熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ギボンの歴史家の誕生と読書

2020年08月07日 | 生活随想・趣味
   ロイ・ポーターの「ギボン 歴史を創る」を読んでいて、第二章の「歴史家の誕生」で、冒頭、非常に若い頃から、歴史家たらんと大志を抱いていたと、子供の頃早くから、過去や異国の物語やロマンスに心を奪われていた。と書いているのに興味を感じた。
   孤独で、ほったらかしにされ、病気がちであった少年には、書物の中に冒険と慰めを発見し、「アラビアン・ナイト」を愛読し、東方の神秘に夢中になって、「アッシリアとエジプトの王朝が私のコマであり、私のクリケットのボールであった。」と言っている。
   母が、9歳の時に亡くなり、未婚のキティ叔母に預けられ、その父がジェントルマンとして相当の蔵書を残していたので、叔母と、東方の歴史や聖書に関する書物ばかりではなく、「オデュッセイア」など、早くから、ギリシャ・ローマの古典に親しみ多くの書物を読んだ。
   書物を愛することを教えられ、早くから徹底的な読書欲を身につけ、知識の基本を初めて学び、理性を最初に行使したのも、この叔母の指導の御陰であり、たとえ、インド全土の財宝をくれると言われても、この読書欲を手放すことはしない。と言う。

   興味深いのは、ギボン少年の正規の教育は、病気のために、グラマ――・スクールを変ったり定期的な出席が不可能で、乱雑極まりなく、ラテン語やラテン文学に関する標準的な訓練する機会を逸した。
   しかし、この居室や寝室への拘束が、学校の課業や同輩との交際から解放されて、手当たり次第にあらゆる書物をむさぼり読んで、この病気を内心密かの喜んで、この不幸が結果的には恵みとなった。と言うのである。
   その後のギボンの読書遍歴は、推して知るべきだが、とにかく、膨大な多岐に亘る書物との邂逅、挑戦が、「ローマ帝国衰亡史」のドライブ要因となったのであろうことは間違いなかろう。

   私など、ギボンなどと比べるべくもないのだが、子供の頃から、何故か、本が好きで、小遣いが入れば、真っ先に行くのが近くの本屋で、その読書好きが続いていて、今でも、月に10冊程度の書物を買い続けている。
   小学生の頃、胃腸が弱くて、梅田の手前中津の済生会病院に定期的に通っていたのだが、帰りには、必ず阪急百貨店の書店に立ち寄って、長い間、そこで、時間を過ごして、宝塚の田舎の小学校に帰って行った。
   勿論、しばしば、本を買えるわけがなかったのだが、次にどの本を買おうか、そんなことを考えながら、新しい本に出会うのが楽しみであった。

   今でも、時間があれば、出かけるところは、書店ばかり。
   幸いなことに、眼鏡は必要だが、目には問題がないので、何時間でも本が読めるので、助かっている。
   沢山の本を読んで、世界中の文化文明、歴史や芸術に憧れて、一歩一歩大地を踏みしめながら歩いてきた、
   ある意味では、大切なところで人生を棒に振ったと思うことがあるのだが、子供の頃に描いた夢の世界、
   アテネのパルテノン、インカのマチュピチュ、ダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエロのルネサンスの文化遺産、スカラ座やウィーン国立歌劇場やMETのオペラetc.
   夢ではなく、書物ではなく、この目で耳で実感してきた。
   歳の所為であろうか、子供の頃に書物を通して叩き込まれた憧れを懐かしく反芻しながら、生きる喜びを噛みしめている。
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