ダニエル・コーエンの本を読んでいて、興味深かったのは、ローマ帝国の消滅によって、この隙間を埋めようとしたヨーロッパの新興勢力同士の競争が、政治・経済・精神などの側面からヨーロッパの個性を創り上げる過程で、極めて重要な役割を果たしたと言う指摘である。
この諸国のバランス・オブ・パワー(勢力均衡)が、ヨーロッパの政治哲学の中枢となり、ヨーロッパが戦争と平和と言う不変のサイクルにおかれ続けた理由でもあり、また、競争を刺激して、発展進歩をドライブする要因でもあったのであろう。
ところで、この考え方を、デヴィッド・ランデス説を引用して、中国に関して語っているのだが、現実の中国の事情を照らし合わせて考えると、非常に面白いと思った。
仮に中国が、秦王朝以前の「戦国七雄」の7つの王国が争っていた戦国時代の状態にとどまっていたら、中国は、統一王朝下にあったよりも、はるかに発展していたに違いない。
何故なら、中国は、ヨーロッパ諸国と同じ刺激を利用できた筈だからである。と指摘しているのである。
ところが、現在の中国は、考え方によっては、かっての戦国七雄が、新しい装いで戻ってきたような、政治体制になっている。
小平が、省に対し教育や運輸行政のみならず経済開発など経済的な政策の実行についても大きな自治権を与えて以降、省によっては、北京の中央政府と同じ政策を採用したり、広東省や浙江省など有力な省を始め、中央政府によって公布された厳しい基準や命令などを、地方の指導者がほとんど無視するといった極端なケースは勿論、中央政府の指導者と省レベルの自治体が衝突することが頻繁に起こっており、地方自治権が、非常に強力となった結果、地方省庁の間でも、激しい経済競争が勃発して、正に、戦国七雄の再来とも思しき現象が生じている。
この現象に対して、ジャック=リュック・ドムチェックが、「その統治スタイルの主な原動力は、私腹を肥やすことであり、新たな金権政治だ。」と言っているのに対して、
コーエンは、
”エリートが経済のダイナミズムを打ち砕く腐敗国家とは異なり、中国の各地方における腐敗政治は、現在に至るまで、経済成長の要因でもあり続けている。地方の行政当局は、特にインフラに関する比較優位を振りかざしながら、外国投資の誘致合戦を熱心に繰り広げており、この誘致合戦により、中国全体に対する投資が刺激されている。中国の様々な地方を活性化させる投資誘致合戦は、16世紀におけるヨーロッパの国民国家間の競争に似ている。”と、むしろ、肯定的に捉えている。
尤も、コーエンも、中央政府と地方政府との権力の複雑な均衡は、現在のダイナミズムの主要な懸念であることを認めており、汚職撲滅など地方政府の逸脱に警告を発しており、これが、「裸足の弁護士」活動を誘発して、自分たちの自由を危険に晒しながら、中国社会に人権と言う理念を浸透させていると述べている。
さて、私の言いたいのは、このような地方自治権の大幅拡大によって、中央政府のコントロールのタガを逸脱しつつある「戦国七雄」システムが、今後も有効に機能するかどうかと言うことである。
現在、シャドウバンキングの行き過ぎによる中国の金融危機が叫ばれている。
中央政府の経済成長指令に基づいて、地方の経済成長合戦が火花を散らしているのだが、最近では、中国経済の輸出戦略の陰りなどで、その成長戦略の大半が、不動産投資合戦に集中しており、既に、飽和状態となってバブル状態にある不動産開発の結果、あっちこっちに、鬼城と称される新規大型開発のゴーストタウンが沢山現出しており、15兆円とも言われる巨大な額のシャドウバンキング融資が、不良債権化されると懸念されているのである。
ハツカネズミの「回し車」のように、成長路線を突っ走らなければならなかった地方政府が、あぶく銭のように膨れ上がって巨利を求めて行き場を失った膨大な資金源であるシャドウバンキングに頼って、無責任な投融資競争に奔走しなければならなかったのであろうが、本来脆弱な中国経済の行く末は見えている。
先に、ニューヨークタイムズが、温 家宝の膨大な蓄財をリークして物議を醸したのだが、上から下まで、共産党員である政府高官の汚職・腐敗堕落は極に達しており、習近平が就任早々に、汚職撲滅、腐敗政治家の摘発を宣言しなければならなかったと言うことからも分かるように、中国政治の腐敗ぶり程度の低さが露呈している。
その程度がもっと深刻な地方政府をどのようにコントロールして行くのか、コーエンの言うように、この新戦国七雄システムの再来が、新バランス・オブ・パワーとして、かっての近代ヨーロッパのように、競争による切磋琢磨として、発展成長に寄与するのかどうかは、大いに疑問である。
それに、学歴の高い才色兼備の愛人を持つことが政府高官のステイタスシンボルで、そのために汚職を重ねると言う風潮が、非難の矢面に立っているのだが、何億と言う中国の民が、貧困と公害の深刻さに泣いていると言う現実とのあまりにも激しい落差。
欧米の経済学者などは、中国の13億の民が、アメリカ並みの消費生活を始めるようになれば、エネルギーや天然資源の枯渇は勿論、宇宙船地球号自体がエコシステムの崩壊に直面すると危機感を募らせているのだが、
今や、インターネット、特に、SNSによって、グローバル世界は、一挙にフラット化して民衆化されてしまっており、理屈の合わない世界は白日の下に晒されることになってしまっているので、私は、その前に、中国で、一波乱起こるであろうと思っている。
この諸国のバランス・オブ・パワー(勢力均衡)が、ヨーロッパの政治哲学の中枢となり、ヨーロッパが戦争と平和と言う不変のサイクルにおかれ続けた理由でもあり、また、競争を刺激して、発展進歩をドライブする要因でもあったのであろう。
ところで、この考え方を、デヴィッド・ランデス説を引用して、中国に関して語っているのだが、現実の中国の事情を照らし合わせて考えると、非常に面白いと思った。
仮に中国が、秦王朝以前の「戦国七雄」の7つの王国が争っていた戦国時代の状態にとどまっていたら、中国は、統一王朝下にあったよりも、はるかに発展していたに違いない。
何故なら、中国は、ヨーロッパ諸国と同じ刺激を利用できた筈だからである。と指摘しているのである。
ところが、現在の中国は、考え方によっては、かっての戦国七雄が、新しい装いで戻ってきたような、政治体制になっている。
小平が、省に対し教育や運輸行政のみならず経済開発など経済的な政策の実行についても大きな自治権を与えて以降、省によっては、北京の中央政府と同じ政策を採用したり、広東省や浙江省など有力な省を始め、中央政府によって公布された厳しい基準や命令などを、地方の指導者がほとんど無視するといった極端なケースは勿論、中央政府の指導者と省レベルの自治体が衝突することが頻繁に起こっており、地方自治権が、非常に強力となった結果、地方省庁の間でも、激しい経済競争が勃発して、正に、戦国七雄の再来とも思しき現象が生じている。
この現象に対して、ジャック=リュック・ドムチェックが、「その統治スタイルの主な原動力は、私腹を肥やすことであり、新たな金権政治だ。」と言っているのに対して、
コーエンは、
”エリートが経済のダイナミズムを打ち砕く腐敗国家とは異なり、中国の各地方における腐敗政治は、現在に至るまで、経済成長の要因でもあり続けている。地方の行政当局は、特にインフラに関する比較優位を振りかざしながら、外国投資の誘致合戦を熱心に繰り広げており、この誘致合戦により、中国全体に対する投資が刺激されている。中国の様々な地方を活性化させる投資誘致合戦は、16世紀におけるヨーロッパの国民国家間の競争に似ている。”と、むしろ、肯定的に捉えている。
尤も、コーエンも、中央政府と地方政府との権力の複雑な均衡は、現在のダイナミズムの主要な懸念であることを認めており、汚職撲滅など地方政府の逸脱に警告を発しており、これが、「裸足の弁護士」活動を誘発して、自分たちの自由を危険に晒しながら、中国社会に人権と言う理念を浸透させていると述べている。
さて、私の言いたいのは、このような地方自治権の大幅拡大によって、中央政府のコントロールのタガを逸脱しつつある「戦国七雄」システムが、今後も有効に機能するかどうかと言うことである。
現在、シャドウバンキングの行き過ぎによる中国の金融危機が叫ばれている。
中央政府の経済成長指令に基づいて、地方の経済成長合戦が火花を散らしているのだが、最近では、中国経済の輸出戦略の陰りなどで、その成長戦略の大半が、不動産投資合戦に集中しており、既に、飽和状態となってバブル状態にある不動産開発の結果、あっちこっちに、鬼城と称される新規大型開発のゴーストタウンが沢山現出しており、15兆円とも言われる巨大な額のシャドウバンキング融資が、不良債権化されると懸念されているのである。
ハツカネズミの「回し車」のように、成長路線を突っ走らなければならなかった地方政府が、あぶく銭のように膨れ上がって巨利を求めて行き場を失った膨大な資金源であるシャドウバンキングに頼って、無責任な投融資競争に奔走しなければならなかったのであろうが、本来脆弱な中国経済の行く末は見えている。
先に、ニューヨークタイムズが、温 家宝の膨大な蓄財をリークして物議を醸したのだが、上から下まで、共産党員である政府高官の汚職・腐敗堕落は極に達しており、習近平が就任早々に、汚職撲滅、腐敗政治家の摘発を宣言しなければならなかったと言うことからも分かるように、中国政治の腐敗ぶり程度の低さが露呈している。
その程度がもっと深刻な地方政府をどのようにコントロールして行くのか、コーエンの言うように、この新戦国七雄システムの再来が、新バランス・オブ・パワーとして、かっての近代ヨーロッパのように、競争による切磋琢磨として、発展成長に寄与するのかどうかは、大いに疑問である。
それに、学歴の高い才色兼備の愛人を持つことが政府高官のステイタスシンボルで、そのために汚職を重ねると言う風潮が、非難の矢面に立っているのだが、何億と言う中国の民が、貧困と公害の深刻さに泣いていると言う現実とのあまりにも激しい落差。
欧米の経済学者などは、中国の13億の民が、アメリカ並みの消費生活を始めるようになれば、エネルギーや天然資源の枯渇は勿論、宇宙船地球号自体がエコシステムの崩壊に直面すると危機感を募らせているのだが、
今や、インターネット、特に、SNSによって、グローバル世界は、一挙にフラット化して民衆化されてしまっており、理屈の合わない世界は白日の下に晒されることになってしまっているので、私は、その前に、中国で、一波乱起こるであろうと思っている。