熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

資本主義に未来はあるか──歴史社会学からのアプローチ:ランドル・コリンズの場合

2020年08月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この論文の著者コリンズは、紛争処理の社会学者だが、マルクス経済学的な影響が色濃く、ウォーラーステインの世界システム論を加味した資本主義終末論を展開しているような感じを受ける。
   本人も、マルクス主義を焼き直して、長期的な経済危機の理論をつくったと述べているのだが、私自身、マル経については、殆ど知識がないので、的外れのレビューになるのを覚悟で、考えてみたい。

   まず、冒頭で、機械による労働の技術的代替は、今や、加速化して、中産階級の生存を脅かしており、資本主義的な長期的な脆弱さが目立ってきた。この労働の技術的代替のプロセスが極端に推し進められるならば、マルクスやネオ・マルクス主義的理論におけるような他のプロセスとは関係なく、資本主義の長期に亘る最終的危機が、それ自身によって生み出される可能性が極めて高い。と指摘する。
   かって、マルクスが指摘したように、労働者階級が、機械化を通じて収縮したとき、資本主義は中産階級の出現によって救われたが、今日のコンピュータ化やインターネット、新しいマイクロエレクトロニクス製品の登場は、中産階級を圧縮し始めている。
   少数のエリートが総ての大企業を所有してあらゆるコンピュータ設備やロボットを販売あるいは操縦し、人口の大部分がエリートやロボットに仕える職を得るために仲間争いをすることが放置され、極めて少数の人々しか労働せず、人口の大部分が失業するか低賃金のサービス職を求めて競争するような、高度に自動化されコンピュータ化された社会となり、技術による労働代替が、非常に深刻化して、危機的な状態になると、革命が起こる。と言うのである。
   尤も、革命の引き金は、国家の財政危機、そして、軍事支出などを伴った財政問題などに対するエリート間の対立と行き詰まりなどによる国家機構の麻痺と言った複雑な政治経済要因が絡むのだが、基本的には、労働の崩壊であろう。

   著者は、過去において資本主義は、技術による労働代替の危機から5つの主要な逃げ道で回避してきたとして、これらが、なお、今日の危機回避に有効か検討している。
   新しい技術による新規の職業分野の創出、市場の地理的拡大、金融のメタ市場、政府の雇用と投資、隠されたケインズ主義、の5つだが、いずれの手段も、中産階級の雇用縮小傾向を阻止できないと結論づけている。
   従って、構造的失業は、2040年までに50%、そして、その後まもなく70%に達するかも知れず、21世紀の中頃に資本主義の最終的危機が到来する。これは、ウォーラーステインの世界システム論の結論と一致するというのである。

   しからば、将来はどうなるのか。
   技術による労働代替という構造的傾向は、短期的、循環的、偶発的な危機を経過しながら、資本主義そのものの危機を推し進めていく。また、不平等を拡大するこの傾向は、消費者市場を減らして資本主義を持続できなくして行く。それ故に、危機を解決する方法は、資本主義を、社会主義的所有や、強い中央集権的な規制と計画を意味する非資本主義システムと取り替える事しかないだろう。と言う。
   ソ連の崩壊と共に、国家社会主義体制が終焉したはずであり、著者の分析では、資本主義が、21世紀の末には没落するので、ポスト資本主義の政治経済社会の安定を図るためには、社会主義体制の復活が必須であり、それぞれに優劣があるので、政治経済の二つのシステムの間の揺れが、将来の数世紀にわたって生ずることになるだろう。と言うのである。
   
   私の疑問は、まず、技術の労働代替が、完全に、人間を労働市場から駆逐するはずがなく、何らかの形で、雇用の安定は維持されるであろうと言うこと。
   時代の進展で、農業人口や工場労働人口が急速に低下しても生産はそのまま維持され益々高度化しているように、既存のもの生産やサービスに投入される労働人口は、どんどん、代替されて行くにしても、人間にとって必須な人間にしか生み出せないものやサービスが、いくらでも創造されるであろうし、AIやIOTが究極の働きをしたとしても、人間が生きている限り、人間の働く場は創造されて行くと思っている。

   もう一つは、社会主義体制への短絡的な復帰に疑問。
   中国の国家資本主義体制でさえ、基本的には市場経済を基本とした資本主義体制を根幹としたシステムであるように、多少、計画経済的なリベラルな福祉経済的な要素を加味するなど、望ましい社会を実現するための国家政策による介入は必要であろうが、市場原理を生かした資本主義体制を維持して改革して行くべきで、千年王国やプラトンの哲人政治などではない限り、社会主義体制へ移行すべきではないと思っている。
   前にも書いたように、資本主義そのものを固定観念で考えずに、時代時代に相応しい形で、改革すべきだと思っている。
コメント
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