熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

人類文明論を考える(6)~縄文時代の長い日本の歴史

2010年04月15日 | 学問・文化・芸術
   「文明」の発展についての従来の解釈に、青柳正規名誉教授は、疑問を提起する。
   古代文明は、次のような過程で成立すると考えられている。
   「まず、農業の発展によって人口が増加し、余剰農産物が生じるようになると、集落が大規模化し、富の偏在が起こり、社会的な階層化と職業の分化が進み、更に、大規模集落とは性格を異にする都市と言う集住形態が生まれる。都市化の形成とともに、更なる社会的な垂直化が侵攻して社会階級が生まれ、職業の専門化による人々の相互依存と相乗効果の度合いが更に増し、この段階で文明が形成される。
   更に、文明の普及範囲内で、文明の高度化が進行すると同時に、灌漑などによる水資源や水力の統御が可能となり、各種の生産技術が進展し、周辺との交易が開始されるなど、遠方の異なる文明との相互刺激により、更なる文明の発展が促進される。」
   
   しかし、ファラオ時代のエジプトやナイル流域を除いたアフリカ大陸、プレコロンビア時代の南北アメリカなどには、この定義を適用するのは難しいと言うのである。
   アンデスでは、先土器時代、つまり形成期早期の祭祀用建造物が発見されたことによって、余剰農産物の明確な備蓄施設も十分に見当たらず土器すらなかった時代に既に宗教施設が生まれていることが立証されており、従来の唯物的進化のイメージと真っ向から対立する文明展開である。

   さて、このような文明の展開論を敷衍して日本の古代の歴史を考えて見ると、日本独自の歴史的な進展の姿が見えてくるのではないかと言うのが、青柳教授のもう一つの指摘である。
   我々子供の頃には、日本では、縄文時代があまりにも長くて、弥生時代に到達したのが随分経ってからで、何故、文明の発展が頓挫してそんあにも遅れてしまったのか、疑問に思ったのだが、日本の縄文文化を、日本の風土にマッチした歴史的展開だと考えれば、その豊かさに納得が行くのである。
   この考え方は、経済発展の理論にも言えることで、学生時代に、ロストウの経済発展の5段階説に基づいて、如何に、国民経済がテイクオフするかのと言ったことに関心を持って勉強していたが、現実に、インド経済の躍進を考えれば、農業、工業、サービス業と言った順序で経済がテイクオフするのではなく、一挙に最先端のITから経済発展を始動しており、こんなケースは他にも沢山あるのである。

   人類が生み出した技術の中で石器づくりが最古であるが、更に人類の生活を大きく向上させ文明の発展に寄与したのは、土器づくりなのだが、何と、世界最古の土器は、日本の縄文土器で、今から1万2000年前だと言うのである。
   この年代は、文化文明が伝播して来たと思われている西アジアや中国に比べて例外的に早く、朝鮮半島と比較しても数千年も早くて、インドやヨーロッパと比べても6~7千年早いと言うのであり、あの華麗で複雑な芸術的装飾の素晴らしさを考えれば、驚異的だと言わざるを得ない。
   
   土器が必要となるのは、食物を煮炊きするためで、移動しながら獲物を追う狩猟民には無理で、一定の定住生活が安定していることが前提で、定住集落、植物の栽培、動物の家畜化などとともに新石器時代を特徴づける有力な基準だと言う。

   日本では大陸から九州北部に伝わった稲作が主流となった弥生時代の到来は遅かったが、重要なのは、農業の開始時期の早さによって文化の発展の度合いをはかるのではなくて、食糧確保の方法が農耕であれ狩猟採取漁労であれ、人間生活の充実度の観点から食料の長期保証が確保されているかどうかである。
   東日本の縄文文化は、食料資源に恵まれたナラ林地帯にあり、西日本よりはるかに自然の食料に恵まれていたので、稲作に跳びつく必要がなかったのと、寒さの所為で稲作が難しかった等の理由で稲作文化が短期間に北上しなかったのだろう。
   豊かな自然に恵まれて、狩猟採集の対象となる植物や小動物が日本列島に豊富で、農耕と言う生産活動をしなくても食べて行けたので、西アジアや地中海世界と比べて農耕が遅く始まったのは、極東の島国の後進性だとは、必ずしも言えないと言うのが青柳教授の見解である。
   
   この土壌と気候に恵まれ、少し手をかければ比較的容易に農耕が出来る日本であった故に、使役のために牛馬などの動物の力をそれ程必要とせず、奴隷が普及しなかったのも、他文化と違った日本の特色である。
   日本人が世界でも稀なホモジニアス(均質)な民族と言われるが、この日本人の特質も、恵まれた自然環境と安定的かつ小規模な農耕によって育まれたもので、突出した金持ちも居なければ極貧の人も少ない、みんなが程々に食べて行ける、豊かさも貧しさも極端な差がない社会を生み出したのだ言う。
   尤も、この均質性などの日本人の特質が、日本の発展を促進して来た反面、今度は、今日の日本においては、低迷の一因になっているとして、日本教の俄か教祖となった中谷巌氏と、一寸ニュアンスの違った見解を述べているのが面白い。

   ここでのポイントは、文化文明も、そして、経済や社会の発展も、一本調子の紋切り型の発展論などはあり得ないと言うことで、夫々に特色があり、そんな理論に引っ張られて本質を見損なうと、大変な判断間違いを起こすと言うことであろうか。
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