素人で知識も経験も乏しい未熟な政治家が、殆ど知識も経験もない分野の事業を短時間で斬った張ったすることが、如何に危険であるかを、このブログでも書いた。
それに、当事者に、知性教養は勿論、会計学を筆頭に、かなりの高度なマネジメントに関する知識がなければ、価値ある有効な対応は不可能である筈である。
そして、経済は一流(今は二流だが)、政治は二流と言われ続けていた日本で、何時、政治家が一流になったのかと言う疑問を呈し、その二流の政治家が、政治主導だと言って何もかも自分たちで推し進めようとする危険についても書いてきた。
そのことはさて置き、文楽や歌舞伎、能楽、落語等の伝統芸術は勿論、オペラ、クラシック音楽、芝居等パーフォーマンス・アートに対する国立劇場などでの活動を通じての日本芸術文化振興会の貢献は、極めて大きい。
茂木理事長の話では、運営費交付金は前年度の109億円から105億円へ、芸術振興補助金は51億円から44億円に減っていると言うことだが、使途は分からないが、世界文化遺産の文楽や歌舞伎や能楽などを守るための国家の支出としてだけだと考えても、例えば200億円は、法外な支出であろうか。
文楽は、松竹から見放されて一時は崩壊の危機に瀕して、大阪市や国やNHKのサポートで命脈をつないで、今日の芸術性の高さと高度な質を維持しているのだが、日本芸術文化振興会のサポートがなければ、維持不能であったであろう。
文楽協会の決算数字を見ると、事業活動収入6.9億円のうち1.57億円の補助金等収入があるが、この一部が、この振興会から出ているのであろうが、微々たるもので、しかし、それがなければ、文楽協会はやって行けない。
日本の文楽の芸術性の高さと洗練さてた技術の卓越さは、世界的にも愁眉の的で、その舞台芸術への影響力の高さは、ライオンキングをはじめ、世界中の芝居やオペラを見れば良く分かるし、歌舞伎でも同様であり、正に、日本文化の粋とも言うべき誇りなのである。
歌舞伎に対しても、国立劇場は、古い歌舞伎を掘り起こしたり、通し狂言の舞台を意欲的に展開するなど、多くの貢献をしており、能楽や落語など幅広い日本の伝統芸術の維持向上への働きは計り知れない。
今時点でも、伝統芸術やオペラ等への文化芸術関連事業に対する政府の支出が十分かどうか疑問であるのだから、この事業の中核を握っている日本芸術文化振興会を締め付けて、政府のサポートの質と量を落とすと、間違いなしに、文楽や歌舞伎などの伝統芸術の質に影響を与え、日本の文化文明度や日本の価値(?)が低下することは間違いなかろう。
民間の寄付で運営すれば良いとして、事業仕分けでも「寄付を増やすような制作体系が必要」と指摘しているようだが、寄付行為や民間のサポートが宗教や価値観によって伝統的に根付いている欧米と同列に考えるのなどは、正に、当事者たちの知識教養の無さを暴露しているのであって、その欧米でも、例えばオペラや交響楽団などへ政府公共団体が、如何に、手厚いサポートを続けているかを理解すれば、その皮相さが分かる。
自分たちの文化の水準を如何に高く維持するかが、彼らの誇りであり生き甲斐なのである。
良く分析してからの議論ではないので、これ以上の多言は慎むが、スーパーコンピューターと同じで、文楽も歌舞伎も、まともに見たことも鑑賞したこともない文化音痴の御仁の仕分けとしか思えなかったので、僭越ながら私見を綴ってみた。
何よりも、日経ビジネスの茂木理事長の記事を読んで頂き、一度、半蔵門の国立劇場なり、大阪日本橋の文楽劇場に足を運んで日本の伝統芸術の今を見て頂くことだと思っている。