神戸からの帰途、夜のJAL便まで時間があったので、久しぶりに、宝塚に立ち寄ることにした。
御影から、阪急に乗って宝塚南口で降りて、武庫川に架かる宝塚大橋を渡って、宝塚大劇場横の花の道を通って、宝塚駅まで歩くと言う単純な散策だが、このあたりは、私の子供の頃からは随分変わってしまって、非常に、都会的なシックな雰囲気に変ってしまっている。
昔は、武庫川沿いと言うか、劇場と並行した形で宝塚動物園があって、それなりの遊園地として子供たちには楽しい憩いの場であったのだが、とにかく、小規模で中途半端でもあり、宝塚の一等地に動物園はないだろうと言うことであろう。
宝塚南口駅前には、中々雰囲気のある古い宝塚ホテルがあって、このあたりは、昔から、川向こうの劇場や動物園のある方よりは、住宅街としては落ち着いていたのだが、最近では、逆に、反対側に、立派になった劇場の建物にマッチした近代的で綺麗な高層アパートが建っていて、様変わりである。
大事故を起こしたJR西日本でも阪急でも、大阪駅まで30分程度で行けるようだから、通勤圏としても恵まれているので、住宅地としても人気が高いのであろう。
宝塚大橋からは、すぐそばに、宝塚大劇場の一群の建物が眺望できる。
手前は、ヅカガール養成のための音楽学校があるのだが、休日だが、制服姿の女生徒が歩いていたので、生徒なのであろう。
私の子供の頃には、劇場横の花の道を、袴姿の制服の乙女たちが歩いていたのだが、垢抜けした綺麗なお姉さんたちが、颯爽と歩いているを見て、じっと見とれていた。
綺麗になってからの宝塚劇場には入ったことがないのだが、子供の頃には、ここで、ディズニー映画の鑑賞会や、偶に演じられる子供が見ても問題のないような少女歌劇などを団体鑑賞で見せて貰った。
やはり、子供心にも、華やかなレヴューの美しさは感激であった。
大人になってから、一度だけ、ダビッド・オイストラッフのバイオリン・リサイタルを聴きに行ったことがあるのだが、外の雨音が聞こえてきていたのを覚えている。
この口絵写真は、宝塚駅に向かう花の道から、大劇場を俯瞰したものだが、背後にある、このあたりのアパートも商店のビルなども、同じ、白っぽい壁に、赤色系統の屋根に統一されていて、中々シックである。
昔は、宝塚駅から劇場までは、川沿いに土手状に少し高くなった花の道の並木小道が続いていて、その横に道路が走っていて、その道に沿って、土産物店や食堂は勿論のこと、普通の駅前商店街の店なども並んでいて、非常に庶民的な雰囲気であったが、同じ場所でも、今では、その面影さえない。
私などは、現在の、美しいけれど、何となく余所余所しい感じの近代化された街並みよりは、古い雑踏の花道に慣れ過ぎてしまっているので、武庫川一帯も含めて、随分、綺麗になった宝塚を見ると、故郷は随分遠くなってしまったとつくづく思う。
夏になると、この武庫川で、花火大会が行われていたので、良く、見に行った。
ナイヤガラと言った仕掛け花火が、滝のように武庫川に光り輝きながら落ちる風景を今でも覚えている。
宝塚大橋を渡ると、正面に、こじんまりした「宝塚市立手塚治虫記念館」がある。
正面に火の鳥の素晴らしい彫刻があって出迎えてくれるのだが、手塚治虫は、宝塚で、子供の頃から20年間ほど暮らしたようで、私より、随分先輩だが、同じ頃に宝塚で暮らしていた期間があるかも知れない。
映画やTVの手塚作品は、結構見ているのだが、私自身、サザエさんを少し見た程度で、アニメには縁がなかったので、手塚治虫のアニメや漫画は読んだことがない。
しかし、記念館に入って、沢山の作品を見せられると、その膨大な偉業に感嘆せざるを得ない。
最上階にある手塚作品の図書ルームやパソコンでの作画ルームなどでは、大人も交じって子供たちが沢山集まって遊んでいた。
入口ホールで、昔懐かしいおじさんが、拍子木を打って子供たちを集めて、紙芝居をやっていたのも懐かしい。
私の故郷は、もっと、武庫川を下って、伊丹や尼崎に近い方で、山が迫っているこの宝塚駅のあたりとは違って、昔では開けた農村地帯だったのだが、最近では、殆ど、尼崎の海岸縁まで建物で埋め尽くされてしまっていて、見る影もなくなっている。
私が、宝塚に住んだのは、中学校の初めくらいまでなのだが、小学校と中学校は、完全に宝塚で過ごしたので、青春と言うと少し大袈裟かも知れないが、今でも無性に懐かしくなる甘酸っぱい思い出が充満している。
雑誌の「世界」や「中央公論」などを読んだりしていて、結構、政治経済に興味を持っていて、「世界連邦」を勉強したいと思ったのもあの頃だし、人を真剣に愛することを痛い程身に沁みて思い知ったのもあの頃で、ファウストではないけれど、もう一度、あの頃に帰れるのなら、帰りたいと思っている。
昔、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」と言う詩を読んで感激したことがあるが、この長い人生の間に、随分、色々な所を歩いて来て、地球上のあっちこっちにプチ故郷が生まれているのだが、夫々、それなりに懐かしい。
少し前に、何十年ぶりかで、小学校の同窓会に参加するために帰って来て、最近では、ほんの数回しか宝塚には来ていないし、住んでいた近くにも、中学校にも行っていないので、全く、思い出だけだが、私にとっては、やはり、宝塚が、一番大切な故郷だろうと思っている。
御影から、阪急に乗って宝塚南口で降りて、武庫川に架かる宝塚大橋を渡って、宝塚大劇場横の花の道を通って、宝塚駅まで歩くと言う単純な散策だが、このあたりは、私の子供の頃からは随分変わってしまって、非常に、都会的なシックな雰囲気に変ってしまっている。
昔は、武庫川沿いと言うか、劇場と並行した形で宝塚動物園があって、それなりの遊園地として子供たちには楽しい憩いの場であったのだが、とにかく、小規模で中途半端でもあり、宝塚の一等地に動物園はないだろうと言うことであろう。
宝塚南口駅前には、中々雰囲気のある古い宝塚ホテルがあって、このあたりは、昔から、川向こうの劇場や動物園のある方よりは、住宅街としては落ち着いていたのだが、最近では、逆に、反対側に、立派になった劇場の建物にマッチした近代的で綺麗な高層アパートが建っていて、様変わりである。
大事故を起こしたJR西日本でも阪急でも、大阪駅まで30分程度で行けるようだから、通勤圏としても恵まれているので、住宅地としても人気が高いのであろう。
宝塚大橋からは、すぐそばに、宝塚大劇場の一群の建物が眺望できる。
手前は、ヅカガール養成のための音楽学校があるのだが、休日だが、制服姿の女生徒が歩いていたので、生徒なのであろう。
私の子供の頃には、劇場横の花の道を、袴姿の制服の乙女たちが歩いていたのだが、垢抜けした綺麗なお姉さんたちが、颯爽と歩いているを見て、じっと見とれていた。
綺麗になってからの宝塚劇場には入ったことがないのだが、子供の頃には、ここで、ディズニー映画の鑑賞会や、偶に演じられる子供が見ても問題のないような少女歌劇などを団体鑑賞で見せて貰った。
やはり、子供心にも、華やかなレヴューの美しさは感激であった。
大人になってから、一度だけ、ダビッド・オイストラッフのバイオリン・リサイタルを聴きに行ったことがあるのだが、外の雨音が聞こえてきていたのを覚えている。
この口絵写真は、宝塚駅に向かう花の道から、大劇場を俯瞰したものだが、背後にある、このあたりのアパートも商店のビルなども、同じ、白っぽい壁に、赤色系統の屋根に統一されていて、中々シックである。
昔は、宝塚駅から劇場までは、川沿いに土手状に少し高くなった花の道の並木小道が続いていて、その横に道路が走っていて、その道に沿って、土産物店や食堂は勿論のこと、普通の駅前商店街の店なども並んでいて、非常に庶民的な雰囲気であったが、同じ場所でも、今では、その面影さえない。
私などは、現在の、美しいけれど、何となく余所余所しい感じの近代化された街並みよりは、古い雑踏の花道に慣れ過ぎてしまっているので、武庫川一帯も含めて、随分、綺麗になった宝塚を見ると、故郷は随分遠くなってしまったとつくづく思う。
夏になると、この武庫川で、花火大会が行われていたので、良く、見に行った。
ナイヤガラと言った仕掛け花火が、滝のように武庫川に光り輝きながら落ちる風景を今でも覚えている。
宝塚大橋を渡ると、正面に、こじんまりした「宝塚市立手塚治虫記念館」がある。
正面に火の鳥の素晴らしい彫刻があって出迎えてくれるのだが、手塚治虫は、宝塚で、子供の頃から20年間ほど暮らしたようで、私より、随分先輩だが、同じ頃に宝塚で暮らしていた期間があるかも知れない。
映画やTVの手塚作品は、結構見ているのだが、私自身、サザエさんを少し見た程度で、アニメには縁がなかったので、手塚治虫のアニメや漫画は読んだことがない。
しかし、記念館に入って、沢山の作品を見せられると、その膨大な偉業に感嘆せざるを得ない。
最上階にある手塚作品の図書ルームやパソコンでの作画ルームなどでは、大人も交じって子供たちが沢山集まって遊んでいた。
入口ホールで、昔懐かしいおじさんが、拍子木を打って子供たちを集めて、紙芝居をやっていたのも懐かしい。
私の故郷は、もっと、武庫川を下って、伊丹や尼崎に近い方で、山が迫っているこの宝塚駅のあたりとは違って、昔では開けた農村地帯だったのだが、最近では、殆ど、尼崎の海岸縁まで建物で埋め尽くされてしまっていて、見る影もなくなっている。
私が、宝塚に住んだのは、中学校の初めくらいまでなのだが、小学校と中学校は、完全に宝塚で過ごしたので、青春と言うと少し大袈裟かも知れないが、今でも無性に懐かしくなる甘酸っぱい思い出が充満している。
雑誌の「世界」や「中央公論」などを読んだりしていて、結構、政治経済に興味を持っていて、「世界連邦」を勉強したいと思ったのもあの頃だし、人を真剣に愛することを痛い程身に沁みて思い知ったのもあの頃で、ファウストではないけれど、もう一度、あの頃に帰れるのなら、帰りたいと思っている。
昔、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの・・・」と言う詩を読んで感激したことがあるが、この長い人生の間に、随分、色々な所を歩いて来て、地球上のあっちこっちにプチ故郷が生まれているのだが、夫々、それなりに懐かしい。
少し前に、何十年ぶりかで、小学校の同窓会に参加するために帰って来て、最近では、ほんの数回しか宝塚には来ていないし、住んでいた近くにも、中学校にも行っていないので、全く、思い出だけだが、私にとっては、やはり、宝塚が、一番大切な故郷だろうと思っている。