今朝から、久しぶりに本格的な雨が降り出して、巣籠もりになってしまった。
何時もの通り、和室に入って本を読み始めたのだが、庭の新緑を叩きつける激しい雨音に気をとられて、変った本を読みたくなって、手に取ったのが、高樹のぶ子の「業平」。
日経の朝刊で掲載されていた小説「業平」だが、掲載時には、時々、気づい時に、断片的には読んでいたので、記憶には、少しは残っている。
伊勢物語は、在原業平について書かれた一代記だと言った感じで、受け取ってはいたが、
「むかし、おとこありけり・・・」と言った書き出しで、主語がはっきりしない短編の物語が続いて、和歌が多いこともあって、私にはあまり興味が持てなかったので敬遠していた。
しかし、能を観はじめてから、業平が登場するなど、「伊勢物語」の挿話などが主題となったりすることが結構出てきて、勉強する必要を感じた。
古典文学全集など原典に直接当たるよりは、と思って、解説書を兼ねた「伊勢物語」の参考図書を何冊か買って読み始めた。関係のある本を読んで勉強し始めたのである。
岡野弘彦の「恋の王朝絵巻 伊勢物語」など、結構、勉強になって面白い。
能の舞台で、一番最初に観たのは、「杜若」で、その後、「井筒」、「雲林院」と言った順序で、そのほかにも、業平をテーマにした曲が出てくるなどして、それなりに、面白くなってきた。
歌舞伎の舞台でも、「競伊勢物語」など、「伊勢物語」に関係する演目があり、知っているのと知らないのとでは雲泥の差がある。
しかし、学校で正式に、「伊勢物語」を勉強するなどと言うことは、殆どないので、専門に勉強する人以外は、趣味の世界であろう。
まだ、途中までなので、何とも言えないが、この高樹のぶ子・伊勢物語は、私の知っている部分では、結構丁寧に原典をフォローしているように思えるが、殆ど、創作文学のような感じがしている。
原典を解説入りで読んで、在原業平をイメージするよりも、高樹のぶ子は、遙かにビビッドに貴公子業平を生身の人間として描いていて、実に、面白いのである。
高名な作家たちの「源氏物語」の現代語版が犇めいているが、これらは、ある程度、翻訳的な要素が濃厚なので、どこか文学として限界があるような気がする。
しかし、高樹伊勢物語業平は、実にイキイキとした現代小説なのである。私には、そう思えて実に面白い。
冒頭の初冠から、光源氏譲りのドンファンぶりで、本来は、小説よりも奇なりと言った破天荒(?)な恋多き文化人であったのであるから、当然だろうが、源氏物語を読んでいるようなドラマティックな展開が魅力である。
光源氏は、藤壺以外はことごとく上から目線で、強引に迫ったが、業平の場合には、高貴な禁断の乙女に誠心誠意必死になって恋求め続けていたのは、歌詠む貴人の美学であったのであろうか、高樹のぶ子は、業平の禁忌の恋の軌跡を、感動的に綴っている。
源融なども登場してくるので、この本と源氏物語を読めば、爛熟して微かなアンニュイの香りさえ漂わせる平安王朝の文化の豊かさ素晴らしさが垣間見えてきて興味深い。
いつも、経済や経営の専門書ばかりを読んでいるので、雨の日、急に思い立って、この本を読んだのだが、これも、読書の楽しみなのであろう。
何時もの通り、和室に入って本を読み始めたのだが、庭の新緑を叩きつける激しい雨音に気をとられて、変った本を読みたくなって、手に取ったのが、高樹のぶ子の「業平」。
日経の朝刊で掲載されていた小説「業平」だが、掲載時には、時々、気づい時に、断片的には読んでいたので、記憶には、少しは残っている。
伊勢物語は、在原業平について書かれた一代記だと言った感じで、受け取ってはいたが、
「むかし、おとこありけり・・・」と言った書き出しで、主語がはっきりしない短編の物語が続いて、和歌が多いこともあって、私にはあまり興味が持てなかったので敬遠していた。
しかし、能を観はじめてから、業平が登場するなど、「伊勢物語」の挿話などが主題となったりすることが結構出てきて、勉強する必要を感じた。
古典文学全集など原典に直接当たるよりは、と思って、解説書を兼ねた「伊勢物語」の参考図書を何冊か買って読み始めた。関係のある本を読んで勉強し始めたのである。
岡野弘彦の「恋の王朝絵巻 伊勢物語」など、結構、勉強になって面白い。
能の舞台で、一番最初に観たのは、「杜若」で、その後、「井筒」、「雲林院」と言った順序で、そのほかにも、業平をテーマにした曲が出てくるなどして、それなりに、面白くなってきた。
歌舞伎の舞台でも、「競伊勢物語」など、「伊勢物語」に関係する演目があり、知っているのと知らないのとでは雲泥の差がある。
しかし、学校で正式に、「伊勢物語」を勉強するなどと言うことは、殆どないので、専門に勉強する人以外は、趣味の世界であろう。
まだ、途中までなので、何とも言えないが、この高樹のぶ子・伊勢物語は、私の知っている部分では、結構丁寧に原典をフォローしているように思えるが、殆ど、創作文学のような感じがしている。
原典を解説入りで読んで、在原業平をイメージするよりも、高樹のぶ子は、遙かにビビッドに貴公子業平を生身の人間として描いていて、実に、面白いのである。
高名な作家たちの「源氏物語」の現代語版が犇めいているが、これらは、ある程度、翻訳的な要素が濃厚なので、どこか文学として限界があるような気がする。
しかし、高樹伊勢物語業平は、実にイキイキとした現代小説なのである。私には、そう思えて実に面白い。
冒頭の初冠から、光源氏譲りのドンファンぶりで、本来は、小説よりも奇なりと言った破天荒(?)な恋多き文化人であったのであるから、当然だろうが、源氏物語を読んでいるようなドラマティックな展開が魅力である。
光源氏は、藤壺以外はことごとく上から目線で、強引に迫ったが、業平の場合には、高貴な禁断の乙女に誠心誠意必死になって恋求め続けていたのは、歌詠む貴人の美学であったのであろうか、高樹のぶ子は、業平の禁忌の恋の軌跡を、感動的に綴っている。
源融なども登場してくるので、この本と源氏物語を読めば、爛熟して微かなアンニュイの香りさえ漂わせる平安王朝の文化の豊かさ素晴らしさが垣間見えてきて興味深い。
いつも、経済や経営の専門書ばかりを読んでいるので、雨の日、急に思い立って、この本を読んだのだが、これも、読書の楽しみなのであろう。