熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

十月花形歌舞伎・・・獅童の「江戸ッ子繁昌記」

2011年10月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   古典歌舞伎と全く違った雰囲気の今様歌舞伎は面白い。
   新橋演舞場10月公演『芸術祭十月花形歌舞伎』の昼の部の最後は、『江戸ッ子繁昌記 御存知一心太助』で、中村獅童が叔父・萬屋錦之介の当り役、一心太助と徳川家光の二役を演じているのだが、非常に、スピード感のある、胸のすくような芝居をしていて楽しませてくれる。
   義理人情に厚く、粋な江戸ッ子、魚屋の一心太助が、江戸の魚河岸を舞台にして活躍する物語なのだが、今回は、暗殺の陰謀から家光を守るために、大久保彦左衛門(猿弥)から頼まれて、太助が、家光に瓜二つであることから、替え玉として江戸城に入り、逆に、家光が、魚屋となって裏長屋の太助の家に入り込むと言う、天と地ほども違う境遇の二人が、正に、ハチャメチャな生活を繰り広げるのだから、面白くない筈がない。

   私は、歌舞伎や芝居で見たことはないが、中村錦之助の一心太助の映画を見ているので、太助そのものの印象はあるので、そのつもりで見たが、獅童は、錦之助が、歌舞伎座で、この作品をやった時に、腰元の役で出たと言うし、憧れでもあろうから、満を持しての挑戦で、江戸っ子としての気風の良さに、替え玉として江戸城へ上がってからの庶民性と、家光としての威厳と風格を、器用に使い分けて、流石である。
   それに、太助の恋女房のお仲の亀治郎と、御台所の高麗蔵のベター・ハーフの掛け合いが実に上手くて絶妙で、夫との夫婦生活の味が滲み出ていて面白い。
   真夜中に叩き起こされて呼び出された太助が、急いで出て来たので足元がスウスウして寒いと言った台詞や、御台所が寝所を訪れてアタックするあたりなどに、一寸、お色気を差し挟むなど芸が細かいが、随所に、庶民の哀歓と、世間離れした雲の上の人との触れ合いをギャグ化してオブラートに包みこみ、エスプリとウイットを綯い交ぜにした軽妙な舞台運びとスピード感が実に良い。

   楽しかったのは、大久保彦左衛門の猿弥と、用人喜内の右近で、一寸間の抜けた軽妙洒脱でアドリブの利いた好々爺ぶりや庶民性の発露で、芝居に嵌り込んでしまって期せずして滲み出てくる味のある演技である。
   柳生十兵衛を演じた門之助、私が最初に注目したのは、もう20年ほど前の綺麗な芸者姿だったが、今回は、控え目だが、折り目正しい実に渋い演技が中々のものであった。
   そうなると、陰謀を企てて家光を暗殺して、忠長公を四代将軍に祭り上げようとしている鳥居甲斐守(愛之助)などの悪巧み組の古典歌舞伎風の役者たちの演技が、この太助たちの芝居の雰囲気とテンポに合わなくて、何となく野暮ったくなってくるのが不思議である。
   
   ところで、一心太助だが、実在の人物ではないらしく、大久保家で働いていた腰元お仲が、大切にしていた皿を1枚割って手討ちで殺されそうになるのを、一心太助が知って、彦左衛門の前で残りの皿7枚を割り、彦左衛門がお仲および一心太助を許すと言う伝説があり、この話は子供の頃に聞いて居たので知っている。
   一心太助は、その後お仲と結婚し、武家奉公をやめてお仲の実家の魚屋で働くこととなるので、今回の芝居は、その後日談である。
   魚屋となった太助は,江戸の諸方へ出入りをし,市井の情報やカレント・トピックスを聞き出し,レポーターよろしく彦左衛門に報告し,情報屋として懐刀と呼ばれて功があったと言う話もあり、面白い。
   遠山の金さんだとか松平健の将軍ものなどと良く似た世界でもあり、岡っ引きが活躍できたのも江戸時代で、江戸八百八町の情報網を髣髴とさせていて興味深い。

   私が、興味を感じた一点は、やはり、経済や経営を勉強している所為か、魚河岸のセリを否定して、一手に魚の仕入れを独占して、魚ビジネスを、独占統制下に置いてコントロールしようと、御上と図って画策する丹波屋の登場である。
   結局、庶民の生活を守るために、魚屋たちのセリによって魚の価格を市場ベースで決めて、魚ビジネスを維持すると言う家光の決断が下されるのだが、江戸時代の経済事情が垣間見えて興味深かった。

(追記)口絵写真は、歌舞伎美人より借用
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