開幕した国立劇場の歌舞伎は、近松門左衛門の「平家女護島」の通し狂言。
芝翫が俊寛と清盛の二役を演じ、東蔵が後白河法皇、孝太郎が俊寛妻・東屋を演じているのだが、海女千鳥(坂東新悟)、俊寛郎等有王丸(中村福之助)、丹左衛門尉基康(中村橋之助)、丹波少将成経(中村松江)など、若手役者が清新な舞台を務めているものの、非常に意欲的な舞台ながらも、もう一つ舞台が盛り上がらず、惜しくも、空席が目立つ。
「平家女護島」と言えば、普段は、二幕目の俊寛僧都が島に取り残される「鬼界ヶ島の場」のみが、「俊寛」として上演されるのだが、今回は、冒頭に、俊寛の妻・東屋が俊寛に迫られての自害を描いた序幕「六波羅清盛館」が演じられるので、俊寛が、自分の乗船を諦めて、その権利を、丹波少将成経の新妻・海女千鳥に譲って、島に残る心情がよく分かって面白い。
平清盛が、東屋を、わがものにしようと迫るのだが、自分は常盤御前とは違うと毅然たる態度で清盛の邪恋をはねつけ、能登守教経(中村橋之助)の情けある言葉を聞いて自害して果てるので、それを、上使・瀬尾太郎兼康(中村亀鶴)に聞いた俊寛は、最愛の妻を失って帰京の夢断たれて絶望するのである。
残念ながら、いつもの遅刻癖が災いして、冒頭の俊寛が、縛り上げられた東屋を前にして、俊寛を島から戻すかどうかは東屋の返事次第と言い放つ決定的な次のシーン(HPより借用)をミスって、ただ一人取り越された東屋が蹲る場面から見ざるを得なかった。
大体、歌舞伎の舞台は、ninagawa歌舞伎など特殊な舞台を除けば、冒頭の10分くらいは、どうでもよい舞台展開なのだが、今回は、冒頭から核心的シーンが展開されていたのである。

三幕目「敷名の浦磯辺の場 御座船の場」で、
清盛は、厳島への御幸は、後白河法皇(中村東蔵)抹殺が目的だったと、法皇に入水を迫った挙句、海に突き落とす。それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すのだが、怒った俊寛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先に東屋と千鳥の怨霊が現れる。
驕る平家は久しからず、悪行の報いが清盛の身に迫ってくる予感であろうか。
この「敷名の浦の段」は、昨年2月の文楽で観ており、多少記憶が残っているのだが、その時のブログをそのまま引用すると、
備後の敷名に赦免船が到着すると、丁度、厳島に参詣の途中の清盛に遭遇するのだが、平家追討の院宣を出されてはかなわないと、同道した後白河法皇を海中に突き落とすのを、俊寛の身代わりに船に乗って都へ向かう成経の妻千鳥が助けたので、清盛は熊手で千鳥を引き上げて頭を踏み砕く。俊寛を迎えに来ていた有王が、清盛の軍平を蹴散らして、千鳥から法皇を受け取って逃げ去る。千鳥の死骸から怨念の業火が上がって清盛の頭上にとりつくので、恐れをなした清盛は都へ逃げ帰る。
浄瑠璃なので、文楽の方が近松の原作に近いと思うのだが、手持ちの近松門左衛門の浄瑠璃全集には、「平家女護島」が入っていないので、まだ、読む機会を得ていない。
今回の舞台で、取って付けたような感じの有王の派手な立ち回りも、これなら、よく分かるし、ラストの東屋と千鳥の怨霊の登場なども、歌舞伎としての舞台の見せて魅せる演出だと言うことが分かって面白い。
「鬼界ヶ島の場」の舞台設定は、やや、貧弱な感じであったが、三幕目の舞台に設えられた御座船は、豪華で立派に出来上がっていて、素晴らしかった。

芝翫の俊寛は、どうしても、見慣れている幸四郎や吉右衛門と比較してしまうので、多少老成さと言うか芸に円熟味が不足気味で、むしろ、芸の風格から言っても、清盛の方が、適役のような感じがして観ていた。
東蔵は、ベテランの味、孝太郎は、やはり、毅然たる風格を示して好感。
松江の芸の確かさ、亀鶴の偉丈夫、中堅の手堅さで舞台を支え、
今回、芝翫の子息橋之助と福之助、そして、千鳥を演じた新悟の活躍が目立ったが、無難にフレッシュな舞台を見せていた。
鬼界ヶ島の「俊寛」の舞台を観ているだけでも、興味深いが、やはり、今回のように通しで観る「平家女護島」の方が、はるかに面白い。
芝翫が俊寛と清盛の二役を演じ、東蔵が後白河法皇、孝太郎が俊寛妻・東屋を演じているのだが、海女千鳥(坂東新悟)、俊寛郎等有王丸(中村福之助)、丹左衛門尉基康(中村橋之助)、丹波少将成経(中村松江)など、若手役者が清新な舞台を務めているものの、非常に意欲的な舞台ながらも、もう一つ舞台が盛り上がらず、惜しくも、空席が目立つ。
「平家女護島」と言えば、普段は、二幕目の俊寛僧都が島に取り残される「鬼界ヶ島の場」のみが、「俊寛」として上演されるのだが、今回は、冒頭に、俊寛の妻・東屋が俊寛に迫られての自害を描いた序幕「六波羅清盛館」が演じられるので、俊寛が、自分の乗船を諦めて、その権利を、丹波少将成経の新妻・海女千鳥に譲って、島に残る心情がよく分かって面白い。
平清盛が、東屋を、わがものにしようと迫るのだが、自分は常盤御前とは違うと毅然たる態度で清盛の邪恋をはねつけ、能登守教経(中村橋之助)の情けある言葉を聞いて自害して果てるので、それを、上使・瀬尾太郎兼康(中村亀鶴)に聞いた俊寛は、最愛の妻を失って帰京の夢断たれて絶望するのである。
残念ながら、いつもの遅刻癖が災いして、冒頭の俊寛が、縛り上げられた東屋を前にして、俊寛を島から戻すかどうかは東屋の返事次第と言い放つ決定的な次のシーン(HPより借用)をミスって、ただ一人取り越された東屋が蹲る場面から見ざるを得なかった。
大体、歌舞伎の舞台は、ninagawa歌舞伎など特殊な舞台を除けば、冒頭の10分くらいは、どうでもよい舞台展開なのだが、今回は、冒頭から核心的シーンが展開されていたのである。

三幕目「敷名の浦磯辺の場 御座船の場」で、
清盛は、厳島への御幸は、後白河法皇(中村東蔵)抹殺が目的だったと、法皇に入水を迫った挙句、海に突き落とす。それを見た千鳥が、泳ぎ着いて法皇を救い、有王に都へと託すのだが、怒った俊寛は、千鳥を海から引き揚げて殺害し、海に蹴落とす。
天下を掌にした巨悪の権化然とした清盛は、御座船の舳先に立って海を睥睨して、不敵に高笑いするのだが、あたりが暗くなって二つの人魂が飛び交い、忽然と、御座船の舳先に東屋と千鳥の怨霊が現れる。
驕る平家は久しからず、悪行の報いが清盛の身に迫ってくる予感であろうか。
この「敷名の浦の段」は、昨年2月の文楽で観ており、多少記憶が残っているのだが、その時のブログをそのまま引用すると、
備後の敷名に赦免船が到着すると、丁度、厳島に参詣の途中の清盛に遭遇するのだが、平家追討の院宣を出されてはかなわないと、同道した後白河法皇を海中に突き落とすのを、俊寛の身代わりに船に乗って都へ向かう成経の妻千鳥が助けたので、清盛は熊手で千鳥を引き上げて頭を踏み砕く。俊寛を迎えに来ていた有王が、清盛の軍平を蹴散らして、千鳥から法皇を受け取って逃げ去る。千鳥の死骸から怨念の業火が上がって清盛の頭上にとりつくので、恐れをなした清盛は都へ逃げ帰る。
浄瑠璃なので、文楽の方が近松の原作に近いと思うのだが、手持ちの近松門左衛門の浄瑠璃全集には、「平家女護島」が入っていないので、まだ、読む機会を得ていない。
今回の舞台で、取って付けたような感じの有王の派手な立ち回りも、これなら、よく分かるし、ラストの東屋と千鳥の怨霊の登場なども、歌舞伎としての舞台の見せて魅せる演出だと言うことが分かって面白い。
「鬼界ヶ島の場」の舞台設定は、やや、貧弱な感じであったが、三幕目の舞台に設えられた御座船は、豪華で立派に出来上がっていて、素晴らしかった。

芝翫の俊寛は、どうしても、見慣れている幸四郎や吉右衛門と比較してしまうので、多少老成さと言うか芸に円熟味が不足気味で、むしろ、芸の風格から言っても、清盛の方が、適役のような感じがして観ていた。
東蔵は、ベテランの味、孝太郎は、やはり、毅然たる風格を示して好感。
松江の芸の確かさ、亀鶴の偉丈夫、中堅の手堅さで舞台を支え、
今回、芝翫の子息橋之助と福之助、そして、千鳥を演じた新悟の活躍が目立ったが、無難にフレッシュな舞台を見せていた。
鬼界ヶ島の「俊寛」の舞台を観ているだけでも、興味深いが、やはり、今回のように通しで観る「平家女護島」の方が、はるかに面白い。
