都響の定期、カザフスタンのアラン・ブリバエフの指揮で、村治佳織がロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を弾いた。
この曲に対する私自身の思い入もあるのだろうが、非常に素晴らしい感激的な時間を過ごさせて貰った。
村治佳織のギターは、今までに、一度リサイタルを聞いただけだが、何度か他のメディアでも聞く機会があり、その情感豊かな演奏に感激している。
このアランフェス協奏曲については、ロンドンで一度演奏会で聴いたくらいで、私の思い出の殆どは、若い頃、ナルシソ・イエペスのレコードの演奏を何度も聞いて、まだ見ぬスペインに憧れていた。
セゴビアのリサイタルに出かけたような記憶があるのだが、定かではないけれど、やはり、禁じられた遊びや「アルハンブラ宮殿の思い出」などと言ったポピュラーな曲を通してしか、ギターに親しむ機会はなかった。
私は、クラシック音楽を聴く時には、何故か、その音楽の生まれた国の情景を思い出しながら聞くことが多い。
尤も、行ったことのない国、例えば、空港しか知らないロシアなどは、上空から見たシベリアなどの印象だったりするのだが、感激すると、頭の中を走馬灯のように、異国の風景が駆け巡る。
このアランフェス協奏曲は、ロドリーゴが、マドリッドの南方の王家の離宮のある風光明媚な古都アランフェスの情景を基に着想を得て作曲したのだと言う。
作曲当時、内戦で荒廃した国土の悲惨さを思い、スペインの平和を希求して作曲したと言われているのだが、曲の核心部分の緩徐楽章には、不幸にも初子を流産した悲しみと妻への慰め思いが込められていると言うから、切々と語りかけるような実に優しいギターの音色が感動的である。
私など、第二楽章のアダージョの冒頭を聞くだけで、涙が出るほど感激する。
私がスペインに初めて行ったのは、もう、40年近くも前のことで、マドリッドやトレドよりも、アルハンブラ宮殿のあるグラナダに感激して、あの宮殿で長い時間を過ごした。
当時は、観光客も少なくて、シーンと静まりかえった宮殿を心行くまで楽しむことが出来たが、その後、二度出かけたが、そんな幸せな時間はもうなかった。
洞窟で聞いたジプシーのフラメンコの哀愁を帯びた音色も忘れられない。
セビリア、コルドバ、バルセロナ、セゴビア、サラマンカと少しずつスペインの思い出は広がって行ったが、ドン・キホーテやカルメンの世界そのままのスペインを感じたりしたのだが、風土そのものもそうだが、やはり、長い間、イスラムに支配されていた歴史と文化の融合の所為か、他のヨーロッパの国、同じラテンのフランスとも違った独特の雰囲気があり、それが、スペインの魅力でもあった。
ブラジルの調査にために、あの大航海時代のポルトガルとスペインの歴史を調べ始めたのだが、勉強すればするほど、魅力的な国である。
村治佳織は、満場の熱烈な拍手に応えて、アンコールにローラン・ディアンスの「タンゴ・アン・スカイ」を演奏した。
これが実に素晴らしい演奏であった。
チュニジア出身のフラン人の作曲だと言うことで、インターネットの蚊帳吊りウサギ訳 からの引用だが、”マニキュアをしたように飾り立てるのではなく、ブエノスアイレスのはずれの粗野な悪の街に、自らの心を解き放つ方が、よほどこの曲にふさわしい。 このタンゴは、一種の洒落。そのタイトルからわかるように、イミテーションだ。”と言っている。
ところで、この日の定期公演のプログラムは、グリンカ:スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴサーネによる華麗な奇想曲」と、スクリュアーピン:「交響曲第2番ハ短調作品29」。
スクリャーピンは初めて聞く曲だったが、若さ溢れるブリバエフのエネルギッシュでダイナミックな演奏を存分に楽しませて貰った。
(追記)口絵写真は、チラシからの転写
この曲に対する私自身の思い入もあるのだろうが、非常に素晴らしい感激的な時間を過ごさせて貰った。
村治佳織のギターは、今までに、一度リサイタルを聞いただけだが、何度か他のメディアでも聞く機会があり、その情感豊かな演奏に感激している。
このアランフェス協奏曲については、ロンドンで一度演奏会で聴いたくらいで、私の思い出の殆どは、若い頃、ナルシソ・イエペスのレコードの演奏を何度も聞いて、まだ見ぬスペインに憧れていた。
セゴビアのリサイタルに出かけたような記憶があるのだが、定かではないけれど、やはり、禁じられた遊びや「アルハンブラ宮殿の思い出」などと言ったポピュラーな曲を通してしか、ギターに親しむ機会はなかった。
私は、クラシック音楽を聴く時には、何故か、その音楽の生まれた国の情景を思い出しながら聞くことが多い。
尤も、行ったことのない国、例えば、空港しか知らないロシアなどは、上空から見たシベリアなどの印象だったりするのだが、感激すると、頭の中を走馬灯のように、異国の風景が駆け巡る。
このアランフェス協奏曲は、ロドリーゴが、マドリッドの南方の王家の離宮のある風光明媚な古都アランフェスの情景を基に着想を得て作曲したのだと言う。
作曲当時、内戦で荒廃した国土の悲惨さを思い、スペインの平和を希求して作曲したと言われているのだが、曲の核心部分の緩徐楽章には、不幸にも初子を流産した悲しみと妻への慰め思いが込められていると言うから、切々と語りかけるような実に優しいギターの音色が感動的である。
私など、第二楽章のアダージョの冒頭を聞くだけで、涙が出るほど感激する。
私がスペインに初めて行ったのは、もう、40年近くも前のことで、マドリッドやトレドよりも、アルハンブラ宮殿のあるグラナダに感激して、あの宮殿で長い時間を過ごした。
当時は、観光客も少なくて、シーンと静まりかえった宮殿を心行くまで楽しむことが出来たが、その後、二度出かけたが、そんな幸せな時間はもうなかった。
洞窟で聞いたジプシーのフラメンコの哀愁を帯びた音色も忘れられない。
セビリア、コルドバ、バルセロナ、セゴビア、サラマンカと少しずつスペインの思い出は広がって行ったが、ドン・キホーテやカルメンの世界そのままのスペインを感じたりしたのだが、風土そのものもそうだが、やはり、長い間、イスラムに支配されていた歴史と文化の融合の所為か、他のヨーロッパの国、同じラテンのフランスとも違った独特の雰囲気があり、それが、スペインの魅力でもあった。
ブラジルの調査にために、あの大航海時代のポルトガルとスペインの歴史を調べ始めたのだが、勉強すればするほど、魅力的な国である。
村治佳織は、満場の熱烈な拍手に応えて、アンコールにローラン・ディアンスの「タンゴ・アン・スカイ」を演奏した。
これが実に素晴らしい演奏であった。
チュニジア出身のフラン人の作曲だと言うことで、インターネットの蚊帳吊りウサギ訳 からの引用だが、”マニキュアをしたように飾り立てるのではなく、ブエノスアイレスのはずれの粗野な悪の街に、自らの心を解き放つ方が、よほどこの曲にふさわしい。 このタンゴは、一種の洒落。そのタイトルからわかるように、イミテーションだ。”と言っている。
ところで、この日の定期公演のプログラムは、グリンカ:スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴサーネによる華麗な奇想曲」と、スクリュアーピン:「交響曲第2番ハ短調作品29」。
スクリャーピンは初めて聞く曲だったが、若さ溢れるブリバエフのエネルギッシュでダイナミックな演奏を存分に楽しませて貰った。
(追記)口絵写真は、チラシからの転写