1968年刊だから随分古い本だが、野上素一訳「神曲」の特徴で、それぞれの篇のタイトルが特異で、「地獄界」「浄罪界」「天堂界」、
順を追って、神曲の詩編の抜粋を連ねて、そのシーンを描いた多くの絵画を添えて語る、詩と絵画で見るダンテ「神曲」の世界である。
絵画は、これまでに観たことのない絵ばかりなのだが、地獄篇の絵を見ていて、ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルの原型の雰囲気を感じて興味深かった。
天堂界に移るにつれて当時の宗教画に近くなってくるのだが、まだ、稚拙な感じである。
さて、大分前に読んだので忘れていたのだが、地獄篇で、ダンテが、地獄に落ちたホメロスやオデュッセウスに会うシーンが出てきて、丁度、ホメロスの叙事詩を読んでいるところなので、興味を感じた。
詩人の王ホメロスは、辺獄で、善良だがキリスト教の洗礼を受けなかった者たち、古典の文人に会うシーンで登場し、オデュッセウスとは、権謀術策をこととした亡者のシーンで出てくるのだが、彼らはギリシャ人であって、キリスト教徒でないから、当然、地獄に落ちているのであり、プラトンやソクラテスさえも、この地獄の第一の谷に落ちている。
このような偉大なギリシャの哲人や文人たちに、辺獄の冒頭、第一の谷で会うというのは、ダンテが、ギリシャ文明文化に対して相当造詣が深く畏敬していたからであろうと思う。当時、東ローマ帝国は、オスマントルコの支配下にあったので、イスラムやギリシャ学者経由の知識伝播によったのであろう。
まず、ホメロスとの遭遇は、次の絵の、抜剣を手にした先頭の人物で、ホラティスス、オウィディウス、ルカヌスが後に続く。

オデュッセウスについては、この「神曲」では、相当紙幅を割いて書いており、地獄篇第二十六歌において、自分の航海話を語らせていて非常に興味深い。
権謀術策をこととした亡者と言う位置づけだが、トロイア戦争で、トロイの木馬を考案するなど謀略の士であったということである。
当時の考えによれば、オデュッセウスは、故国イタカに帰り着かず、ポルトガルへ渡り、リスボン市を創り、更に、アフリカの西方の海を行くうちに暴風雨にあって死んでしまったと信じられていた。
ダンテは、オデュッセウスに、妻子や老いた父を思いながらも、この世界を知りたいと言う激情に勝てず、スペインもモロッコもサルジニア島も後にして、ヘラクレスが、この先を越えてはならないと二本の標柱を立てたと言う狭いジブラルタル海峡をも越えて、アフリカ西海岸を南下し南半球の星々が見えるところまで来て、神の御意のままに、大暴風雨に襲われて海に消えていった。と語らせている。
丁度、インドに到達したバスコ・ダ・ガマの航路と同じであって興味深い。
勿論、このオデュッセウスの航海記については野上教授のこの本には間単にしか書かれていないので、平川祐弘教授の「神曲」から原文を読んでの補足だが、オデュッセウスが、船員たちに向かって、「世界の西の最果てに来た。もはや余命の長くない諸君が、日の当たらぬ人なき世界を探ろうとしている・・・諸君は獣のごとき生を送るべく生を享けたのではない。諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである。」と激励するシーンなど実に崇高であって感激する。
さて、このオデュッセウスの航海だが、EUが、欧州共通教科書として編纂した素晴らしい「ヨーロッパの歴史」に、このことに触れたコメントがある。
まず、ギリシャが、植民地を必要とした理由をアリストテレスを引用しながら、貴族階級と民衆との内紛であると説明して、この圧力が海外領土で共同体を創るべくドライブして、この大胆な海洋民族が、ホメロスのオデュッセウスのような波瀾万丈の冒険に乗り出させたのだと言う。
このものがたりは、好奇心旺盛で、大胆不敵、辛抱強く、未知の限界を押し広げて、いかなる障害にも真っ向から立ち向かい、何とか切り抜けていこうとする人物像を描いているのだが、このようなギリシャ人によって発展した大規模な貿易が、彼らを地中海の他の民族と接触させて、地中海が、最初の大きな共同市場になった。と説いていて、ギリシャを持ち上げている。
この記述で、オランダにいたので、小さな港から木っ端のような船に乗って大海原を横切って、日本やインドネシアへ乗り出してきていたオランダ人のギリシャ人にも劣らない凄さを思って感慨を覚えた。
オデュッセイアの記述のこの本の絵画は次のとおり。

ところで、余談ながら、パリスとスパルタからトロイアへ駆け落ちしたへレーナは、肉欲の罪を犯した者として、淫婦クレオパトラやトリスタンとイゾルデなどと一緒に、愛ゆえに現世を追われて、辺獄の第二の谷に落とされている。
この「神曲」では、ダンテの独断と偏見で、法王であろうと国王であろうと直近の友人知人さえ地獄や辺獄へ落として、地獄の責め苦を味わわせているのだから、とにかく凄まじい。
ついでながら、先に紹介した平山郁夫と高階秀爾の「世界の中の日本絵画」のそのあたりのページを添付しておく。
とにかく、洋の東西を問わず、地獄は同じで恐ろしい。

順を追って、神曲の詩編の抜粋を連ねて、そのシーンを描いた多くの絵画を添えて語る、詩と絵画で見るダンテ「神曲」の世界である。
絵画は、これまでに観たことのない絵ばかりなのだが、地獄篇の絵を見ていて、ヒエロニムス・ボスやピーテル・ブリューゲルの原型の雰囲気を感じて興味深かった。
天堂界に移るにつれて当時の宗教画に近くなってくるのだが、まだ、稚拙な感じである。
さて、大分前に読んだので忘れていたのだが、地獄篇で、ダンテが、地獄に落ちたホメロスやオデュッセウスに会うシーンが出てきて、丁度、ホメロスの叙事詩を読んでいるところなので、興味を感じた。
詩人の王ホメロスは、辺獄で、善良だがキリスト教の洗礼を受けなかった者たち、古典の文人に会うシーンで登場し、オデュッセウスとは、権謀術策をこととした亡者のシーンで出てくるのだが、彼らはギリシャ人であって、キリスト教徒でないから、当然、地獄に落ちているのであり、プラトンやソクラテスさえも、この地獄の第一の谷に落ちている。
このような偉大なギリシャの哲人や文人たちに、辺獄の冒頭、第一の谷で会うというのは、ダンテが、ギリシャ文明文化に対して相当造詣が深く畏敬していたからであろうと思う。当時、東ローマ帝国は、オスマントルコの支配下にあったので、イスラムやギリシャ学者経由の知識伝播によったのであろう。
まず、ホメロスとの遭遇は、次の絵の、抜剣を手にした先頭の人物で、ホラティスス、オウィディウス、ルカヌスが後に続く。

オデュッセウスについては、この「神曲」では、相当紙幅を割いて書いており、地獄篇第二十六歌において、自分の航海話を語らせていて非常に興味深い。
権謀術策をこととした亡者と言う位置づけだが、トロイア戦争で、トロイの木馬を考案するなど謀略の士であったということである。
当時の考えによれば、オデュッセウスは、故国イタカに帰り着かず、ポルトガルへ渡り、リスボン市を創り、更に、アフリカの西方の海を行くうちに暴風雨にあって死んでしまったと信じられていた。
ダンテは、オデュッセウスに、妻子や老いた父を思いながらも、この世界を知りたいと言う激情に勝てず、スペインもモロッコもサルジニア島も後にして、ヘラクレスが、この先を越えてはならないと二本の標柱を立てたと言う狭いジブラルタル海峡をも越えて、アフリカ西海岸を南下し南半球の星々が見えるところまで来て、神の御意のままに、大暴風雨に襲われて海に消えていった。と語らせている。
丁度、インドに到達したバスコ・ダ・ガマの航路と同じであって興味深い。
勿論、このオデュッセウスの航海記については野上教授のこの本には間単にしか書かれていないので、平川祐弘教授の「神曲」から原文を読んでの補足だが、オデュッセウスが、船員たちに向かって、「世界の西の最果てに来た。もはや余命の長くない諸君が、日の当たらぬ人なき世界を探ろうとしている・・・諸君は獣のごとき生を送るべく生を享けたのではない。諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである。」と激励するシーンなど実に崇高であって感激する。
さて、このオデュッセウスの航海だが、EUが、欧州共通教科書として編纂した素晴らしい「ヨーロッパの歴史」に、このことに触れたコメントがある。
まず、ギリシャが、植民地を必要とした理由をアリストテレスを引用しながら、貴族階級と民衆との内紛であると説明して、この圧力が海外領土で共同体を創るべくドライブして、この大胆な海洋民族が、ホメロスのオデュッセウスのような波瀾万丈の冒険に乗り出させたのだと言う。
このものがたりは、好奇心旺盛で、大胆不敵、辛抱強く、未知の限界を押し広げて、いかなる障害にも真っ向から立ち向かい、何とか切り抜けていこうとする人物像を描いているのだが、このようなギリシャ人によって発展した大規模な貿易が、彼らを地中海の他の民族と接触させて、地中海が、最初の大きな共同市場になった。と説いていて、ギリシャを持ち上げている。
この記述で、オランダにいたので、小さな港から木っ端のような船に乗って大海原を横切って、日本やインドネシアへ乗り出してきていたオランダ人のギリシャ人にも劣らない凄さを思って感慨を覚えた。
オデュッセイアの記述のこの本の絵画は次のとおり。

ところで、余談ながら、パリスとスパルタからトロイアへ駆け落ちしたへレーナは、肉欲の罪を犯した者として、淫婦クレオパトラやトリスタンとイゾルデなどと一緒に、愛ゆえに現世を追われて、辺獄の第二の谷に落とされている。
この「神曲」では、ダンテの独断と偏見で、法王であろうと国王であろうと直近の友人知人さえ地獄や辺獄へ落として、地獄の責め苦を味わわせているのだから、とにかく凄まじい。
ついでながら、先に紹介した平山郁夫と高階秀爾の「世界の中の日本絵画」のそのあたりのページを添付しておく。
とにかく、洋の東西を問わず、地獄は同じで恐ろしい。

