ウォール・ストリート・ジャーナルの電子日本版4月23日号(原文は、WSJ asia 22日)に、『冷え込む米日関係ージャパン・パッシングならぬ「ジャパン・ディッシング」』が掲載された。
このオピニオン・コラムの筆者マイケル・オースリンは、保守的なアメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長で、WSJのコラムニストであると同時に、多くのメディアで、日米関係に関して論陣を張っている論客であり、貴重な知日派の学者の一人である。
しかし、JAPAN DISSINGとは、穏やかならない発言であり、これまでの、ジャパン・バッシングやジャパン・パッシングとは違った、かなり強烈な表現で、普天間問題を筆頭とした鳩山政権に対するアメリカの苛立ちが、如実に現れている。
disと言う動詞を辞書で引くと、「ばかにする」「侮辱する」「悪口を言う」「けなす」と言う訳語が出てくるが、要するに、disrespect, disapprove, dismissと言った単語のdisであるが、WSJの日本語訳では、dissingを、「切り捨て」と訳しているのだが、これに従うとしても、そのニュアンスは大きく違う。
少し前に出たWSLのアル・カーメンの「Among leaders at summit, Hu's first」で、核サミットで、鳩山首相がオバマに会って貰えずに、お情けで晩餐会の席で横に座らせてもらって10分間ほど会話を許されたが、最大の敗者だったと揶揄されたあの記事よりはましだとしても、日本を馬鹿にして侮辱する時代になったとは、容易ならざる表現である。
いずれにしろ、鳩山内閣の煮え切らない対応に対しては、問題があるとしても、どうでも良い客には会っても、日米安保50周年を祝った世界で最も重要な同盟国日本の首相が会談をしたいと申し込んでいるのに袖にするなどと言うのは、外交儀礼上もあってはならないことで、オバマの態度は正に言語道断である。
もっと情けないのは、このオバマの態度に対して、誇り高い日本の政治家も識者もメディアも、そして、一般国民も、何の効果的かつ強力な抗弁もせずに、谷垣氏を筆頭に鳩山首相の馬鹿さ(?、本人が国会の党首討論の場で認めてしまったのが致命的)加減のみを揶揄していると言う卑屈さである。
この日本を、オースリンが、JAPAN DISSIGと言う表現で、昔の「日本を叩こう」、「日本を無視しよう」と言ったスローガンと同じで、「日本を馬鹿にしよ」うと言うのが、アメリカ人の日本に対するスタンスなら許せないと同時に、アメリカがそのような態度を取るなら、日本人にも考えがある言うことである。
ところで、ここまでは、やや感情的な私見だが、オースリンのWSJ記事にしろ、アメリカン・エンタープライズ研究所のホーム・ページに所収されているオースリンの著述にしろ、タイトルのニュアンスとは違って、かなり、穏健で適切な日米関係を論じていて参考になる。
去る3月17日の米国議会の外交小委員会で、オースリンが呼ばれて、日米関係と日本政治の新時代について「U.S.-Japan Relations: Enduring Tiees, Recent Developments」と言うタイトルで証言している。
鳩山政権の誕生から日本人の世界観の変化や、アメリカ離れからアジア回帰への動向、環境立国政策等々問題多き日本の政治経済社会の現状を、かなり客観的かつ公平に論述しており、日米関係の重要さとその正常な維持が、国際平和と発展のために、如何に、大切かを説いている。
やはり、日米関係の帰趨を制しているのは、中国の存在とその経済軍事的な台頭で、これに対して、日米がいかなるスタンスを取るかによって、日米関係の将来は大きく変わって行く。
沖縄などの米軍基地の存在は、最早、アジアのいかなる国も受け入れを拒否している以上、貴重であるばかりではなく死活問題となる最後の生命線であり、アメリカとしては、地位協定や思い遣り予算が大きく変わらずに普天間基地移転問題が成功裏に収束することが、何よりも大切なのであろう。
オースリンは、日本が、まず、アメリカがアジア太平洋地域における軍事力を縮小して防衛と平和の維持の責任を軽減するのではないか、次に、中国を必須のパートナーとして日本を軽視するのではないかと恐れていると言うのだが、アメリカも同様に、日本の中国への接近を恐れていて同じだとして、むしろ、中国の軍事大国化のほうが危険だと言う。
そのためにも、日本における米軍基地の存在は必須であり、日米関係の重要さと、その正常な維持の大切さを説いている。
しかし、この日本での基地を前提にした米軍の存在が、アジア太平洋地域の総ての人々に歓迎されていて、この地域における平和をアメリカが保障することを願っているのだと言われると、何故、日本だけが、これ程までに犠牲を払ってまで、アメリカに協力しなければならないのか、そして、この地域の平和維持に日本が多大の犠牲を払っているにも拘らず、何故、アジアの人々には、感謝さえもされないのかと言う気持ちで忸怩たるものを感じる。
オースリンは、この1月に、AEIのために、「The U.S.-Japan Alliance:Relic of a Bygone Era?」と言う日米同盟50周年記念のために調査報告を発表している。
タイトルの「日米同盟:時代遅れの過去の遺物か?」と言う微妙なニュアンスに注目すべきであろう。
詳細は省略するが、オースリンが、この論文のキイ・ポイントとして、3点を指摘しているので、次に列記する。
● 日米安保条約は、過去50年間アジアの平和の維持のために貢献した。
● 隣の核兵器プログラムや中国の台頭する軍事力などの安全保障問題が、日米同盟の将来に重要な政治問題を提起している。
● 今日、オバマと鳩山政権は、お互いに、この同盟関係が、その安全保障戦略のキイ・エレメントとなるのか、過去の時代の時代遅れの遺物になってしまったのか、そのどちらであるのか決断しなければならない。
私が、残念に思うのは、世界に貢献したいと言う日本自身が、確固たる世界観を明確にせず、かつ、日米関係のあるべき姿を想定した将来像ビジョンを持たずに、末梢的とは言わないが、普天間がどうだと言ったことばかりに現を抜かしていることである。
日本が独立して早半世紀以上、世界一の経済力を誇った大国にも上り詰めて、世界中の賞賛を集めたことのある日本が、何故、確固たる信念を持ってアメリカに渡り合って、正しくて公正な日米関係を構築できないのか、鳩山バッシングに明け暮れている余裕などないはずである。
このオピニオン・コラムの筆者マイケル・オースリンは、保守的なアメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長で、WSJのコラムニストであると同時に、多くのメディアで、日米関係に関して論陣を張っている論客であり、貴重な知日派の学者の一人である。
しかし、JAPAN DISSINGとは、穏やかならない発言であり、これまでの、ジャパン・バッシングやジャパン・パッシングとは違った、かなり強烈な表現で、普天間問題を筆頭とした鳩山政権に対するアメリカの苛立ちが、如実に現れている。
disと言う動詞を辞書で引くと、「ばかにする」「侮辱する」「悪口を言う」「けなす」と言う訳語が出てくるが、要するに、disrespect, disapprove, dismissと言った単語のdisであるが、WSJの日本語訳では、dissingを、「切り捨て」と訳しているのだが、これに従うとしても、そのニュアンスは大きく違う。
少し前に出たWSLのアル・カーメンの「Among leaders at summit, Hu's first」で、核サミットで、鳩山首相がオバマに会って貰えずに、お情けで晩餐会の席で横に座らせてもらって10分間ほど会話を許されたが、最大の敗者だったと揶揄されたあの記事よりはましだとしても、日本を馬鹿にして侮辱する時代になったとは、容易ならざる表現である。
いずれにしろ、鳩山内閣の煮え切らない対応に対しては、問題があるとしても、どうでも良い客には会っても、日米安保50周年を祝った世界で最も重要な同盟国日本の首相が会談をしたいと申し込んでいるのに袖にするなどと言うのは、外交儀礼上もあってはならないことで、オバマの態度は正に言語道断である。
もっと情けないのは、このオバマの態度に対して、誇り高い日本の政治家も識者もメディアも、そして、一般国民も、何の効果的かつ強力な抗弁もせずに、谷垣氏を筆頭に鳩山首相の馬鹿さ(?、本人が国会の党首討論の場で認めてしまったのが致命的)加減のみを揶揄していると言う卑屈さである。
この日本を、オースリンが、JAPAN DISSIGと言う表現で、昔の「日本を叩こう」、「日本を無視しよう」と言ったスローガンと同じで、「日本を馬鹿にしよ」うと言うのが、アメリカ人の日本に対するスタンスなら許せないと同時に、アメリカがそのような態度を取るなら、日本人にも考えがある言うことである。
ところで、ここまでは、やや感情的な私見だが、オースリンのWSJ記事にしろ、アメリカン・エンタープライズ研究所のホーム・ページに所収されているオースリンの著述にしろ、タイトルのニュアンスとは違って、かなり、穏健で適切な日米関係を論じていて参考になる。
去る3月17日の米国議会の外交小委員会で、オースリンが呼ばれて、日米関係と日本政治の新時代について「U.S.-Japan Relations: Enduring Tiees, Recent Developments」と言うタイトルで証言している。
鳩山政権の誕生から日本人の世界観の変化や、アメリカ離れからアジア回帰への動向、環境立国政策等々問題多き日本の政治経済社会の現状を、かなり客観的かつ公平に論述しており、日米関係の重要さとその正常な維持が、国際平和と発展のために、如何に、大切かを説いている。
やはり、日米関係の帰趨を制しているのは、中国の存在とその経済軍事的な台頭で、これに対して、日米がいかなるスタンスを取るかによって、日米関係の将来は大きく変わって行く。
沖縄などの米軍基地の存在は、最早、アジアのいかなる国も受け入れを拒否している以上、貴重であるばかりではなく死活問題となる最後の生命線であり、アメリカとしては、地位協定や思い遣り予算が大きく変わらずに普天間基地移転問題が成功裏に収束することが、何よりも大切なのであろう。
オースリンは、日本が、まず、アメリカがアジア太平洋地域における軍事力を縮小して防衛と平和の維持の責任を軽減するのではないか、次に、中国を必須のパートナーとして日本を軽視するのではないかと恐れていると言うのだが、アメリカも同様に、日本の中国への接近を恐れていて同じだとして、むしろ、中国の軍事大国化のほうが危険だと言う。
そのためにも、日本における米軍基地の存在は必須であり、日米関係の重要さと、その正常な維持の大切さを説いている。
しかし、この日本での基地を前提にした米軍の存在が、アジア太平洋地域の総ての人々に歓迎されていて、この地域における平和をアメリカが保障することを願っているのだと言われると、何故、日本だけが、これ程までに犠牲を払ってまで、アメリカに協力しなければならないのか、そして、この地域の平和維持に日本が多大の犠牲を払っているにも拘らず、何故、アジアの人々には、感謝さえもされないのかと言う気持ちで忸怩たるものを感じる。
オースリンは、この1月に、AEIのために、「The U.S.-Japan Alliance:Relic of a Bygone Era?」と言う日米同盟50周年記念のために調査報告を発表している。
タイトルの「日米同盟:時代遅れの過去の遺物か?」と言う微妙なニュアンスに注目すべきであろう。
詳細は省略するが、オースリンが、この論文のキイ・ポイントとして、3点を指摘しているので、次に列記する。
● 日米安保条約は、過去50年間アジアの平和の維持のために貢献した。
● 隣の核兵器プログラムや中国の台頭する軍事力などの安全保障問題が、日米同盟の将来に重要な政治問題を提起している。
● 今日、オバマと鳩山政権は、お互いに、この同盟関係が、その安全保障戦略のキイ・エレメントとなるのか、過去の時代の時代遅れの遺物になってしまったのか、そのどちらであるのか決断しなければならない。
私が、残念に思うのは、世界に貢献したいと言う日本自身が、確固たる世界観を明確にせず、かつ、日米関係のあるべき姿を想定した将来像ビジョンを持たずに、末梢的とは言わないが、普天間がどうだと言ったことばかりに現を抜かしていることである。
日本が独立して早半世紀以上、世界一の経済力を誇った大国にも上り詰めて、世界中の賞賛を集めたことのある日本が、何故、確固たる信念を持ってアメリカに渡り合って、正しくて公正な日米関係を構築できないのか、鳩山バッシングに明け暮れている余裕などないはずである。