このタイトルは、「くらべる一面」に掲載されていた元読売新聞芸能部長 西島雄造氏のコラムで、活字本の落日へのオマージュとも言うべき興味深いエッセイで、アマゾンが、日本でキンドルを発売すると言う話題とも考え合わせれば、悲しいことかも知れないけれど、楽天などに駆逐されつつある現在の多くのリアルショップの凋落と同じで、デジタル革命の当然の帰結であろう。
それに、色々な機関が、膨大な書物や論文などを、どんどんデジタル化して、インターネットで自由にアクセスできる時代になったのだから、ある意味では、本など買う必要がなくなりつつあるのである。
神田神保町の古書街では、「人間の英知・知性を誇りたくなる古今東西の名著・良書が、悲しくなるほどの廉価で売られている。」と書いているが、それは、多少大袈裟だとしても、私が若い頃には手が出せなかったような高度で高い書物でも、二束三文で売られているのを見ても、その嘆きは分かる。
変わったところでは、新刊本を10%引きで売っていた書店が、いつの間にか、完全に古書店に変ってしまっていたことくらいだが、確かに、古書の値段が下がって来ており、新古書も、すぐに、値下げして店頭に並ぶようになってきている。
私など、最新刊の新古書(古書店で売っている新刊書)を目がけて、神保町に行くことが多いので、所謂、古本には、殆ど興味がないのだが、神保町を歩いていて、気付くのは、やはり、古書店での客は限られており、大半の客は、三省堂などの大型の新刊書店に集まっているような感じがする。
新刊本が売れているのか売れていないのか分からないが、コンビニなどの雑誌売り場と違って、立ち読み客ばかりではなく、仕事の暇を見て、買い溜めして行く客もかなりいて、本好きな人は、結構いるように思うのだが、上階に上がると客数はグンと少なくなる。
西島さんは、「電車で読書している人の本の背表紙を見ると、図書館から借りたものが少なくない。財布の余裕、蔵書を増やせない居住環境の問題などもあるだろう。」と書いているが、これは、私の知人にもいるが、本を読みたいが、買ってまでして読みたくない、特別な本なら別だがどうせ読み飛ばすのだから買うのは勿体ないと言うことであろう。
最近、私の良く買う経済や経営関係の本では、大体、2~3000円台に値上がりして来ているが、それでも、知的満足を味わえると思うと、随分安いのだが、人夫々で、この人たちは、本への支出は抑えたいのであろう。
私は、人の読んだ本を読むなどと言う気持ちには全くなれないので、図書館にも行かないし、飛ばし読みの場合は別として、大体、気が付けば、小説でも、付箋を貼ったり書き込んだりしているので、高くても自分で買った自分の本でないと都合が悪いのである。
さて、最近、タブレットや電子書籍の進化で、e-bookが非常に便利になったようだが、今のところ、使うつもりはないが、キンドルが出れば、試みて見ようかと思っている。
以前、クルーグマンが、来日時に重宝していると言っていたのだが、必要な時に、瞬時に、その本や資料を、アップツーデートに取得できて読めると言うのは、大変な利点である。
最近では、欧米の専門書などは、日本語の翻訳本より、アマゾンで買えば原書の方が随分安くて早く手に入るので、本によっては、原書に切り替えて読んでいるのだが、これが結構便利なのである。
さて、私の書棚だが、本が増え過ぎて、体をなしていない。
新しく買った本を、どんどん積み重ねて行くのだが、書き物をする時に、古い本を引っ張り出して参照しているので、新旧取り混ぜて、狭い机の上は、ぐちゃぐちゃになる。
本棚に整理できれば、必要な本を探すのは容易であろうが(実際には、そんなに簡単ではない)、あっちこっちの書棚は、既に満杯。とにかく、足元に、背表紙さえ見えない程の積読であるから、目的の本に行き着くのが、また、大変であるが、それも、日常茶飯事なので、諦めている。
こんな調子であるから、私の場合は、リアル本屋か、ネット書店かと聞かれれば、活字本主体であって、電子ブックには馴染まないであろうけれど、本を買うのは、本屋とネットショッピングが半々と言うところであろうと思う。
紙媒体の活字本に対する限りなき愛は、私にとっては、青春時代の甘酸っぱい想いと共に永遠なのかも知れない。
活字本が、e-bookに変り、リアル本屋が、ネット書店に蚕食されて行くのだから、既存の書店は、ダブルパンチで、駆逐されて窮地に追い込まれ、デジタル化で、本そのものが、どんどん、安くなって行くのだから、物書きは、益々、生活が苦しくなるのは、時代の流れであろう。
ところで、余談だが、コンサルタントの仕事や講演の仕事で、本や学術論文があるかどうかを聞かれて、本を出せとしきりに言われることがある。
今更、本でもないし、その才能があるとは思えない。私自身は、このブログで、結構、学術的な論文を意図した文章も書いているし、今回も、講演に際して、このブログを適当に編集してテキストに使おうと思っている。
それに、グーグルの検索でも、多くの方々に読んで頂いているお蔭で、専門分野でも項目によっては、トップや上位にランクされていたり、結構、あっちこっちで引用されたりしているので、それなりの貢献をしているのだと思っている。
ICT革命で、インターネットの時代であるから、活字媒体の論文や本でなくても、ブログで十分だと、勝手に去勢を張っているのだが、全くの素人が書く文章を、皆さまに読んで頂けると言う幸福も、やはり、デジタル革命あったればこそであり、有難いことだと思っている。
それに、色々な機関が、膨大な書物や論文などを、どんどんデジタル化して、インターネットで自由にアクセスできる時代になったのだから、ある意味では、本など買う必要がなくなりつつあるのである。
神田神保町の古書街では、「人間の英知・知性を誇りたくなる古今東西の名著・良書が、悲しくなるほどの廉価で売られている。」と書いているが、それは、多少大袈裟だとしても、私が若い頃には手が出せなかったような高度で高い書物でも、二束三文で売られているのを見ても、その嘆きは分かる。
変わったところでは、新刊本を10%引きで売っていた書店が、いつの間にか、完全に古書店に変ってしまっていたことくらいだが、確かに、古書の値段が下がって来ており、新古書も、すぐに、値下げして店頭に並ぶようになってきている。
私など、最新刊の新古書(古書店で売っている新刊書)を目がけて、神保町に行くことが多いので、所謂、古本には、殆ど興味がないのだが、神保町を歩いていて、気付くのは、やはり、古書店での客は限られており、大半の客は、三省堂などの大型の新刊書店に集まっているような感じがする。
新刊本が売れているのか売れていないのか分からないが、コンビニなどの雑誌売り場と違って、立ち読み客ばかりではなく、仕事の暇を見て、買い溜めして行く客もかなりいて、本好きな人は、結構いるように思うのだが、上階に上がると客数はグンと少なくなる。
西島さんは、「電車で読書している人の本の背表紙を見ると、図書館から借りたものが少なくない。財布の余裕、蔵書を増やせない居住環境の問題などもあるだろう。」と書いているが、これは、私の知人にもいるが、本を読みたいが、買ってまでして読みたくない、特別な本なら別だがどうせ読み飛ばすのだから買うのは勿体ないと言うことであろう。
最近、私の良く買う経済や経営関係の本では、大体、2~3000円台に値上がりして来ているが、それでも、知的満足を味わえると思うと、随分安いのだが、人夫々で、この人たちは、本への支出は抑えたいのであろう。
私は、人の読んだ本を読むなどと言う気持ちには全くなれないので、図書館にも行かないし、飛ばし読みの場合は別として、大体、気が付けば、小説でも、付箋を貼ったり書き込んだりしているので、高くても自分で買った自分の本でないと都合が悪いのである。
さて、最近、タブレットや電子書籍の進化で、e-bookが非常に便利になったようだが、今のところ、使うつもりはないが、キンドルが出れば、試みて見ようかと思っている。
以前、クルーグマンが、来日時に重宝していると言っていたのだが、必要な時に、瞬時に、その本や資料を、アップツーデートに取得できて読めると言うのは、大変な利点である。
最近では、欧米の専門書などは、日本語の翻訳本より、アマゾンで買えば原書の方が随分安くて早く手に入るので、本によっては、原書に切り替えて読んでいるのだが、これが結構便利なのである。
さて、私の書棚だが、本が増え過ぎて、体をなしていない。
新しく買った本を、どんどん積み重ねて行くのだが、書き物をする時に、古い本を引っ張り出して参照しているので、新旧取り混ぜて、狭い机の上は、ぐちゃぐちゃになる。
本棚に整理できれば、必要な本を探すのは容易であろうが(実際には、そんなに簡単ではない)、あっちこっちの書棚は、既に満杯。とにかく、足元に、背表紙さえ見えない程の積読であるから、目的の本に行き着くのが、また、大変であるが、それも、日常茶飯事なので、諦めている。
こんな調子であるから、私の場合は、リアル本屋か、ネット書店かと聞かれれば、活字本主体であって、電子ブックには馴染まないであろうけれど、本を買うのは、本屋とネットショッピングが半々と言うところであろうと思う。
紙媒体の活字本に対する限りなき愛は、私にとっては、青春時代の甘酸っぱい想いと共に永遠なのかも知れない。
活字本が、e-bookに変り、リアル本屋が、ネット書店に蚕食されて行くのだから、既存の書店は、ダブルパンチで、駆逐されて窮地に追い込まれ、デジタル化で、本そのものが、どんどん、安くなって行くのだから、物書きは、益々、生活が苦しくなるのは、時代の流れであろう。
ところで、余談だが、コンサルタントの仕事や講演の仕事で、本や学術論文があるかどうかを聞かれて、本を出せとしきりに言われることがある。
今更、本でもないし、その才能があるとは思えない。私自身は、このブログで、結構、学術的な論文を意図した文章も書いているし、今回も、講演に際して、このブログを適当に編集してテキストに使おうと思っている。
それに、グーグルの検索でも、多くの方々に読んで頂いているお蔭で、専門分野でも項目によっては、トップや上位にランクされていたり、結構、あっちこっちで引用されたりしているので、それなりの貢献をしているのだと思っている。
ICT革命で、インターネットの時代であるから、活字媒体の論文や本でなくても、ブログで十分だと、勝手に去勢を張っているのだが、全くの素人が書く文章を、皆さまに読んで頂けると言う幸福も、やはり、デジタル革命あったればこそであり、有難いことだと思っている。