熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

春の花咲くわが庭でのひとりごと

2010年04月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭を見ていて、一番季節感を感じさせてくれるのは、やはり、花木なり草花などの花の移り変わりである。
   今年のように、急に冬を思わせるような寒い日が来ると、一挙に花の動きも止まってしまうが、桜もそうだが、そのために、花の命が長くなることがある。
   近くの公園のソメイヨシノもまだ、枝によっては花を残しているし、それに、葉の芽吹きも遅い。

   ところで、私の庭で、今咲き誇っているのは、チューリップと椿である。
   椿は、もう、終わりに近く、まだ咲いているのは、殆どが赤い花で、大きなポンポンダリアのようなさつま紅や、洋花として里帰りしたグランドスラムやブラックファイアなどで、後者は、紅蓮と言うか真紅と言うか深い真っ赤な大輪で、やはり、欧米人好みに品種改良されている。
   それに、季節の最後に咲くのは、黒椿で、まだ、崑崙黒は花を残しているし、ナイトライダーが咲き始めた。

   椿を見ていて思うのだが、何となく、季節の初めには、白やピンクなどの色の淡い花から咲き始めて、最後には、赤い色の濃い椿の花で終わるような気がしている。
   これは、クロッカスを見ていてもそうだが、まず、黄色い花から咲き始めて、色の濃い青紫系統の花に移っていくような気がする。
   ヒヤシンスも、そうかも知れない。
   
   勿論、これが、定説である訳でもなく、私が思っているだけで、現に、私の庭でも、この口絵写真の花富貴と言う美しいピンクの大輪の椿が、まだ、咲いていて、花の命は極めて短いのだが、綺麗な花を切って来て、バカラや気に入った花瓶に生けて楽しんだりしている。
  
   チューリップだが、私の場合には、出来るだけ種類の違った変わった花を植えることにしているので、花壇にもプランターにも、全く、色彩的な統一性もなければ、整合性もない。
   今年は、チューリップの球根を買い過ぎて、プランター植えを多くしたのだが、これが幸いして、思い思いの場所に移動して楽しんでいる。
   花を最後まで咲かせるので、翌年咲く球根は、育たないが、後で、小さな球根を庭に植えておけば、二年後くらいに、思わぬところから花が咲く。
   
   少し前に、暖かい日が続いた所為か、牡丹の蕾が急に大きくなって、先から少しずつ色づき始めた。
   ゴールデンウィークには、咲くかも知れない。
   芍薬の方は、蕾は着け始めているが、まだ、木の大きさは小さくて、大分遅れそうである。
   ユリも、大分、勢い良くびっしりと葉のついた茎を伸ばし初めて、花壇や鉢に、すっくと立ち上がった。
   花期は、芍薬より、少し遅くなるであろうか。

   今まで、中断していたバラの栽培を始めてみようと思って、オールドローズとイングリッシュローズの苗を2本ずつ買って来た。
   ヨーロッパに行く前だから、もう、何十年も前の話だが、近くの京成バラ園に出かけて10本ばかり大苗を買って来て庭に植えて、全くテキスト通りに育てたので、われながら、随分立派な綺麗な花を咲かせることが出来て驚きであった。
   その後、帰ってきてから、孫が生まれたので娘に危険だからと言われて切ってしまったのだが、その内、一本だけ、植木屋さんが切り忘れたキャプリス・ド・メイアンと言う裏地が黄色で表面が真紅のツートンカラーのバラだけが残って、毎年、花が咲いて楽しませてくれている。
   まず、今回は、庭が満杯で余地がないので、鉢植えでスタートすることにした。
   イギリスに5年間も居て、沢山の素晴らしいバラ園を巡って来たのであるから、恥ずかしい花を咲かせてはならないと思っている。
   
   バラの栽培は、病虫害に対する心配から施肥など、世話が大変なのだが、これから、バラの季節が始まるので、もう一度、京成バラ園に通って、バラ栽培の勉強をし直そうかと思っている。   
   椿や牡丹などと比べれば、バラは、はるかに手間隙が掛かって苦労が多い。
   しかし、あの何とも言えない儚いけれど優雅で豪華な美しさには、また、格別な魅力なり楽しみがあると言うことであろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする