ダンテの「神曲」を読んで、しばらく経つが、初期の著作「新生」を読んでみた。
勿論、この「新生」は、ダンテのベアトリーチェへの愛の詩集なのだが、「神曲」でのように、昇天して神格化したベアトリーチェではなく、生身の「あえかなる君」として描いているので、分かりやすくて身近な存在である。
尤も、天国に召されてからは、天使として昇華されて行くのだが。
最後には、「神曲」のように、至高天の上方の栄光の真位に上り、キリストを近くから仰ぎ見る。
まず、最初に気になったのは、平川教授は、ベアトリーチェを、「あえかなる君」という表現で通していることである。
「あえか」は、小学館『日本国語大辞典』では、①触れれば落ちるようなさま。危なっかしい様子。②容姿や気持などが弱々しいさま。かよわく、なよなよとしたさま。はかなげであるさま。きゃしゃであるさま。ふつう若い女性に関して用いられる。また、上品で美しいという感じを伴って用いられることが多い。③自然の景物や夢、希望などのはかなげで美しいさま。と言うことで、例証されているのは、源氏物語の夕顔であるように、この表現では、どうしても、上品で美しいとしてもひ弱ななよなよとしたベアトリーチェ像しか浮かんでこないのである。
ベアトリーチェの絵画像は、いくらかあるが、私は、ヘンリー・ホリディが、1883年に、ヴェッキオ橋の近くのアルーノ川河畔で、ダンテが、18歳の時、愛するベアトリーチェに会った運命的な出会いの瞬間を描いた「聖トリニータ橋でのダンテとベアトリーチェの邂逅 Dante meets Beatrice at Ponte Santa Trinità」(リバープール国立博物館蔵)が、一番イメージを膨らませてくれる良い繪だと思っている。

野上素一教授によると、ダンテが、最初にベアトリーチェに会ったのは、1274年、フィレンツェの少年少女の祭りの日で、真っ白な服を着て色白の美少女ベアトリーチェを一目見るや、雷に打たれたように我を忘れて彼女に執心し、その愛は一生変わらなかったと言う。神秘的な婦人ベアトリーチェは、じつに清新体の詩の女主人公としてはふさわしい人物で、ダンテは、彼女を主題として詩を書き、熱愛していたが、プラトニック・ラブに終わったのは、同じ貴族なので身分上の差からではなく、フィレンツェ第一の銀行家大富豪と貧しい両替業との経済的な落差の大きさだったのだと言う。
18歳のアルーノ川河畔での邂逅以降、ダンテのプラトニック・ラブはつのる一方なのだが、それを他人に気づかれるのが嫌で、彼女を教会で発見した時に、自分が彼女を凝視しているのを隠すために、二人を結ぶ直線状に座っていた一人の貴婦人に関心がある様に装い、そのスケルモ(隠れみの)の婦人が居なくなると、別の貴婦人をスケルモにして凝視し続ける、それを知ったベアトリーチェが、その夫人に迷惑をかけたと言ってダンテを非難して、それ以降は路上で会っても会釈を拒否したと言うのである。
この「新生」で描かれていたのは、ダンテにとって、最大の願いは、あやかなる君から、会釈してもらって素晴らしいご挨拶を受けて味わう至福の喜びであったから、苦痛だったはずだが、このことには触れていない。
ピサへの従軍から帰ったダンテに、ベアトリーチェの父フィルコ・ポルティナーリが病没したと言う知らせが入り、その後、それを追うように、ベアトリーチェも、心労と産褥熱で、25歳の生涯を閉じる。
「新生」では、このあたりの経緯は、表現されているのだが、フィレンツェ第一の富豪の令嬢故、同じ銀行家のシモーネ=デ=バルディと結婚して、24歳で夭折したのだが、両替業でやっと生計を立てていた貧乏貴族の子息ダンテには、高根の花で、片思いに終わったのが苦痛だったのか、マドンナについて、最も気になるはずのこの結婚については、この「新生」には一切触れては居らず、唐突な感じで、一気に、ベアトリーチェの死が歌われているのが興味深い。
私の知らなかった挿話で、高貴な女性の結婚式の食事会に友人に誘われて付きそいで参加した時に、ベアトリーチェに会って、稲妻のような一撃を感じて周章狼狽し正体をなくして、醜態を晒して嘲笑のマトとなったと歌っており、ダンテの片思いが、如何に異常だったか、
ベアトリーチェの側に近づくと、いかにも無様に引きつった顔をして世間の物笑いになる、自分に能力を失わず自由にすらすら答えるだけの力があれば、どんな艱難辛苦があろうとも、会いたいお目に掛かりたいという希いは抑えがたく湧き上がってくる。
ベアトリーチェが逝くまで、ダンテは何回か会っているが、室生犀星ではないが、すべて、「遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」であったというのだが、まさに、俗に言うプラトニック・ラブで、それ故に、あのような至高のベアトリーチェ像を作り上げることが出来たのであろう。
この「新生」は、詞書と歌がある小さな物語が続く点で、「伊勢物語」とよく似た挿詩文という文学ジャンルだという。
「新生」は、ダンテという一青年の「内部生命の歴史」だが、それに比べて、「伊勢物語」は、主人公も話もばらばらの百二十五の説話の集合体だというのだが、高樹のぶ子が、「業平」という小説にしたように、業平の一代記であり、殆ど違いはない。
ただ、「新生」の方は、三十一首の詩が主体になっていて、自註と言うべき詞書が添えられている詩集なのだが、「伊勢物語」の方は、物語が主体であって、和歌が効果的に随所に加えられているという感じで、両方が上手く調和していて、味がある物語になっている。源氏物語や平家物語ばかりに目が行っていたのだが、能を鑑賞し始めてから登場頻度が増すと、最近では、この短い伊勢物語に興味を持ち始めた。
素晴らしいソネットやカンツォーネについても感想を書きたいのだが、残念ながら、私の力の及ばないところである。
「神曲」とは違ったダンテを垣間見た思いで、今道友信先生の神曲講義を読んでみたくなった。
勿論、この「新生」は、ダンテのベアトリーチェへの愛の詩集なのだが、「神曲」でのように、昇天して神格化したベアトリーチェではなく、生身の「あえかなる君」として描いているので、分かりやすくて身近な存在である。
尤も、天国に召されてからは、天使として昇華されて行くのだが。
最後には、「神曲」のように、至高天の上方の栄光の真位に上り、キリストを近くから仰ぎ見る。
まず、最初に気になったのは、平川教授は、ベアトリーチェを、「あえかなる君」という表現で通していることである。
「あえか」は、小学館『日本国語大辞典』では、①触れれば落ちるようなさま。危なっかしい様子。②容姿や気持などが弱々しいさま。かよわく、なよなよとしたさま。はかなげであるさま。きゃしゃであるさま。ふつう若い女性に関して用いられる。また、上品で美しいという感じを伴って用いられることが多い。③自然の景物や夢、希望などのはかなげで美しいさま。と言うことで、例証されているのは、源氏物語の夕顔であるように、この表現では、どうしても、上品で美しいとしてもひ弱ななよなよとしたベアトリーチェ像しか浮かんでこないのである。
ベアトリーチェの絵画像は、いくらかあるが、私は、ヘンリー・ホリディが、1883年に、ヴェッキオ橋の近くのアルーノ川河畔で、ダンテが、18歳の時、愛するベアトリーチェに会った運命的な出会いの瞬間を描いた「聖トリニータ橋でのダンテとベアトリーチェの邂逅 Dante meets Beatrice at Ponte Santa Trinità」(リバープール国立博物館蔵)が、一番イメージを膨らませてくれる良い繪だと思っている。

野上素一教授によると、ダンテが、最初にベアトリーチェに会ったのは、1274年、フィレンツェの少年少女の祭りの日で、真っ白な服を着て色白の美少女ベアトリーチェを一目見るや、雷に打たれたように我を忘れて彼女に執心し、その愛は一生変わらなかったと言う。神秘的な婦人ベアトリーチェは、じつに清新体の詩の女主人公としてはふさわしい人物で、ダンテは、彼女を主題として詩を書き、熱愛していたが、プラトニック・ラブに終わったのは、同じ貴族なので身分上の差からではなく、フィレンツェ第一の銀行家大富豪と貧しい両替業との経済的な落差の大きさだったのだと言う。
18歳のアルーノ川河畔での邂逅以降、ダンテのプラトニック・ラブはつのる一方なのだが、それを他人に気づかれるのが嫌で、彼女を教会で発見した時に、自分が彼女を凝視しているのを隠すために、二人を結ぶ直線状に座っていた一人の貴婦人に関心がある様に装い、そのスケルモ(隠れみの)の婦人が居なくなると、別の貴婦人をスケルモにして凝視し続ける、それを知ったベアトリーチェが、その夫人に迷惑をかけたと言ってダンテを非難して、それ以降は路上で会っても会釈を拒否したと言うのである。
この「新生」で描かれていたのは、ダンテにとって、最大の願いは、あやかなる君から、会釈してもらって素晴らしいご挨拶を受けて味わう至福の喜びであったから、苦痛だったはずだが、このことには触れていない。
ピサへの従軍から帰ったダンテに、ベアトリーチェの父フィルコ・ポルティナーリが病没したと言う知らせが入り、その後、それを追うように、ベアトリーチェも、心労と産褥熱で、25歳の生涯を閉じる。
「新生」では、このあたりの経緯は、表現されているのだが、フィレンツェ第一の富豪の令嬢故、同じ銀行家のシモーネ=デ=バルディと結婚して、24歳で夭折したのだが、両替業でやっと生計を立てていた貧乏貴族の子息ダンテには、高根の花で、片思いに終わったのが苦痛だったのか、マドンナについて、最も気になるはずのこの結婚については、この「新生」には一切触れては居らず、唐突な感じで、一気に、ベアトリーチェの死が歌われているのが興味深い。
私の知らなかった挿話で、高貴な女性の結婚式の食事会に友人に誘われて付きそいで参加した時に、ベアトリーチェに会って、稲妻のような一撃を感じて周章狼狽し正体をなくして、醜態を晒して嘲笑のマトとなったと歌っており、ダンテの片思いが、如何に異常だったか、
ベアトリーチェの側に近づくと、いかにも無様に引きつった顔をして世間の物笑いになる、自分に能力を失わず自由にすらすら答えるだけの力があれば、どんな艱難辛苦があろうとも、会いたいお目に掛かりたいという希いは抑えがたく湧き上がってくる。
ベアトリーチェが逝くまで、ダンテは何回か会っているが、室生犀星ではないが、すべて、「遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」であったというのだが、まさに、俗に言うプラトニック・ラブで、それ故に、あのような至高のベアトリーチェ像を作り上げることが出来たのであろう。
この「新生」は、詞書と歌がある小さな物語が続く点で、「伊勢物語」とよく似た挿詩文という文学ジャンルだという。
「新生」は、ダンテという一青年の「内部生命の歴史」だが、それに比べて、「伊勢物語」は、主人公も話もばらばらの百二十五の説話の集合体だというのだが、高樹のぶ子が、「業平」という小説にしたように、業平の一代記であり、殆ど違いはない。
ただ、「新生」の方は、三十一首の詩が主体になっていて、自註と言うべき詞書が添えられている詩集なのだが、「伊勢物語」の方は、物語が主体であって、和歌が効果的に随所に加えられているという感じで、両方が上手く調和していて、味がある物語になっている。源氏物語や平家物語ばかりに目が行っていたのだが、能を鑑賞し始めてから登場頻度が増すと、最近では、この短い伊勢物語に興味を持ち始めた。
素晴らしいソネットやカンツォーネについても感想を書きたいのだが、残念ながら、私の力の及ばないところである。
「神曲」とは違ったダンテを垣間見た思いで、今道友信先生の神曲講義を読んでみたくなった。