現在の北シリアからザグロス山脈の南麓北イラクにかけての北メソポタミアの「肥沃な三日月地帯」は、最も古い文明の発祥地である。
しかし、人口の増加や天候不順などで食料難に陥り飢餓に苦しんだ人々は、南下して、極めて自然条件の厳しい典型的な夏季乾燥型の砂漠気候のチグリス・ユーフラテスに囲まれた南メソポタミアに定住して、困難かつ長期的な計画を必要とする灌漑施設を構築して、農耕と言う当時最大かつ最新の生産活動を可能にし、従前の雨水頼みの耕作地帯が生み出す量をはるかに凌駕する生産性を確保した。
これは、その困難な条件を克服する工夫によって適格地以上の生産性を可能にしたのであり、その意味では後進性ゆえの先進性と看做すことが出来ると指摘するのは、青柳正規名誉教授である。
このような高度で精緻な灌漑施設を常に維持しなければ農耕を続けることが出来なかったので、当初から集団を指揮する有能な人物が不可欠であり、その指導者に従う集団と言う上下関係にもとづく組織が生まれ、食料の集中分配システムが確立され、最古の都市文明が生まれた。
これが、近代ヨーロッパにおける産業革命以降のモデルとなり、天文学や60進法などの科学的発達を遂げたシュメール文明である。
ところが、この高度に発展したシュメール文明が、紀元前2000年頃には、凋落して衰退して行くのだが、その文明が滅びた要因は、塩害による農業生産力の低下によると言うのである。
乾燥と高温による水分の蒸散の結果地中の水分の塩類濃度が上昇すると同時に、灌漑施設が塩類濃度上昇に拍車をかけ、塩分に弱い小麦の収穫量が減り、大麦まで影響を受け、最後には、ナツメヤシしか収穫できなくなったのである。
さて、この高度な世界最古のシュメール文明を作り出した活力は一体何であったのか。
それは、本来農耕に適さなかった土地を灌漑して農地化するだけのソフトとハードの創意工夫があったからで、それが、都市建設や軍隊の指揮にも有効に働き、それがシュメールの更なる発展を促したのだと言うのが青柳説だが、正に、これこそは、四大文明の発祥についてアーノルド・トインビーが展開した挑戦と応戦の理論である。
その創意工夫が、逆にマイナス要因となったのは、灌漑施設を前庭とした農耕ゆえに各都市の領域が運河や水路などの水体系ごとに区切られ、その範囲内で余剰農産物生み出す豊かさを手に入れ、この都市国家の居心地の良い自己完結性から抜け出せず、それ以上の発展を阻害し、大規模な領域国家になれなかったと言うのである。
シュメール文明の衰退が、農業不振と都市国家の自己完結性の限界によると言うことだが、多くの文明の歴史がそうであったように、かってその文明を大いに隆盛に導いた要因こそが、同時に衰退滅亡を招く要因であると言う厳粛なる法則をなぞっていて面白い。
このことは、文明のみならず会社経営についても言えることで、隆昌の要因によって衰退すると言う真実は、人間活動の総てに起こり得ることで、逆に言えば、どんなに成功して隆盛を極めた文明であっても、必ず衰退して滅びると言うことを意味している。
ここで、もう一つ考えなければならないのは、シュメール文明の衰退が、農業が齎した環境破壊にあると言う現実で、このことは、現在の農業そのものが、自然環境に過度の負荷を強いて、環境破壊に繋がっていないかと言うことである。
先に、マイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ」で、窒素化学肥料の発明によって如何に農業生産が歪められて地球環境を破壊してきたかについて論じたことがある。
ニュアンスは大分違うが、今後、人口がこのまま異常な伸びを示して増大して行けば、更なる農業の集約化が進んで行き、自然環境に負担をかけすぎて、最終的に地球上の多くの土地を農耕不可能にしてしまう心配は皆無とは言えなくなる。
シュメールの時代は、一文明の衰亡だけで済んだが、今度は、地球全体が駄目になり、人類の将来そのものが危機に陥り、人類文明論の議論どころではなくなってしまうのである。
しかし、人口の増加や天候不順などで食料難に陥り飢餓に苦しんだ人々は、南下して、極めて自然条件の厳しい典型的な夏季乾燥型の砂漠気候のチグリス・ユーフラテスに囲まれた南メソポタミアに定住して、困難かつ長期的な計画を必要とする灌漑施設を構築して、農耕と言う当時最大かつ最新の生産活動を可能にし、従前の雨水頼みの耕作地帯が生み出す量をはるかに凌駕する生産性を確保した。
これは、その困難な条件を克服する工夫によって適格地以上の生産性を可能にしたのであり、その意味では後進性ゆえの先進性と看做すことが出来ると指摘するのは、青柳正規名誉教授である。
このような高度で精緻な灌漑施設を常に維持しなければ農耕を続けることが出来なかったので、当初から集団を指揮する有能な人物が不可欠であり、その指導者に従う集団と言う上下関係にもとづく組織が生まれ、食料の集中分配システムが確立され、最古の都市文明が生まれた。
これが、近代ヨーロッパにおける産業革命以降のモデルとなり、天文学や60進法などの科学的発達を遂げたシュメール文明である。
ところが、この高度に発展したシュメール文明が、紀元前2000年頃には、凋落して衰退して行くのだが、その文明が滅びた要因は、塩害による農業生産力の低下によると言うのである。
乾燥と高温による水分の蒸散の結果地中の水分の塩類濃度が上昇すると同時に、灌漑施設が塩類濃度上昇に拍車をかけ、塩分に弱い小麦の収穫量が減り、大麦まで影響を受け、最後には、ナツメヤシしか収穫できなくなったのである。
さて、この高度な世界最古のシュメール文明を作り出した活力は一体何であったのか。
それは、本来農耕に適さなかった土地を灌漑して農地化するだけのソフトとハードの創意工夫があったからで、それが、都市建設や軍隊の指揮にも有効に働き、それがシュメールの更なる発展を促したのだと言うのが青柳説だが、正に、これこそは、四大文明の発祥についてアーノルド・トインビーが展開した挑戦と応戦の理論である。
その創意工夫が、逆にマイナス要因となったのは、灌漑施設を前庭とした農耕ゆえに各都市の領域が運河や水路などの水体系ごとに区切られ、その範囲内で余剰農産物生み出す豊かさを手に入れ、この都市国家の居心地の良い自己完結性から抜け出せず、それ以上の発展を阻害し、大規模な領域国家になれなかったと言うのである。
シュメール文明の衰退が、農業不振と都市国家の自己完結性の限界によると言うことだが、多くの文明の歴史がそうであったように、かってその文明を大いに隆盛に導いた要因こそが、同時に衰退滅亡を招く要因であると言う厳粛なる法則をなぞっていて面白い。
このことは、文明のみならず会社経営についても言えることで、隆昌の要因によって衰退すると言う真実は、人間活動の総てに起こり得ることで、逆に言えば、どんなに成功して隆盛を極めた文明であっても、必ず衰退して滅びると言うことを意味している。
ここで、もう一つ考えなければならないのは、シュメール文明の衰退が、農業が齎した環境破壊にあると言う現実で、このことは、現在の農業そのものが、自然環境に過度の負荷を強いて、環境破壊に繋がっていないかと言うことである。
先に、マイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ」で、窒素化学肥料の発明によって如何に農業生産が歪められて地球環境を破壊してきたかについて論じたことがある。
ニュアンスは大分違うが、今後、人口がこのまま異常な伸びを示して増大して行けば、更なる農業の集約化が進んで行き、自然環境に負担をかけすぎて、最終的に地球上の多くの土地を農耕不可能にしてしまう心配は皆無とは言えなくなる。
シュメールの時代は、一文明の衰亡だけで済んだが、今度は、地球全体が駄目になり、人類の将来そのものが危機に陥り、人類文明論の議論どころではなくなってしまうのである。