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小学生の頃から、本屋に通って自分で本を買って読み続けてきたのであるから、私の読書遍歴も、既に、75年。
買った本は数千冊、読んだ本も、年に200冊を越えた年もあるから、2~3000冊は優に超えているであろうが、米国でのアメリカ留学や海外生活も長いので、英書も含めてだが、大半は、専門書や学術書などで、かなりかたい本である。
読書が趣味かと言われれば、趣味かも知れないが、むしろ、生きていく証というか義務のように感じていて、生きがいに近かったように思う。
何の疑いもなくどんどん読み続けて、立ち止まると人生を放棄したような気持ちになって、途中で逡巡することもなかった。
海外に在住しているときには、出張などで帰国の度毎に、神田に通って大量の本を買い込んで持ち込んだ。
さて、今、平川 祐弘 のダンテ『神曲』講義 を読んでいて、ふと思ったのは、私は、同じ本を殆ど二度と読み返したことはないのではないかと気付いたことである。
この本は、25回にわたる講義録なので、意識して、1日に、1~2講ずつ、併読の合間に読んでいるのだが、最初に平川ダンテ「神曲」全訳本から読み始めて、今道 友信のダンテ『神曲』講義をビデオで聴講し講義を読み、その後、何冊かの神曲関連本を読み、ギュスタヴ・ドレエやウイリアム・ドレイクのが神曲画集など観てきたので、その積み重ねが功を奏したのか、随分、ダンテ「神曲」が、身近にビビッドに分かってきたのである。
最初に、神曲全編を読み始めたときには、難しくて良く分からなかったし、本当は、今道先生の講義を何回か反復読書するなど繰り返して読んで、理解を深めた方が良かったのかも知れない。しかし、私の読書習慣で読破するだけで繰り返すことはなく、興味に任せて、どんどん、同じテーマの関連する本に移ってゆく。
難しくて難渋していたこの神曲だが、この講義を読んでいて、乱読のお陰か、随分良く分かって楽しめうようななって来ているのである。
同じ本を何度も深読みして理解を深めるのか、それとは違って、関連本をどんどんハシゴして周辺知識を取り込みながら楽しむのか、どちらが良いのか私には分からないし、今更、読書習慣を変える訳には行かないのだが、それ程無駄でもなかったような気がしている。
さて、このダンテ「神曲」が、数多の芸術家をインスパイアーして産み出させた芸術の数々が凄い。
ミケランジェロが、ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」の地獄風景。オーギュスト・ロダンが地獄篇第三歌より着想した「地獄の門」。ボッティチェッリや、サルバドール・ダリなどの『神曲』の挿絵や神曲に想を得た名画の数々。音楽では、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ 」。
これらの関連芸術を鑑賞しながら、ダンテ「神曲」の世界を増幅させながら楽しむのも、読書の妙味であろう。
買った本は数千冊、読んだ本も、年に200冊を越えた年もあるから、2~3000冊は優に超えているであろうが、米国でのアメリカ留学や海外生活も長いので、英書も含めてだが、大半は、専門書や学術書などで、かなりかたい本である。
読書が趣味かと言われれば、趣味かも知れないが、むしろ、生きていく証というか義務のように感じていて、生きがいに近かったように思う。
何の疑いもなくどんどん読み続けて、立ち止まると人生を放棄したような気持ちになって、途中で逡巡することもなかった。
海外に在住しているときには、出張などで帰国の度毎に、神田に通って大量の本を買い込んで持ち込んだ。
さて、今、平川 祐弘 のダンテ『神曲』講義 を読んでいて、ふと思ったのは、私は、同じ本を殆ど二度と読み返したことはないのではないかと気付いたことである。
この本は、25回にわたる講義録なので、意識して、1日に、1~2講ずつ、併読の合間に読んでいるのだが、最初に平川ダンテ「神曲」全訳本から読み始めて、今道 友信のダンテ『神曲』講義をビデオで聴講し講義を読み、その後、何冊かの神曲関連本を読み、ギュスタヴ・ドレエやウイリアム・ドレイクのが神曲画集など観てきたので、その積み重ねが功を奏したのか、随分、ダンテ「神曲」が、身近にビビッドに分かってきたのである。
最初に、神曲全編を読み始めたときには、難しくて良く分からなかったし、本当は、今道先生の講義を何回か反復読書するなど繰り返して読んで、理解を深めた方が良かったのかも知れない。しかし、私の読書習慣で読破するだけで繰り返すことはなく、興味に任せて、どんどん、同じテーマの関連する本に移ってゆく。
難しくて難渋していたこの神曲だが、この講義を読んでいて、乱読のお陰か、随分良く分かって楽しめうようななって来ているのである。
同じ本を何度も深読みして理解を深めるのか、それとは違って、関連本をどんどんハシゴして周辺知識を取り込みながら楽しむのか、どちらが良いのか私には分からないし、今更、読書習慣を変える訳には行かないのだが、それ程無駄でもなかったような気がしている。
さて、このダンテ「神曲」が、数多の芸術家をインスパイアーして産み出させた芸術の数々が凄い。
ミケランジェロが、ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂に描いた「最後の審判」の地獄風景。オーギュスト・ロダンが地獄篇第三歌より着想した「地獄の門」。ボッティチェッリや、サルバドール・ダリなどの『神曲』の挿絵や神曲に想を得た名画の数々。音楽では、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ 」。
これらの関連芸術を鑑賞しながら、ダンテ「神曲」の世界を増幅させながら楽しむのも、読書の妙味であろう。