熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

小塩節著「旅人の夜の歌――ゲーテとワイマル」(1)

2020年08月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   NHKのドイツ語講座の先生であった小塩節教授のゲーテの本。
   ダンテの「ファウスト」を読んだ後、多少、ダンテを知りたくて、野上素一の「ダンテ 人と思想」を読んだのだが、良く分からなくて、この本を読んだのだが、小塩教授の主観がはいいているにしても、非常にビビッドで面白かった。
   
   不朽の名作「ファウスト」の作者であるゲーテにとって重要なのは、故郷フランクフルトを離れて、地方の弱小国ワイマルに移り住んだこと。
   ワイマルの当主カール・アウグストが、貴族でもない平民の行政も政治の経験もないゲーテを、高く評価して厚い信頼を置いて厚遇したのだが、それは、ゲーテは、既に、「若きウェルテルの悩み」の有名作家であり、文人文化人を宮廷に招くのが当時のいわば見栄を張る諸邦の流行であったし、また、母后から国権を譲られたアウグストに、学生時代に読んでいたユストゥス・メーザーの「祖国愛の幻想」から受け売りの大国の画一的な「啓蒙絶対主義」には出来ない小国の良さを説いて感服させたからである。

   勿論、ゲーテは、このワイマル行きに逡巡したのだが、父親の束縛から逃れたかったと言うことの他に、フランクフルトは自由都市ではあったが、社会の階層は固定化していて最上層に上がっていく可能性はなく息の詰まるところであったところでもあり、大きな要因は、アンナ・エリザベート・シェーネマンとの結婚からの逃亡で、決断したという。
   愛や恋を詩や小説、戯曲では、高らかに歌い上げていたゲーテが、少年期から去勢恐怖症があって、性行為によってペニスを食いちぎられるという恐怖症が強かったとか、ダンスで女性に腕を回しただけで濡らすなど、性については知識だけはあり過ぎるほどあって、性には異常に潔癖だったという。

   ワイマル時代に、7歳年上のシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人とのプラトニック・ラブは、有名だが、その10年間に、1772通もの手紙を書いたという。ゲーテの身持ちの良さもあり、冷静な夫人の御陰で、1、2度直接接近しようと迫ったらしいが冷静にはじき返されて、母、姉、恋人という関係で推移し、ゲーテのイタリア行きで終った。主君のアウグストは領内移動毎に子孫を残したようだが、ゲーテは身持ちがよくて、それに、何度か、結婚話が持ち込まれたが、総て断ったという。
   このシャルロッテとの恋は、隠れ蓑で、実際に愛していたのは、母后のアンナ・アマーリアであって、手紙の宛先はこの母后だったという説もある。
   しかし、ゲーテが燃えたのは、当時ドイツで絶世の美女と言われていたマリーア・アントーニァ・フォン・ブランコーニ公爵夫人に対してで、本当は猛烈に欲しかったのだという。しかし、ゲーテは、政治家としてか、作家・詩人としての存在形式のことか、一夜の歓楽よりも、自己の存在のピラミッド確立の方が大事であったにちがいなく、自分こそが何よりも大切だという強烈なエゴイズムで諦めたのだと小塩先生は言う。
   
   ウィキペディアを見ても、ゲーテの女性遍歴というか女性との関係は、色々語られているのだが、この本で、小塩先生が、興味深い視点から語っているので、「若きウエルテルの悩み」や、「ファウスト」への見方に深みが増したような気がしている。
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