今日、TVも新聞も、ウォール街でのデモを報道していたが、「Occupy Wall Street(ウォール街を占拠しよう)」をスローガンにしたデモ活動は2週間以上前からウォール街の近くにあるズコッティ公園を本拠として行われており、金融界の「強欲と腐敗」への抗議などが目的だとしている。
ウォール街から市内のブルックリン橋などに広がり、警察は橋の交通をふさいだなどとしてデモ参加者700人以上を逮捕したと言うのだが、「アラブの春」に触発されて、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの影響で拡大したと言うから、正に、現代的なデモである。
NHKは、政府の経済政策への反発だと報道していたが、やはり、リーマンショック以降、一向に経済状態が良くならずに、格差の拡大と貧困の増加が益々進行していることへの、国民、特に、失業率が増加して労働環境が悪化の一途を辿っていることへの、強い抗議行動であろう。
大金持ちのバフェットの税金が、秘書の税金よりも低いのはおかしいと抗議をしたのを受けて、オバマが、富裕層の増税を、再び提唱して脚光を浴びているが、税の質が違うので一概には言えないものの、共和党など保守主義者には、依然、経済を牽引する筈の富裕層の増税は、経済発展のインセンティブを削ぎ、経済に悪影響を与えるのでダメだと言うラッファーのような人々の影響力が強い。
それに、いまだに、貧困層のアメリカ人の中にも、努力すれば、いつかは豊かになれると言うアメリカン・ドリームを信じている人々が多いのだと言うから、根の深い自由主義経済思想でもある。
根本的な問題は、やはり、日本と同じで、国民生活の悪化と貧窮である。
WSJの報道では、「米国勢調査局が13日発表した生活水準に関する年次報告によると、米国の標準的な家庭の所得(年収の中央値)はインフレ調整後ベースで前年比2.3%減の4万9445ドル(約381万円)だった。この所得中央値は、高い失業率と厳しい雇用環境を受けて給与の増加が難しくなっているため、07年以降減り続けている。」
1990年代の初めから、バブルの崩壊とデフレ不況に喘ぎ始めた日本とは逆に、ICT革命で、一気に高度成長に突入した筈のアメリカだったが、IT不況後は、所得の減少は長期的なトレンドとなり、ここ10年間の賃金上昇分が吹き飛んだ形で、インフレ調整後の所得は1999年のピークから7.1%減で、5万ドルを割り込んだのは1997年来初めてだと言う。
あのサブプライム問題が表面化し、リーマンショックが起こるまでは、賃金・給与所得が増えなくても、住宅などの資産価値の増加と緩いクレジット・システムにバックアップされて、アブク銭に頼ってキリギリス生活が出来たので、気にならなかったのであろう。
今や、深刻なのは、貧困率で、2010年の公式貧困率(4人家族で所得が2万2314ドル(172万円)を割り込む世帯の構成人数の人口比)は15.1%に達しており、貧困者は数で見ると4600万人で、1959年に統計を取り始めて以降最多で、15.1%という比率で見ると、1993年と同水準で、1983年以降最高だと言う。
健康保険に入っていない人の数は、2009年の4900万人から2010年は4990万人に増え、保険未加入者率は16.3%となったと言うのだが、その上に、共和党の圧力で、高齢者や障碍者向けのメディケアや貧困層向けのメディケイドを引き下げようとしているのであるから、生きて行くのも大変である。
私の感覚では、アメリカの物価は、日本並みだと思うのだが、失業率が、9.1%と言う高率で、いつ就職できるか分からない状態で、この程度の低い所得であるにも拘わらず、健康保険にも入れず、不幸はすべて自分持ちと言うアメリカの厳しさは、最も豊かな国の国民生活の実態だとは思えないほど過酷である。
年金に季節ごとにボーナスがつき、買い物は税務署員と一緒になって二重領収書で脱税して山分けし、大企業と云えども税金を払おうともしないギリシャなどと比べれば、法治国家のアメリカ人は、真面目に一生懸命に働くのだが、働けど働けど、益々、生活は厳しくなる一方。
しかし、金持ちはどんどん豊かになって、富の大半を収奪し、格差は、益々、拡大の一途を辿っていて、期待の星オバマは、鳴かず飛ばずで頼りにならず、病んだアメリカは、瀕死の状態で呻吟している。
さて、我が国日本だが、賢くあるべき筈のマスコミまで、いまだに、小沢問題にうつつを抜かして報道し続けている。
日本の民主主義は、今も、マッカーサーが言ったように12歳のままなのであろうか。法制度は機能しているのであろうか。
この日本が、沈没するかしないかと言う数年間の危機的な貴重な時期に、小沢問題で、どれだけ、日本の再生と政治にマイナスのバイアスがかかって、足を引っ張って日本をダメにして来たか、いい加減にしろと言えない程、日本人はダメな国民なのであろうか。
自分が生きている間は、日本の凋落を見たくないと、わが仕事のパートナーは、いつも言っているが、私自身は、少しずつ、足音が近づいているような気配を感じて、慄然としている。
ウォール街から市内のブルックリン橋などに広がり、警察は橋の交通をふさいだなどとしてデモ参加者700人以上を逮捕したと言うのだが、「アラブの春」に触発されて、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの影響で拡大したと言うから、正に、現代的なデモである。
NHKは、政府の経済政策への反発だと報道していたが、やはり、リーマンショック以降、一向に経済状態が良くならずに、格差の拡大と貧困の増加が益々進行していることへの、国民、特に、失業率が増加して労働環境が悪化の一途を辿っていることへの、強い抗議行動であろう。
大金持ちのバフェットの税金が、秘書の税金よりも低いのはおかしいと抗議をしたのを受けて、オバマが、富裕層の増税を、再び提唱して脚光を浴びているが、税の質が違うので一概には言えないものの、共和党など保守主義者には、依然、経済を牽引する筈の富裕層の増税は、経済発展のインセンティブを削ぎ、経済に悪影響を与えるのでダメだと言うラッファーのような人々の影響力が強い。
それに、いまだに、貧困層のアメリカ人の中にも、努力すれば、いつかは豊かになれると言うアメリカン・ドリームを信じている人々が多いのだと言うから、根の深い自由主義経済思想でもある。
根本的な問題は、やはり、日本と同じで、国民生活の悪化と貧窮である。
WSJの報道では、「米国勢調査局が13日発表した生活水準に関する年次報告によると、米国の標準的な家庭の所得(年収の中央値)はインフレ調整後ベースで前年比2.3%減の4万9445ドル(約381万円)だった。この所得中央値は、高い失業率と厳しい雇用環境を受けて給与の増加が難しくなっているため、07年以降減り続けている。」
1990年代の初めから、バブルの崩壊とデフレ不況に喘ぎ始めた日本とは逆に、ICT革命で、一気に高度成長に突入した筈のアメリカだったが、IT不況後は、所得の減少は長期的なトレンドとなり、ここ10年間の賃金上昇分が吹き飛んだ形で、インフレ調整後の所得は1999年のピークから7.1%減で、5万ドルを割り込んだのは1997年来初めてだと言う。
あのサブプライム問題が表面化し、リーマンショックが起こるまでは、賃金・給与所得が増えなくても、住宅などの資産価値の増加と緩いクレジット・システムにバックアップされて、アブク銭に頼ってキリギリス生活が出来たので、気にならなかったのであろう。
今や、深刻なのは、貧困率で、2010年の公式貧困率(4人家族で所得が2万2314ドル(172万円)を割り込む世帯の構成人数の人口比)は15.1%に達しており、貧困者は数で見ると4600万人で、1959年に統計を取り始めて以降最多で、15.1%という比率で見ると、1993年と同水準で、1983年以降最高だと言う。
健康保険に入っていない人の数は、2009年の4900万人から2010年は4990万人に増え、保険未加入者率は16.3%となったと言うのだが、その上に、共和党の圧力で、高齢者や障碍者向けのメディケアや貧困層向けのメディケイドを引き下げようとしているのであるから、生きて行くのも大変である。
私の感覚では、アメリカの物価は、日本並みだと思うのだが、失業率が、9.1%と言う高率で、いつ就職できるか分からない状態で、この程度の低い所得であるにも拘わらず、健康保険にも入れず、不幸はすべて自分持ちと言うアメリカの厳しさは、最も豊かな国の国民生活の実態だとは思えないほど過酷である。
年金に季節ごとにボーナスがつき、買い物は税務署員と一緒になって二重領収書で脱税して山分けし、大企業と云えども税金を払おうともしないギリシャなどと比べれば、法治国家のアメリカ人は、真面目に一生懸命に働くのだが、働けど働けど、益々、生活は厳しくなる一方。
しかし、金持ちはどんどん豊かになって、富の大半を収奪し、格差は、益々、拡大の一途を辿っていて、期待の星オバマは、鳴かず飛ばずで頼りにならず、病んだアメリカは、瀕死の状態で呻吟している。
さて、我が国日本だが、賢くあるべき筈のマスコミまで、いまだに、小沢問題にうつつを抜かして報道し続けている。
日本の民主主義は、今も、マッカーサーが言ったように12歳のままなのであろうか。法制度は機能しているのであろうか。
この日本が、沈没するかしないかと言う数年間の危機的な貴重な時期に、小沢問題で、どれだけ、日本の再生と政治にマイナスのバイアスがかかって、足を引っ張って日本をダメにして来たか、いい加減にしろと言えない程、日本人はダメな国民なのであろうか。
自分が生きている間は、日本の凋落を見たくないと、わが仕事のパートナーは、いつも言っているが、私自身は、少しずつ、足音が近づいているような気配を感じて、慄然としている。