熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

METライブビューイング・・・「トリスタンとイゾルデ」

2008年04月10日 | クラシック音楽・オペラ
   METで3回ワーグナーの『ワルキューレ』のジークリンデを観たデボラ・ボイトが、「トリスタンとイゾルデ」に登場すると言う記念すべきMETの舞台を、映画「METライブビューイング」で観た。
   大嵐で交通が大荒れの中を六本木ヒルズの劇場に出かけたので、残念ながら、第一幕の前奏曲をミスってしまって、ブランゲーネがトリスタンを迎えに行くシーンから観たのだが、しかし、実質4時間近くのワーグナーは正に圧巻であった。
   ワーグナー・オペラの舞台は殆ど観ているが、このトリスタンとイゾルデは、まだ、実際の舞台を鑑賞したのは、ウイントガッセンとニルソンのバイロイトを皮切りに、ロンドンで、ウエールズ・ナショナル・オペラとロイヤル・オペラ、それに、先のウルトラウト・マイヤーのベルリン・オペラだけで、あれだけレコードやCDを聴いてワーグナー節が頭にこびりついているのに、鑑賞機会は非常に限られている。

   最初に観たワーグナーの孫・ウイーラント・ワーグナーのバイロイトの舞台は、幽かに原色のバックが浮かび上がる殆ど真っ暗で何もない舞台の奥の、全くと言って良いほど動きの止まった空間から、延々と歌手達の歌声とオーケストラのうねるようなコワク的な音楽が迸り続けると言う感じであったが、今まで観た舞台も、これと同じ様に非常に抽象的でデフォルメされたモダンなセットばかりで、ゼフレッリのイタリア・オペラの華麗な舞台とは雲泥の差であった。
   昔、我々のプロジェクトで仕事をしていたアーキテクトのサー・マイケル・ホプキンスが、ロイヤル・オペラのワーグナーの舞台セットを設計していたが、彼の自宅のように、パイプと鉄板を張り巡らせた船の内部のような舞台であったような記憶がある。

   今回のMETの舞台は、舞台中央奥の一点を支柱にして、舞台正面枠の両側の柱と天井梁に向かって3枚の真っ白な3角形のテントを張ったセットで、これに間接照明を当ててライトの微妙な光の調整によってコンピューターで演出すると言う実に最先端を行くハイテクの世界である。
   第一幕では、舞台中央に真っ黒なポールが立っていて、これがメインの帆柱、第二幕は、口絵のような柱状の王と王妃の居室がある程度で、後は、テンポラリーなセットが舞台床から這い上がっては消えて行き、歌手達は、舞台の床に開く開口口から登場してくる、と言った非常にシンプルなセットだが、舞台裏は巨大な工場と見紛うような光景である。

   今回の映像で特筆すべきは、スクリーンにマルチ映像が映ることで、本来の映画などでは一場面しか映らないが、舞台の展開によって、スクリーンに同時に複数の画像が映し出されるのである。
   例えば、トリスタンがイゾルデに歌いかけている場合、画面の中央上部には舞台の全景が写された画像があり、下の一方には歌っているトリスタン、他方には離れて聞いているイゾルデの表情が夫々クローズアップで映し出されるので、一度に複数の情報が入り、迫力が格段に向上するのみならず臨場感が全く違ってくるのである。
   それに、客席に居れば同じ目線で平板な舞台しか楽しめないが、ズーミングやフェイズアウトなど更に色々な映像技術を活用することによって、舞台の魅力を最大限に引き出している。

   映画であって実際のライブのオペラの舞台とは確かに違うが、今年の初めにMETで経験した私自身のオペラ鑑賞体験と比較しても、質は違っているが、感動は、決して劣るものではないと思っている。 
   ハイビジョンの素晴らしい映像は勿論だが、今回の六本木の新しい映画劇場の音響効果は、昨年の歌舞伎座や新橋演舞場、それに、銀座ブロッサムとは格段の相違で、今回の「トリスタンとイゾルデ」には非常に満足している。

   ところで、このオペラだが、金銭的に不如意だったワーグナーが手っ取り早く稼ぎたくて、簡単に上演出来るように作曲しており、問題と言えば、主役を歌う素晴らしいペアの歌手を探すことくらいだと言っていたようだが、実際には大変なオペラで、第一幕を振って帰って来た指揮者のジェイムズ・レヴァインが、フーフー言いながら、非常に重要な大変な難曲だと言っていた。

   コーンウオールのマルケ王に嫁ぐ為に送られてきたアイルランドの王女イゾルデが、それが嫌で死のうとするのを、次女のブランゲーネが避けるために、毒薬と愛の妙薬をすり替えて与えたので、マルケ王の甥で迎えに来た自分の許婚を殺した憎いトリスタンと一緒に飲んでしまって、恋に落ちてしまう。
   王の目を盗んで密会していた二人の愛の絶頂に、マルケ王達に踏み込まれ、トリスタンは裏切られた忠臣に刺されて重態となり故郷に帰るが、会いに来たイゾルデの前で息絶える。
   こんな話を、ワーグナーは3幕ものの4時間のオペラに仕上げたのだが、第二幕の、螺旋を上り行くように延々と続くあまりにも甘味で美しいトリスタンとイゾルデの「愛の二重唱」を聞くだけでも、ワーグナー・ファンには、至福の絶頂なのである。
   去年のウルトラウト・マイヤーのイゾルデに感激してブログを書いたが、今回のデボラ・ヴォイトの終楽章の「イゾルデの愛の死」など、その神々しさと言い、命の底から迸り出るような歌声は、正に感動的で、若い頃、レコードが擦り切れるほど聴いたビルギット・ニルソンやキルステン・フラグスタートのイゾルデを髣髴とされてくれた。

   ベテランのベン・ヘップナー(私は、ロイヤル・オペラでルネ・フレミングとのオテロを観ているので期待していたのだが)の代役でトリスタンを歌ってMETデビューした若いアメリカのヘルデンテノール・ロバート・ディーン・シミスだが、既に、ワーグナーの本拠地バイロイトで、1997年に「ニュールンベルグのマイスタージンガー」のヴァルター役でデビューして、トリスタンは勿論、ローエングリンのタイトル・ロールや、「ワルキューレ」のジークムントを歌っており、ウイーン、ミラノ、ロンドン、ベルリン、ミュンヘン等々世界のヒノキ舞台で引っ張りだこのワーグナー歌いとなっていて、素晴らしく甘くて美しい説得力のある歌声はヴォイトのイゾルデに一歩も引かない迫力があって素晴らしい。

   レヴァインの棒さばきの素晴らしさについては、蛇足なのでやめる。
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FT:世界を揺るがす食糧危機

2008年04月09日 | 地球温暖化・環境問題
   日経ビジネスの世界鳥瞰で、FTの記事を掲載し、関税引き上げ、輸出禁止、価格凍結・・・世界各国は、食糧安保を確保するために、必死になって動き始め、世界を揺るがす食糧危機が深刻な問題となって来たことを報じている。
   安い石油をがぶ飲みにして経済成長を推し進めてきたアメリカが、構造不況に突入して大きく経済のパラダイムシフトを強いられているのと同じ様に、金さえ出せば、世界中の食料が安く文句なしに手に入ると考えて、飽食の限りを尽くしてきた日本経済が、間もなく深刻な食糧危機に直面すると言う前兆が現れて来たということを示している。

   日本の食糧自給率は39%で、世界でも最低水準でもあり、例えば、中国からの食料の輸入が止まれば、日本の台所は完全に干上がってしまうと言うことを意味している。
   BSE問題で米国産牛肉の輸入がストップしたり、毒物事件で中国の冷凍食品の輸入が頓挫したり、散発的には、食糧問題は起こって来ているが、今回の石油や小麦等の農産物の価格高騰などの影響で多くの食品が一斉に値上げされるようなケースは、最近では稀であった。

   しかし、農産物輸出国が、食料安保の為に、高い輸出関税や輸出禁止、価格凍結といった制約を実施したり、バイオ燃料に対する政府援助が食料生産を制限したり、或いは、開発途上国の急速な食料需要の拡大などによって、需給関係を逼迫させ、世界中の農産物価格の上昇を誘発して食品価格を急速に上昇させている。
   このような動きに対して、収穫量を増やし、食料価格を引き下げられる遺伝子組み換えに対する政府の方針を覆させて、促進させようと言う強力な運動が広まってきている。

   経済社会は、農業、工業、知識情報、と言う時系列で、付加価値の増加を担う産業が移行しながら発展して来たが、マルサスの人口論やローマクラブの「成長の限界」等の警告を突破して、今日まで進んで来たが、天然資源や食糧生産の限界と言う亡霊が再び力を増して人類の未来に立ちはだかって来た。
   特に農産物を主体とする食料生産については、水資源の深刻な枯渇問題や地球環境の汚染のみならず、エタノール等エネルギー資源とのバッティングなど、人口の驚異的な激増傾向に逆行して、多くの増産抑制要因が発生して来ており、益々、食糧危機の様相を強めて来ている。
   遺伝子組み換えは勿論のこと、宇宙船地球号のエコシステムを維持しながら、革新的な食料イノベーションを進めない限り、正に、成長の限界のみならず、人類の限界に直面せざるを得なくなるのである。
   
   これまでの人類の歴史は、CULTURE(文化)と言う言葉が、CULTIVATE(耕作する)から派生したように、農産物の増産のための開墾・開発が、人類の生活水準の向上と文化・文明の発展と同意語であったのだが、今や、臨界点を突破してしまって、全く利害が対立するようになってしまった。
   農産物の増産のために開発を進めれば進めるほど、人類が拠って立つところの足元・地球環境を破壊することになり、これまでのような算術級数的なこれ以上の物理的な増産・成長は不可能になってしまったのである。

   山紫水明、豊かな四季と美しい自然環境に恵まれた日本ほど美しい国は少ないが、如何せん、天然資源に恵まれないにも拘らず、中途半端に豊かになって無駄な消費生活にうつつを抜かしている多くの国民が住んでいる。
   地球が悲鳴を上げ警告を発しているにも拘らず、お金さえ出せば、何時でも好きなだけ食料を買えると思って安心し切って花見酒の経済に酔いしれている。
   ガソリンが値上がりしたと言っては暫定税率に一喜一憂し、毒入りギョウザがけしからんと言っては国産品を見直し、目先だけしか見ていないが、世界的な食糧危機の悪魔の足音は、もう、そこまで近づいて来ている。

   今の全く無為無策の政治を見ていると、ある日、突然、輸入がストップして、或いは、価格が暴騰して、昔のトイレット・ペイパー騒ぎを増幅したような日本の食糧危機が勃発して、日本中が戦中並みの混乱に巻き込まれることは必定である。
   農水行政の見直しも含めて、日本の食料安保の確保が、最も日本の緊急課題であることを深刻に認識すべきトキであり、これほど、バイオテクノロジーを筆頭に食料イノベーションが求められているトキはないと思っている。

(追記) 椿は、港の曙。

   

   
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電子政府への第一歩・・・e-tax納税

2008年04月08日 | 政治・経済・社会
   会社を離れてからは、毎年、自分自身で確定申告を行っており、今までは、国税局のホームページから、確定申告フォームを引き出してデータを打ち込んで、申告書を作成しプリントアウトして提出していた。
   しかし、今年からは、e-taxフォームを使って電子申告しようと思って試みてみた。
   ITディバイドの年齢でもあり、多少不安ではあったが、処理途中に電話を架けて、国税局のe-tax担当官の懇切丁寧な指導により、どうにかやりおおせて、本日、国税還付金振込み通知書を受け取った。
   国税局の仕事が早くなったのと、添付書類が必要なくて自宅でコンピューター処理だけで確定申告できると言うメリットは大きい。

   まず、公的認証サービスを受けるために、市役所に行って、住民基本台帳カードを取得して電子証明書の発行を受けなければならないのだが、これを読み取る為のICカードリーダーを買うために、近所のコジマに行ったら納税シーズンで完全に売り切れていて、近くでは手配出来ずに、有楽町のビッグカメラまで出かけなければならなった。
   この手続きの為に、市役所からセットアップ用のソフトのDVDを貰ったが、javaソフトが上手く機能しなくて、e-tax手続き途中で止まってしまい四苦八苦して、国税局のIT担当者に助けてもらった。
   結局、あれやこれやで、4~5千円かかるので、政府は、e-taxすれば、5000円税金を還付すると言うことだが、これはこれで、まずまずの対策であろうが、私の場合には、途中で、還付手続きの仕方が分からなくて翌年回しとなった。

   実際に、国税局のe-taxページを開いて説明書どおりにやって見るのだが、多少、ITやコンピューターに慣れた人なら簡単なのかも知れないが、説明書きそのものが良く分からないし、とにかく、コンピューターは正確無比であるから、一字でも間違ったり操作を誤ると一歩も前進しない。
   これまでのように、国税局の確定申告フォームに打ち込んで、そのフォームを、インターネットでメールを送るように送信すれば良いだけだと考えていたのが間違いで、開始届出や初期登録を行う必要があり、それに、電子認証など、完了するまで結構やることがあって、大分てこずってしまった。
   しかし、やはり、このe-taxも、電子政府への一歩前進で、公共機関の生産性アップの為にも、国民の一人として積極的に進めるべきだと思っている。

   余談だが、日本の行政については、欧米先進国と比べて、事業のIT化、電子化が非常に遅れていると言われている。
   一般企業でも、ITに弱いトップが拒否反応を示すので、日本の産業のIT化は極めて遅れていると言う事だが、民間でこれなら、電子政府への動きが進む筈がない。

   私は、桝添大臣が言っている様に、いわゆる国民皆背番号制度の導入だが、日本人全員にsocial security番号をつけて、納税や年金、公的保険、預貯金等々、一切を処理すべきで、これを実施すれば、今回の年金問題のようなお粗末極まりない問題や脱税問題などかなり軽減できると思っている。
   住民基本台帳の問題などプライバシーの侵害だと言って反対する国民が多いが、私が、1972年にアメリカに留学した時には、social security no.を貰って、総て処理していたし、国民背番号制度の欧米で特に深刻な問題が起こっているとも思えない。
   とにかく、各人に固有の名前があるように番号を打っても、扱い方だけ間違わなければ、目くじらを立てることではないと私は思っている。

   もっとも、情報の流出は日常茶飯事で、先日、日本ヒューレット・パッカード社から、「日本HPからのお客様情報流出に関するお詫びとお知らせ」と言う手紙が来ていたが、天下のHPさえ、こんなにお粗末なのだから、日本政府や地方公共団体の個人情報の保護が完璧だとは思えないのが難でもある。

(追記)椿は、さつま紅。
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白川方明日銀総裁の実現?

2008年04月07日 | 政治・経済・社会
   明日、国会に、日銀総裁候補として、白川方明副総裁が提案され、民主党が同意しているので選任される模様である。
   世界的な経済不況の嵐が吹き荒れる緊急事態の真っ最中に、経済大国日本の中央銀行総裁を適切に選任出来ない体たらくについては、世界中の笑いものになっている様子だが、政略のみにうつつを抜かす政治家主導の国政の運営が如何に危険かを物語っていて実に悲しい。

   真っ先に考えなければならないことは、まず、与党が、これまで、散々頭数に頼って傍若無人に国会運営を行っていたが、これが、衆参の力の逆転、すなわち、ねじれ国会となった以上は、少なくとも、衆参同意でないと法律の制定など議決が不可能な案件については、理由の如何に拘わらず、野党の合意がなければ、何も決定されないと言う厳粛なる事実を、自民党が、全く理解出来ていないと言うことである。
   私などは、これほど日本経済をダメにしてしまったのは、大蔵省の経済の舵取りに大半の責任があると思っているし、日本の将来の為にも自民党・財務省コンプレックスを断ち切るべきだとも思っているので、民主党など野党の主張するように、財務省出身者の日銀天下りは絶対に反対であり、白川方明副総裁の総裁昇格には賛成である。

   ところで、インターネットで調べたが、白川氏の経歴や考え方についての情報が非常に少なく、一番詳細だったのは、当然だが、前職(?)の京大公共政策大学院の略歴欄で、自己紹介で丁寧に語られており、研究分野、新入生に対する3冊の本等を見ると大体イメージが浮かび上がってくる。
   研究分野と言う欄で、東大金融教育研究センターの客員研究員としての白川氏の教員プロフィールと同じことが次のように書いてある。
   ”近年の世界経済の特徴(低インフレ、グローバル化の進展、資産価格の変動等)や現実の中央銀行の制度的な特徴(委員会による意思決定等)を踏まえた上で、望ましい金融運営のあり方を研究する。”
   尤も、日銀総裁ともなれば、研究と言っておれなくなるが、そのような公共政策の視点で日銀の金融政策を行おうと言うことであろう。

   経済が発展する為には自由で競争的な市場メカニズムが不可欠であるが、市場がその機能を最大限発揮する為には、ルールや市場基盤の整備をはじめ、適切な「政策」も重要である、と白川氏は言っている。
   更に、政策を考える為には、何よりも現実の経済や市場に関する具体的事実を知ることが出発点で、問題に応じて理論モデルを選び出して、望ましい政策を考える、とも言っており、未成熟で不完全な日本の金融システムや金融行政のあり方を、健全な市場メカニズムの構築などを通じて根本的に改革して行くと言う姿勢が貫かれるかどうか、これからの課題であろうか。

   シカゴ大学のMAの学位をとっているので、フリードマン流のマネタリストとしての教育を受けたのであろうから、いまだに色濃く漂っている財務省主導のケインズ経済学の亡霊と如何に対峙すのかと言う問題意識もあるのかも知れない。
   
   ところで、白川方明氏が、最近、「現代の金融政策」と言う専門書を著した。
   A5版の445ページもある大著で、中央銀行の本質とは何か?と帯に大書されており、とにかく、最近の金融問題のカレント・トピックスを含めて実に克明に金融政策が論じられているようである。
   ようであると言うのは、東京駅の書店で買って、名古屋へののぞみの車中で読み始めたのだが、とにかく、机に座ってじっくり対峙すべき書物で、まだ、読み始めて間もないからである。
   しかし、日本もようやく、欧米流に、学問的にも素晴らしい業績を示し得る素晴らしい金融専門の中央銀行総裁を輩出できる様になったのだと言うことである。
   
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日経ビジネス:地力を信じろ

2008年04月06日 | 経営・ビジネス
   自信を喪失した日本企業を世界的な不況が襲っているが、しかし、日本企業には、元々、人材・技術共に優れた宝が内在しているのだから、自信を持って、その宝を引き出せば困難に打ち勝つ活路が開ける。自信を持って、ニッポンを再起動しよう。
   そんな問題意識で、日経ビジネス最新号が「地力を信じろ」特集を組んで、色々な日本企業の地力を掘り起こして事業を活性化してる様子をレポートしている。
   
   本誌は提言する
   「安易に外の力に頼るな 成長の原動力は社内にある」
   と銘打って記事を書いているのだが、何時もの特集と同じで、焦点がぼけていて何を意図しているのか分かり難い。
   要するに、日本企業は、社内に内包する人材や技術などの経営資源を十分に活用していないので、活性化しようと言う、いわば、経営のイノベーションの勧めである。
   
   この提言だけを見れば、高度で大規模かつ複雑なイノベーションでは、グローバル・ビジネスの常識乃至趨勢と言っても良い筈のオープン・ソース・マネジメントと逆行する方式であるし、それに、先人に聞く「地力」経営と言う囲み記事で、シャープの佐々木正元副社長の言う「共創」と言う概念や特別インタビューでの島津製作所の田中耕一フェローの言う「他分野と連携する異分野融合」の大切さと言った考え方とも大分乖離がある。
   特に、ホンダの例をあげて、大プロジェクトではなく小集団から新しい価値ある製品が生み出されたとして、あたかも閉鎖された専門のみを追及する小グループがイノベーションを生み出す源泉であるかのようにレポートしているが、これは、各部門が自律的にイノベーションを追求出来るような活性化された組織形態であるとかホンダのコーポレート・カルチュアやDNAが成せる技で「地力」だから優れているのではない。

   この特集記事の冒頭は、田中耕一氏のノーベル賞級の発明を事業化出来なかった島津製作所の経営の拙さから話を説き起こしているが、このことについては、田中氏が、新技術の発見とその価値の認識、事業化への試み、資金手当て等々イノベーションの事業化について語っており、次のステップへと繋ぐ目利きの段階で失敗したことを反省として語っている。
   田中氏が、他のノーベル賞科学者のように学者や大学教授などの専門家であれば発見と事業化の乖離があっても問題はなかったが、偶々、島津と言う事業会社の社員であった故に、問題になったのであって、これは、島津の経営姿勢に問題があったと言うよりも、大抵の発明発見がイノベーションとはならずに消えて行き、厖大な特許や知財が眠っていることを考えれば、極普通の現象である。
   シュンペーターが指摘しているように、最も大切なのは、発明発見や経済社会とそのシステムの変動変化等を敏感に察知して、リスクを冒してでも事業化しようと言う目と意思を備えたイノベーターの存在なのである。

   この日経ビジネスには、色々なケースで地力による事業活性化を例証しているが、要するに、社内イノベーターを生み出せるような環境なり組織システムが企業に備わっているのかどうかと言うことで、その、イノベーターに火を点けた会社が成功していると言うことではないかと思う。
   この場合のイノベーターと言うのは、発明発見など新機軸、新結合を事業化できるような段階まで育てる社員乃至グループと言う意味で、事業化の決断は当然マネジメントの責務である。
   従って、イノベーションの実現は、地力の場合もあるであろうし他力やオープンソースの場合もあり、その場その場で違っており、地力を活用することは、必要であり大切なことではあるが、企業にとって、地力活用に固守したイノベーションや経営革新の追及が、正しい戦略や戦術であるのか、全く、別な次元の問題である。

   島津の場合は、社長の命令で、「得意先から『見えないで困っているもの』を聞いて来い」と発破がかかって、顧客ニーズから研究開発、製品開発するようになり事業が好転したと言うことだが、このようなことは、島津の経営者にコトラーを読んで経営に活かせる人間が居さえしておれば造作もないことであった筈で、
   かって、ソニーのPS3開発とその事業化の失敗についても書いたが、モノを造って売る事業会社でありながら、マーケット・リサーチは愚か、何を作って誰をターゲットにどのように売るのかと言った販売戦略のイロハさえ十分に考えずに事業化しているケースがあまりにも多いのである。

   話は、飛んでしまうが、これだけ多くの経営学書が氾濫しているのに、本当に、指南書としてこれらを活用しようとする経営者が少ないというか、運転免許なしで、すなわち、経営者免許なしで、会社を運営している経営者が多いと言うことであろうか。
   この日経ビジネスの特集記事を読んでいて、いずれも経営学書に極当たり前に書かれていることばかりで、これが記事になるのかと思うケースが多いのにビックリしている。
   
(追記)写真の椿は、白羽衣。
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石油価格高騰が世界を変えた

2008年04月03日 | 政治・経済・社会
   数日前、ワシントン・ポストを読んでいると、「原油価格の高騰が世界の富をシフト」と言う記事が出ていて、世界中の原油価格高騰による悲喜こもごもの動きが報道されていた。
   5年前と比べて、原油消費者が、毎日、4~5000億円余計に支払っており、今年だけでも、100兆円以上の金が、石油会社や産油国の金庫に流れ込むのであるから、富の流れとストックを大きく変えてしまうのは必然である。

   中国のガソリン・ポンプ、クレムリンの膨張した自信、チャドの新軍需兵器、サウディ・アラビアの新石油化学プラント、韓国のノー・ドライビング運動、トヨタの売上激増、セネガルの財政負担、ブラジルの福運、などと言った例証で記事をスタートしているが、アメリカ人にとっては、当面の経済的苦境が問題であろう。
   原油の輸入価格の高騰によって、貯蓄率の低下、インフレーション、貿易収支の悪化、ドルの暴落、更に、FRBのインフレ抑制や経済成長維持政策を益々やりにくくしている。

   しかし、アメリカにとっては、内政も大切だが、原油価格の高騰によって濡れ手で粟の産油国が、地政学的にも、世界戦略的にも、好ましくない国が多いのが一番問題であろう。
   まず、最初の問題国は、イランとヴェネズエラである。原油高騰で得た富を、ヴェネズエラは、アメリカのお膝元の南米の保護者然として援助資金に使って勢力を伸ばしており、イランは、収入増として活用しているので、核拡散防止と視察許可に追い込むために経済封鎖して圧力をかけているのに帳消しになってしまっている。

   更に、問題はロシアで、ルーブル崩壊と国家経済のディフォールトに陥りながらも、原油価格の高騰で、今や、4250億ドルもの外貨を貯め込んだ世界第3位の債権国家となり、プーチンが磐石な勢力を誇っている。
   プーチン政権後、平均所得は2倍に増加し、貧困ラインに居た国民が半分に減り、モスクワやサンクト・ペテルブルグのみならず、田舎の都市にも、24時間ハイパー・マーケットや最新のビル群や高級外車が広がっている。
   豊かな富を活用して、再び、以前の連邦下の関係国に影響力を行使し始め、NATO拡大阻止やイランへの独自のアプローチなどで国威の発揚に動き出している。
   今回のウクライナとグルジアのNATO参加見送りも、そのパワーのなせるところであろう。

   しかし、多くの経済学者が、これらの原油による富は、むしろ毒になっていることで、それらの国が、富を多角的に活用し、広く平等に分配することをせず、将来に向かっての地についた経済発展努力を阻害していると指摘している。
   ロシアなどは、インフレーションが進行し、輸入が増大し、ブームを作り出している正にその産業にさえ新しい投資を行っていないと言う。

   原油による悲劇は、アフリカにおいては、産油国でも、輸入国でも生じている。
   産油国ナイジェリアは、内乱と腐敗に明け暮れているので、豊かな油田が適切に掘削されず、利益は流用されて国民生活の向上には使われず、むしろ石油が呪いとなっており、
   スーダンは、首都カルツームは繁栄しているが、ダフールの民族弾圧で欧米の経済封鎖を受けており、
   チャドは、石油収入を国の経済の発展のためではなく、軍事兵器の輸入にばかり使っている。
   しかし、もっと悲劇は、原油輸入国で最貧国のセネガルのような国で、財政赤字が倍増し、インフレが進行し、成長が鈍化するなど国家経済は惨憺たる状態で、国有石油会社が閉鎖されて久しい。
   いずれにしろ、今世界中で話題となっているジンバブエのムガベのような、一将功なり万骨枯ると言った為政者に泣く国民があまりにも多いのがアフリカである。
 

   石油輸入国である中国も深刻で、昨年10月に10%値上げしたが、供給不足で、全国ガソリンスタンドでは長蛇の列で、あっちこっちで暴動が起きていると言う。
   今尚、政府が石油に補助金を支出しているので、既に世界の9%の消費国でありながら、価格が上昇し続けても、年率8.7%で消費が伸びているのである。
   面白いのは南ア連邦で、石油が高騰しているにも拘わらず、貧しくて疎外されていた中上流の黒人達が、クルマを持つことがステイタス・シンボルなので、自動車の売上が年率15%以上で伸び、石油の消費量は、この10年で39%増だと言う。 
   この2国のように伸び盛りで上昇志向の強い国民にドライブされた国は、かっての日本と同じで、国民のパワーが充満していて、高くても三種の神器に向かって一目散と言うのが当たり前で、石油の消費制限などもっての外と言う気持ちであろう。

   産油国のドバイやサウディ・アラビアなどの目を奪う好況と開発ブームに沸く地球改造については、言うまでもなく原油価格の高騰ゆえの現象であるが、問題は、果たして、この高度成長が誘い水として、これらの国家や地域を、実質的に先進国並みの経済社会水準に高め、それを持続出来るかどうかであろう。
   中東各地に、ニュー・マンハッタンが現出しつつあると言う現象は、謂わば、ハンチントンの言う文明の衝突において、イスラム文化が、プラグマティックで勝利を得ると言うことだとすると、アルカイダは必要ないと言うことであろうか。

   日本については、日本の省エネへの取り組みを高く評価しながら、原油高による物価上昇などを論じ、Greasing Toyota's Gearsと言うサブタイトルで、トヨタがプリウスなどハイブリッド自動車で勝者だと報じている。

   他にもイギリス、オーストラリア、アルゼンチンなどについても論じているが、要するに、石油高騰によるアメリカの没落への歯軋りが聞えるような記事である。
   しかし、金融工学で世界中に信用創造で膨らませたドルを撒き散らし、中国やインドを目覚めさせ、グローバル経済の拡大に悪乗りして、言うならば、世界経済をコントロールの利かないリバイヤサンに仕立て上げたアメリカの経済エゴがその原因であると言えよう。
   原油高騰など、その最たる現象である。

(追記) 写真は曙椿。
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紫禁城写真展・・・東京都写真美術館

2008年04月02日 | 展覧会・展示会
   明から清にかけて500年の間中国の都であった北京の王城・紫禁城の100年前の写真が、東京都写真美術館で一般公開されている。
   明治時代の日本人写真師小川一真氏がガラス乾板を使って撮影したオリジナル・プリントから厳選された79点で、当然モノクロだが、細密画のように全景が極めてシャープに写っていて、荒れ果てた王城の雑草一本一本までが見える感じである。
   義和団事件を鎮圧の為に世界8カ国の連合軍が入場した翌年の1901年と言うから、写真に写っている役人達は、まだ辮髪である。
   尤も、明の永楽帝が建設した頃の建物は崩壊していて、その後、清朝の頃に建設された建築物が現存しているのだが、丁度、場内で、韓国製作の紫禁城ドキュメントのビデオが放映されていて、中国の文化文明のスケールの大きさに感じ入って見ていた。
   
   
   会場入口の部屋に、小川氏と同じアングルから撮った中国人写真家候元超氏の100年後(2005年)のモノクロ写真が、対比されて20点ばかり展示されているが、殆ど変わっていないところと、大きく変わっているところなどがあって興味深い。
   大和殿内四天柱を抱え込む人物は一方は辮髪の男、他方は携帯を腰につけたイタリア人で時代の流れが面白い。

   私は、日中国交が回復してから、ぼつぼつ日本企業が、中国とのビジネスを考え始めた頃、1980年の春に、北京を訪れて一週間ほど滞在した。
   あの頃は、中国のホテル、特に外国人が泊まれるようなホテルが限られており、ホテルのキャパシティに応じて、入国ビザが発給されていたと聞く。
   その少ない高級ホテルの相当数の部屋が、外国企業の事務所としても使われていたので、更に、外国からの客が宿泊できる部屋数は限定されていた。
   それに、中国政府の役所も接客に向かないほど酷かったようで、役人達は、我々のホテルの部屋に来て交渉していたので、中国とのビジネスは外人用のホテルのキャパシティが決定していたと言っても過言ではなかったのかも知れない。

   我々は、このような中国政府のニーズにアプローチしたシンガポールの関係者の誘いで、ホテル等開発プロジェクト関係で北京政府と交渉に入ったのだが、とにかく、あの頃の中国は、自己利益は必死に擁護しようとするが、資本主義のビジネス・ルールなどの知識や経験は勿論、国際感覚は全く希薄で、宇宙人とネゴしている心地で、殆どかみ合わなかったのを覚えている。
   同じ人種オリジンの客家華僑のシンガポール人さえお手上げだったが、今、振り返ると、中国の急速な近代化と経済成長が夢のようで、今昔の感に堪えない。

   中国政府の役人との交渉の日程など先方任せで、何時突然ミーティングが持たれるか全く予測がつかず、北京に釘付けだったので、残念ながら万里の長城には行けなかったが、紫禁城など北京市内の観光地には、比較的楽に行くことが出来た。  
   当時、我々外人客でも華僑並みの扱いで、殆ど観光については制限はなかったように記憶しており、自由にあっちこっち出入り出来たし、紫禁城内など好きなように歩けて、今回の写真に写されている宮殿の建物の中も自由に見学した記憶がある。
   
   紫禁城の北側にある小高い丘・景山に上って見渡すと、さすがに紫禁城は壮大で、当時、高層ビルなど全くなかったので、周りを威圧するようなスケールの大きさに圧倒され、中国の王朝の凄さにビックリした。
   二日かかって、紫禁城のあっちこっちを歩き回ったが、とにかく、広大で、何処に紛れ込んだのか迷うくらいだったが、中国の素晴らしい文化に直接対峙している思いがして、感激ひとしきりであった。
      
   私の記憶では、小川氏の写真のように草が伸び放題と言った状態ではなかったが、写真と同じ様な過去の姿そのままの保存状態で、モノクロと実際に色彩のある原風景との違いはあるが、恐らく、それほど差はないのであろうと思う。
   Nikon F2で、写した多くの写真が、未整理の山済みの写真の中にあるのだが、比べて見るのも面白いと思っている。

   1924年に最後の皇帝溥儀が退出した後、1925年に、故宮博物院になっているので、中国の文化遺産や芸術作品を見られると思って楽しみにしていた。
   しかし、既に、蒋介石によって相当部分の作品が台湾に持ち去られていたので、その後の発掘や発見の作品が少々展示されている程度であったが、それでも、目を見張るほど凄い作品が残っていた。
   当時は、観光客も少なく、広い紫禁城を一人で歩いていると言う感じを何度も味わったが、貧しい姿の中国人が、展示ケースのガラス窓に顔を擦り付けて熱心に見ていたのを、思い出す。
   台北の故宮博物院に出かけて素晴らしい芸術作品を鑑賞したのは、それから、10年以上も経ってからだが、やはり、白髪三千丈の5000年の悠久の歴史を感じて、中国の凄さに圧倒される思いであった。

   そんなことどもを走馬灯を見ているように思い出しながら、「紫禁城写真展」を鑑賞させて貰った。
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崑崙黒咲き、椿満開

2008年04月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   一番遅く咲き始める黒椿の走りである崑崙黒が、一斉に花を開き始めた。
   ロンドンから帰って来た直後に苗を買って来て庭植えしたので、もう、2.5メートルくらいに大きく育って、こんもりとした円筒形の樹形にびっしり花が付くと壮観である。
   今までに一度だけ、鎌倉の円覚寺か建長寺か忘れたが、境内に咲いていたのを見た事がある。
   普通にはあまり見ない椿であるが、開き始めの頃の宝珠咲きが優雅で、花弁の黒光りが何とも言えないほど精悍で美しい。

   花が完全に開くと、八重咲きのお碗型の真ん中に貧弱な蘂がチョロチョロと出てくるのだが、愛嬌があってよい。
   日本産の黒椿も、ナイトライダーやブラックオパールのような黒椿でも、花が開くと、それほど魅力的な花形ではないが、深紅の優雅な深みが何とも言えないので育てていて楽しいし、それに、暖かくなってから咲くので花弁が傷まないのが良い。
   崑崙黒は、埼玉生まれのやぶ椿の一種で、変わった花形なので異国の名前がついたと言うことだが、何となく白雪に抱かれた峻厳な崑崙山脈の佇まいを感じてシルクロードに夢を馳せるようでロマンティックである。

   普通のやぶ椿のように、しっかりしたおしべめしべのついた花なら問題ないのだが、美しい椿に限って花弁が複雑な発展を遂げて、蘂が殆ど退化して中々結実しない椿が結構多い。
   崑崙黒も、この類で、結実は少ないが、それでも、時々実を結ぶ。実生の苗が結構育ってきて、鉢植えに出来るようになったが、何時花が咲くのか、果たして、同じ様な花が咲くのか、雑種なのか、興味深々でもある。

   ところで、今庭に咲いている花で、実に優雅なのは、白い豪華な白羽衣、それに、ピンクの曙椿や花富貴だが、花弁が淡くて大輪なので傷がつくと傷み易くて、絶頂期が本当に短く、正に花の命は短くて・・・である。
   四海波や天ヶ下や孔雀椿、それに、さつま紅や唐獅子など、赤色やブチなど色彩が強烈な花は、その点あまり気にならない。
   ワビスケや小磯などのやや小さな一重で凛とした花には、不思議に愛着が湧いて来るし、それに、真っ白な姫白雪や真っ赤な万代などの極めて小さな椿には、愛おしささえ感じるのだが、秋から咲き続けていても、やはり、椿は字のとおり春の花で、桜の咲く頃には一挙に咲き揃って、色々な表情を見せてくれる。

   春が来て、私が、椿の花が咲くのが早いか遅いかを感じるのは、以前に、新宿の病院に入院していた頃、妻が毎日、庭の椿の花を切花にして持って来て病室の花瓶に飾ってくれており、それに、退院して帰宅した時に、色々な椿が咲き乱れていたので、その印象が鮮明に残っていて、その記憶と比較しているからである。
   茶花は、咲いた椿ではなく、蕾を使うことが多いようだが、やはり、椿は、咲き切る直前が最も美しい。この優雅な美しさを花瓶に活けて鑑賞する為には、身近に庭植えをして、最も美しい花を見つけてタイミングをはかって切り取るのが一番良い。
   ほんの2~3日の短い命だが、一輪でも二輪でも、気に入った花瓶などにあしらって愛でれば、間違いなく絵になる。
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