熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・私の庭の赤いばらたち

2016年05月12日 | わが庭の歳時記
   私の庭には、今、5種類の赤いばらの花が咲き始めている。
   赤いバラ(Red Rose)の花言葉は、タキイのHPによると、
   「I love you(あなたを愛してます)」「love(愛情)」「beauty(美)」「passion(情熱)」「romance(ロマンス)」
   赤いバラのつぼみ(Red Rose Bud)は、
   「pure and lovely(純粋と愛らしさ)」「innocent love(純粋な愛)」「young and beautiful(若く美しい)」
   と言うことである。
   私には、passionと言うのが、一番あっているように思うのだが、素晴らしい花ことばである。

   さて、私のばらだが、同じ赤いばらと言っても、この5株だけでも、かなりの違いがある。
   一番深紅と言うか、色の濃いのは、イングリッシュローズのダッシー・バッセルである。
   

   赤いばらで、大きくて風格のあるのは、やはり、HTのベルサイユの薔薇であろう。
   発表された直後に、京成バラ園で大苗を買って植えたのが、活着しなかったので、新苗を改めて植えたのが、今、大きくなって開花している。
   14~5センチの剣弁高芯咲で、ばららしいばらと言えばよいのであろうか、とにかく、一輪挿しにもよく似合う。
   

   もう一つのHTは、これもメイアンのばらだが、ルージュ・ロワイヤルで、花はやや小ぶりながら、照葉が美しく、かすかに、芳香がして良い。
   
   
   
   私が、2本も枯らしてダメにしたのが、イングリッシュローズのファルスタッフで、なぜか、この花は気に入っている。
   ロンドンで、最初に見たRSCのシェイクスピア戯曲が、ヘンリー4世で、ハル王子を放蕩三昧に引きずり込んだ無頼漢の飲んだくれのファルスタッフに、強烈な印象を持ったのだが、その後、「ウインザーの陽気な女房たち」、そして、そのオペラ版ヴェルディの「ファスタッフ」を見て、その泣き笑いの生きざまに、興味を感じた。
   エリザベス一世女王が、シェイクスピアに、ファルスタッフを主人公にした恋の物語を書いて欲しいと言ったので生まれたのが、「ウインザーの陽気な女房たち」だとか。
   ストラトフォード・アポン・エイヴォンの大劇場前の公園に、ファルスタッフの銅像が立っているのだが、このファルスタッフは、英国でも、最も人気の高いキャラクターの一人だと言うことである。
   この写真は、咲き始めなので、雰囲気は分からないのだが、堂々としたカップ咲きの花で、デビッド・オースティンは、気品のある姿と性格を持った大輪だと言う。
   これが、何故、ファルスタッフなのか、分からない。
   

  もう一つのイングリッシュローズの赤い花は、ウィリアム・シェイクスピア2000。
  ファルスタッフの生みの親と言う訳ではないが、綺麗な花である。
  
  

  赤い花ではないが、表はビロードのような奇麗な深紅で、裏が淡いオレンジ色のキャプリス・ド・メイアンも、私にとっては、長い付き合いで、毎年、綺麗な花を咲かせてくれると嬉しい。
  まだ、蕾がかたくて咲いていないのは、レッド・レオナルド・ダヴィンチ。
   ばらは、バラ色と言って、ピンクのばらが美しいが、愛の象徴のような赤いばらの魅力も、捨てがたいと思う。
  

   (追記)
   13日現在のファルスタッフとシェイクスピアは次の通り。
   
   
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わが庭・・・イングリッシュ・ローズ咲く

2016年05月10日 | わが庭の歳時記
   もう、15年くらいになるであろうか、イングリッシュ・ローズに興味を持って、栽培を始めたのは。
   イギリスにかなり長く住んでおりながら、仕事一途であった所為もあって、イングリッシュ・ローズを知らなかったので、イギリスへの望郷の思いもあって、これまでに、20種以上は苗や鉢花を買って育ててきたであろうか。
   枯らしてしまったり、鎌倉への移転で上げてしまったりして、今、手元にあるのは、9鉢だけ。
   庭植えするには、花木がいっぱいで、ばら用の場所を取れないので、とりあえず、鉢植えで育てている。
   イングリッシュ・ローズは、オールド・ローズとモダン・ローズの交配種で、両方の良さを併せ持つのが魅力と言うのだが、独特な雰囲気を持っていて、面白い。

   最初からあるイングリッシュ・ローズは、アブラハム・ダービーだけだが、特に選んで残したと言うことではなく、何となく、相性があって残っていると言うことであろうか。
   アプリコットとイエローの色合いにカップ咲きの大輪ばらで、花が重いのだが、これだけ、花びらがびっしりとつまっているのは驚きである。  
   殿堂入りのこのばら、私の庭では、一番最初に咲く。
   
   
   

   この花によく似た大輪のカップ咲きのばらは、プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント。
   実に優雅で、ソフトなピンクの色合いがシックで風格があり、茎がしっかりとしているので、すっくと立って美しい。
   
   

   2011年度の英国の最優秀新種のプリンセス・アンは、この春、タキイから大苗を買って植え付けたのだが、根付いてしっかりと開花した。
   咲きかけは、濃いピンクだが、少しずつ、花色が淡くなって行くのが面白い。
   まだ、植えたところなので、まずまずの開花だが、来年には、綺麗な房咲きを楽しめるであろう。
   ところで、同時にタキイから買った苗のうち、フェルゼン伯爵は根付いて綺麗に咲いているが、残念ながら、王妃アントワネットは、代替品も2本とも、活着せずに枯れてしまった。
   
   

   ダーシー・バッセルは、オールドローズの雰囲気を色濃く残した深紅のばら。
   ロイヤル・バレエのプリマ・ダッシー・バッセルに因んだと言うのだが、彼女が現役の頃に、何度か、ロンドンでロイヤル・バレエに行っていたので、観る機会があったかもしれない。
   
   

   非常に鮮やかなオレンジレッドのふんわりとした、華奢な感じで風にも微かに靡くレディ・オブ・シャーロットは、中々、粋な花ながら、病虫害にも強くて花付きも生育も良くて、私には重宝なばらである。
   
   

   さて、まだ、一寸、蕾がかたくて咲いていないのは、ウイリアム・シェイクスピア2000、レッチフィールド・エンジェル、ファルスタッフ、そして、グレイス。
   咲きそろうと、ほかの種類のばらと競い合って華やかになる。
   
   
   
   
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鎌倉便り・・・鎌倉文学館:ばらが綺麗に咲いている

2016年05月08日 | 鎌倉・湘南日記
   土曜日も強風だったが、フラワーセンター大船植物園のばらが咲いて居れば、当然、鎌倉文学館のばらも奇麗であろうと思って、午後遅く、鎌倉文学館に向かった。
   鎌倉山からは、長谷寺の隣、海岸通りでバスを降りて山側へ歩けば、鬱蒼とした静かな林間の歩道が迎えてくれる。
   何故か、このアプローチを歩いていると、文化の香りがするのが面白い。
   その所為でもなかろうが、この文学館へは、鎌倉のほかの観光名所とは違って、若い男女のカップルの訪問者が多く、ぴったり寄り添って歩いているのを見ると、文学を、そして、詩情を感じているのであろうか。
   川端康成の「古都」の一節でも、語り合っているのであろうか、何故か、教室から抜け出してよく歩いた京都の哲学の道を思い出していた。

   通い慣れた文学館の庭園なので、私は、改札門の裏を抜けて、直接、ばら園に入った。
   この文学館は、一番高台に、山を背負って、ブルー屋根の鮮やかな旧前田侯爵の大きな洋館が建っていて、広い芝庭が海に向かって緩やかにスローダウンしており、その一番下にばら園が広がっている。
   本館からは、ばら園は見えないが、ばら園からは、洋館のブルー屋根が見えて、色彩のコントラストが美しい。
   
   
   

   ばら園に入って、真っ先に目に入ったのは、ばらの上で舞っている綺麗なブルーの蝶であったが、カメラを向けたものの、すぐに飛び去ってしまって、写せたのはワンショットのみ。
   風が強くて、蝶の動きが敏捷なので、私の腕では無理なのである。
   

   さて、ばら園の咲き具合を、まず、一通り歩いて見てから、綺麗に咲いている花を探して、写真を撮るのが私の日頃である。
   このばら園は、芝庭との境界線にフェンスが設けられており、つるばらなど、クライミング種のばらが這いあがっており、その下の畑には、4列のばらの植え込みがあって、199種244株のばらが植えられていると言う。
   黄色いばら「鎌倉」をはじめとして、鎌倉にゆかりのばらが何種類か植えられているのは、流石に、文学館で、興味深いところである。
   ばらと言う花の性格上、ここで植えられているばらの大半は、欧米で作出されたばらで、それも、殆どは古い種類のばらであり、イングリッシュローズやフレンチローズなどの新しいバラはない。
   しかし、HTが主体のようで、一番古いHTのラ・フランスが、最も巨大な花を咲かせており、その分、園内一体に華やかさが増していて、良い。
   まず、やや広角で撮った写真を示すと、次の通りである。
   
   
   
   
   
   

   とにかく、私の場合には、私が植えているばらやイングリッシュローズ、それに、殿堂入りしたばらや世界的名花など良く知られているばらなどは別だが、あまりにも種類が多くて覚えられないので、ああ、きれいだなあ、で終わってしまうことが多い。
   ラ・フランスを筆頭に、写した写真を、アトランダムに掲載しておきたい。
   
   
   
   
   
   
   
      
   
      
   
   
   
      
   
   

    文学館の本館に入って、いつも、何となく、目的もなしに展示を見て回っているのだけれど、回数を重ねると、少しは、親しみが増してくる。
   風が強いので、2回のベランダへのドアが閉鎖されていたために、外に出て午後のひと時を楽しめなかったので、庭のベンチでしばらく小休止していた。小鳥が、足元を走る。
   本館のアプローチに、レトロ調のコーヒーワゴンが止まっていて、レコードが懐かしい洋楽を奏でていた。
   ばら園を出る時、緑陰に、アジサイの新芽が蕾を溜めて光っていた。もうすぐ、咲き始めて、また、庭園が華やかになる。
     
   
   
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船植物園・芍薬バラ満開(2)

2016年05月06日 | 鎌倉・湘南日記
   ばらは、咲き始めたと言う時期だが、このフラワーセンターでは、今年は、かなり、早く咲いている。
   皇室の名前を冠したばらのところに行ってみたら、相変わらず、元気な京成バラ園作出のピンクの四季咲き中輪フロリバンダのプリンセスアイコは、勢いよく咲きだしている。
   濃いオレンジ色のイギリスのディクソン社作出のフロリバンダのプリンセスミチコは、やっと、蕾が色づき始めたところで、ピンクのイングリッシュローズで デイビッド・オースチン作出のプリンセスマサコ(Eglantyne)は、まだ、蕾がかたい。
   
   

   殆ど知られていないのだが、このフラワーセンターでは、重要な位置を占めている地元の黄色いばら「鎌倉」が、綺麗に咲いている。
   それに、やはり、真っ先に私の目に付くのは、濃いショッキングピンクの鮮やかなFLの「うらら」で、華やかに咲いていてきれいである。
   このこじんまりした鮮やかな花色が好きで、何度か鉢植えで育ててみたのだが、枯らせてしまっている。
   
   
   
   


   個々の花ではなく、ばら園を、多少、広角で写しても、結構、沢山の花が咲いているのが分かる。
   まわりのフェンスや垣根に這い上るツルばらを除けば、ここのばらの過半は、四季咲き大輪系 ハイブリッド・ティーで、続いて、フロリバンダやオールドローズが多いようである。
   したがって、比較的新しいイングリッシュローズやフレンチローズなどは、少ない。
   京成バラ園は、新種の作出は勿論、栽培販売等一切を業としている専門のばらの会社なので、あらゆる種類のばらを扱い、新種に対する入れ替えも頻繁なので、絶えず、ばら園が変化して動いているのだが、その点は、この大船のフラワーセンターと違っていて面白いのである。
   
   
   
   
   
   

   
   私は、京成バラ園に行った時には、必ず、真っ先に、イングリッシュローズの丘に行くのだが、このフラワーセンターで良く咲いていると思うイングリッシュローズは、パット・オースチンで、この日は、まだ、開花前であった。
   綺麗な花を探して、一輪ずつシャッターを切ることが多いのだが、ばらに思うように近寄れないので、光や影の影響もあって、中々難しい。
   しかし、ファインダーを覗き見ながら、よくもこれだけ、繊細で美しい花を創り出したものだと、神の造形に感激してる。
   
   
   
   
   
   
    
     

   池やプールに、睡蓮が、綺麗に咲きだして、時々、大きな鯉が水面に体を持ち上げる。
   風がなければ、カワセミが水面をかすめるかも知れないし、鷺が水際に立って小魚を狙っているであろう。
   反対側の小山の斜面には、紫蘭や苧環の花が、咲いていた。
   
   
   
   

   園内の展示場で、湘南のクレマチス展示をやっていた。
   本来なら、高く這い上がるのであろうが、展示であるから、小さな株の行燈仕立ての鉢花である。
   結構、場所を選ぶので、わが庭には、一株しか植わっていないが、沢山の種類があって、花姿もまちまちで、好きな人にとっては、たまらないのであろうと思う。
   
   
   
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船植物園・芍薬バラ満開(1)

2016年05月04日 | 鎌倉・湘南日記
   わが庭の芍薬やばらが咲き始めたので、フラワーセンター大船植物園に出かけた。
   花を鑑賞に行くのも目的だが、私にとっては、散歩兼運動の一環ということもあって、バス一本で行けるので、結構気が向いたら出かけて行く。
   やはり、出かけてみれば、最盛期はまだ少し先だが、一斉に咲き始めたところなので、花弁が完全で瑞々しくて、一番美しい。
   昨夜からの強風で、花は大揺れに揺れており、風雨に叩かれながらも、花弁が殆ど痛んでいないのは、幸いであった。

   咲き乱れて広場を明るくしていた春の草花が終わってしまって、花壇は、色彩が寂しくなってしまっている。
   派手に咲いていた牡丹も、ほぼ終わってしまった。
   菖蒲園は、勢いよく茂り始めたのだが、咲いているのは、水際の黄菖蒲など早咲き種やあやめくらいで、アジサイとともに、月末から梅雨入りの6月に入ってからであろう。
   
   
   

   椿は、紀州司だけが咲いていて、殆ど芽吹き始めた緑の新芽に覆われていた。
   オオデマリが、咲いていた。
   藤も最盛期を過ぎたけれど、まだ、藤棚に奇麗に花房が残っている株もあった。強風に激しく靡く花姿も自然の摂理であろうか、飛び回っていた熊ん蜂も今日はいない。
   
   
   
   
   
   

   さて、芍薬だが、まだ、種類によっては、蕾のままの株もかなりあるが、殆どは、蕾交じりもあるが奇麗に咲いている。
   この日は、強風ながら、昼前から綺麗に晴れ渡ったので、陽光を受けて輝いていて美しい。
   牡丹の繊細な花弁は、強い日差しや風雨に弱くてすぐに痛むのだが、芍薬の方は、多少、強いのかも知れないが、綺麗な花姿を維持している花が多い。
   牡丹と比べて、一つ一つの花は小さくて豪華さに欠けるのは、草花ゆえに仕方がないとしても、とにかく、沢山花茎を出して花が咲き乱れるので、華やかである。
   一番最初に咲いたのが、コーラルチャンスなのであろうが、やや、オレンジがかったアプリコット色の独特な花姿が、存在感を示している.
   この花は、ほかの芍薬とは違った明るい色彩で目立っていて、それに花弁が多くて花もちが良いので、息が長い。
   
   
   
   
   畝に一筋ずつ植えられている種類もあるが、沢山の種類の芍薬が植えられているので、一株の種類もあって、花色や花姿のバリエーションが面白い。
   一面に芍薬畑を見渡して、色の微妙な交錯を楽しむのも楽しい。
   
   
   
   
   
   

   この神奈川県では、輸出用に、100年ほど前から芍薬が栽培されていると言う。
   個々の花を見ていると、よくもこれだけ手の込んだ造形美を作り出したものと、創造主の技の冴えに感嘆せざるを得ない。
   昆虫を誘うために咲き競っているのであろうが、複眼の奥から、蝶や蜂は、何を見て何を感じて花を訪れているのか、時々、我々人間よりも鑑賞眼が高いのかも知れないと思うことがある。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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四月大歌舞伎・・・「幻想神空海」

2016年05月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この歌舞伎美人掲載のビラには、総本山金剛峯寺の名前が入っており、以下のように記されている。
   夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間文庫・角川文庫)が歌舞伎座で上演されます。
四月大歌舞伎 夜の部 新作歌舞伎
「幻想神空海 沙門空海唐の国にて鬼と宴す」
 高野山開創一二〇〇年記念
夢枕 獏 原作
戸部和久 脚本
齋藤雅文 演出
空  海 染五郎
橘 逸勢 松也
楊貴妃  雀右衛門
皇  帝 幸四郎

   高野山公認の新作歌舞伎であると言うことなのであろうが、夢枕獏の原作「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」が、創作の小説である以上、実際の空海像とは違うであろうし、ここで描かれている空海が説く「密」などの宗教論が、高野山の教理に合致しているのかどうかは、門外漢の私には、全く分からない。
   しかし、歌舞伎を観て、非常に面白かったし興味を感じたものの、歌舞伎を一回観ただけでは、ストーリーが良く分からなかったので、夢幕獏の原作を読んでみた。
   徳間文庫で全4巻、完結までに17年かかったと言う、2000ページ以上の大作であり、殆ど小説を読んだことのない私には、経済や経営の専門書などと比べれば、すいすいと行くものの、速読術ではないので、一寸、時間を取った。

   この小説は、空海と橘逸勢が主人公だが、しかし、あの絶世の美女楊貴妃を廻る物語で、幻術を使う異教の道士や呪師が暗躍して唐王朝を手玉に取ると言う幻想的な怪奇伝奇ロマン小説であり、沙門空海が、唐の国、玄宗皇帝と楊貴妃が愛を育んだ華清宮で、鬼と宴す物語なのである。
   胡人をメインキャラクターに据えて、ゾロアスター教の闇を暗躍させて、インドで生まれた仏教から中国で成熟した密教の世界を描こうとするあたり、エキゾチックなムードの充満した長安を舞台に繰り広げられているスケールの大きな芝居の面白さを増幅していると言えようか。

   楊貴妃が馬嵬で殺害されてから、空海が遣唐使として長安に至るのは、ほぼ半世紀後のことなので、両者には何の接点もないはずだが、夢枕獏は、次のように楊貴妃の出生を変えて、奇想天外な発想を加えて、唐王朝の滅亡のために暗躍する胡人たちを登場させている。

   胡の道士黄鶴は、短剣使いの街頭芸人の時に、芸のカラクリを見抜かれて玄宗皇帝の命令によって身動きできなくした妻を盾にして殺してしまい、玄宗に激しい恨みを抱き、唐王朝の滅亡を策そうと決心する。
   ある時、亡き妻によく似た女性を見つけて後をつけ、幻術を使ってものにして通い詰めたら、それが楊玄琰の妻であり、孕ませて生まれた女児が楊玉環(楊貴妃)であった。見つかったので、夫婦を殺害したので、玉環は、叔父楊玄璬に養育された。
   玄宗への復讐心よりも、わが孫を皇帝にすることの方に心を砕くようになり、玄宗の子・寿王に嫁がせたのだが、皇帝への芽が消えたので、高力士を誑かして、楊貴妃を玄宗に娶らせる。安禄山との戦いで窮地に立った玄宗が、楊貴妃を馬嵬で殺害することになった時に、黄鶴は、尸解の法(尸解丹を飲ませて針を刺して人の生理を極端に遅く仮死状態にして後に再生させる方法)を使って、高力士に因果を含めて仮死させて楊貴妃を石棺に納めた。
   その後、その石棺をあけて楊貴妃を蘇らせたのだが、黄鶴の弟子の丹龍(丹翁)と白龍が、楊貴妃を連れて出奔し、玄宗と黄鶴の前から姿を消す。
   空海が長安に赴いた時に、黒猫の妖怪が引き起こす劉雲樵の家の怪異事件、徐文強の綿畑で俑の妖怪が暗躍する事件、長安の街路で順宗の死を予言する立札が立ち続ける事件等々、朝王朝に対する不吉な事件が頻発して、空海たちを巻き込んで行く。
   この事件は、ペルシャの邪教の呪師と化した白龍が、自分から逃げた相棒の丹龍を誘き寄せるために、唐王朝を滅亡させようと打った妖術である。
   楊貴妃に恋い焦がれて女にしたものの、白龍には靡かず丹龍の名前ばかりを口走るので恨み骨髄に達して、大唐国の皇帝を呪詛し滅ぼそうとすれば、丹龍が、必ずそれを察知して長安に舞い戻るであろうと考えて、始皇帝が1000年前に作らせた呪を打ち続けてきたのである。
   最後に、尸解の法で長生きしてきた黄鶴が現れて白龍(実は楊貴妃の弟で実子)を殺し、娘を道具にし続けたその黄鶴も、正気に戻った楊貴妃にその刀で殺される。
   楊貴妃も、自害しようとしたのだが、丹翁が思い止まらせて二人で仲良く消えて行く。
   そんなストーリーがメインになっている、超人的な空海が縦横無尽に活躍する痛快な伝奇物語で、並みの小説よりもはるかに面白い。
   ラストは、空海が2年と帰国を早めたので、帰国の許しを皇帝に懇願するシーンで、皇帝のたっての願いで、王宮の壁の王羲之の筆の横に、空海が「樹」と大書して残す。 

   私が、この小説で面白かったのは、重要な役割を演じる狂言回しの道士や呪師たちや胡伎たちなどがペルシャやインドなど西方人たちで、人種の坩堝であったシルクロードの交差点大都長安の、国際都市としての風景が、実にビビッドに描かれていて興味深かったことである。
   京都での学生時代に、中国史などに入れ込んで、シルクロードなど東西交渉史を勉強したことがあった所為もある。

   この歌舞伎の主な出演者は、染五郎(空海)を中心に、松也(橘逸勢)、歌六(丹翁)、雀右衛門(楊貴妃)、又五郎(白龍)、彌十郎(黄鶴)、松也(逸勢)、歌昇(白楽天)、種之助(牡丹)、米吉(玉蓮)、児太郎(春琴)、そして、幸四郎(皇帝)だが、原作には春琴は登場せず、
   原作で、空海が修行する青龍寺の恵果や不空など重要人物が省略されているなど、シンプルになっているけれど、かなり、異同がある。

   染五郎の空海は、イメージとしてどうなのかは別として、この舞台では、非常にエネルギッシュで活力漲った意欲的な芝居に徹していて、興味深い。
   そして、原作でもそうだが、松也の橘逸勢は、絶えず、空海と行をともにしていてストーリーの補足説明役のような存在だが、上手く合わせていて面白い。
   二時間に短縮した芝居なので、仕方ないのだが、原作では、非常にあくの強い邪師である黄鶴や白龍の存在感が希薄で、彌十郎や又五郎が本領を発揮できなかった。
   丹翁は、空海の導き手のような役割の道士ながら渋い役で、歌六が良い味を出していた。
  雀右衛門の楊貴妃は、中々、電光に映えて優雅で美しく、流石に襲名披露後の舞台である。
   奇麗な米吉の玉蓮や、颯爽とした歌昇の白楽天など、若手俳優の活躍も見逃せず、華麗な舞台を作り上げていた。

   肝心の空海の青龍寺での恵果との劇的な対面や灌頂を授けた状況などに触れずに、それに、白楽天を登場させながら、「長恨歌」を端折ったりしながらも、とにかく、歌舞伎の舞台は怪奇ストーリー一辺倒となっていて、空海とは、別の世界を現出していて、芝居としては面白い。
   もう一つ、原作では、80歳を超え老いさらばえた楊貴妃を登場させて、華清宮で舞わせており、実年齢で空海と対面させているのだが、歌舞伎の舞台では、絶頂期の美しい楊貴妃の姿や舞だけにして、夢か現か分からないようにしているのは、やはり、虚実皮膜、芝居ゆえであろうか。
   楊貴妃が、黄鶴の血を受けて目の色が青いと言うのも面白いが、舞姿が、胡扇舞の趣があるのかどうか、雀右衛門の舞は、唐と言うよりは、今の中国の伝統的な舞姿なのであろうか。華清宮の舞だが、空海の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」のメインテーマで、玄宗と楊貴妃ゆかりのこの華清宮で宴を催すと言う一世一代の大芝居を打って、唐王朝を揺るがせた邪教淫祠カラバンのドゥルジ(白龍)を誘き出して楊貴妃を登場させたのであるから、着飾った華麗な舞であっても、原作通り、老いさらばえた実年齢の楊貴妃に舞わせるべきではなかったかと思っている。

   面白いと思ったのは、この歌舞伎では、主要な舞台の一つが、玉蓮や牡丹など胡人の妓生のいる胡玉楼という遊郭まがいのナイトクラブで、橘逸勢はともかく、空海も僧衣で結構通っていて、僧職にありながら、公然と女性との関係を公言していることである。
   密教で重要な「理趣経」に、「妙適清浄句是菩薩位」、すなわち、「男女の交合のたえなる思いは清らかな菩薩である」と言うことで、夢枕獏は、「欲箭」「愛縛」など十七清浄句を説明し、妙適はと聞かれた空海に、「よいものですねえ」と答えさせている。

   歌舞伎の舞台は、大分前に観たので、印象が薄くなってしまって、レビューにならなくなってしまったのだが、真山青果の『元禄忠臣蔵』や浄瑠璃など、原作のあるものは、先に読んでから歌舞伎を観に行くことが多いにも拘らず、夢枕獏の作品は読んだこともないので、端折ってしまったのが、一寸、失敗であったかも知れない。
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わが庭・・・芍薬、バラ咲き始める

2016年05月02日 | わが庭の歳時記
   椿が終わると春も終わりなのだが、牡丹に続いて、芍薬が咲き、五月に入ると、一気に、ばらが咲き乱る。
   その合間を縫って、梅雨を目指して、アジサイが華やかに咲き、すぐに暑い夏となる。
   これからは、日々庭が変化するので、朝、庭に出るのが楽しくなる。

   蕾が膨らんでいた芍薬が、花を開き始めた。
   まだ、コラールチャンスとレッドレッドローズの2本だけだが、赤い花が朝日に輝いて奇麗である。
   牡丹ほど大輪で豪華ではないのだが、少し控えめで清楚な美しさが、私は好きである。
   ”立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花”
   素晴らしい女性に対する日本人の美意識だと思うが、美しい花を育てて愛でると言う楽しみは、ピグマリオンにも通じる園芸ファンの醍醐味かも知れないと思うことがある。
   
   
   
   
   

   ばらも花を開き始めた。
   まだ、蕾が開き切っていないのだが、イングリッシュローズのアブラハムダービー、
   もう、20年近くも育てていて枯れかけた古木を生かして咲き続けているキャプリス・ド・メイアン、
   そして、京都のイメージの紫赤のアオイ、
   
   
   
   

   さて、わが庭に、今、綺麗に咲いているのは、あやめと紫蘭である。
   庭の花木の根元にひっそりと咲いていて、それ程主張はしないのだが、かなりの群植なので、下草が華やかになって面白い。
   キンギョソウやなでしこ、そして、ミヤコワスレも広がって咲いている。
   
   
   
   
   
  
  
  
  

   花木では、コデマリが、真っ白な小花をびっしりと付けて広がっている。
   ブルーベリーは、まだ、木が小さいので花付きは良くないのだが、花がついた房には結実し始めている。
   それに、今年は、レモンの木に、沢山の花がついた。千葉の庭では、少し寒かった所為か枯らしてしまったのだが、この鎌倉では、レモンが収穫できそうである。
   
   
   

   私が嬉しいのは、椿の木が、元気な新芽を伸ばし始めたことである。
   来月には、この先に花芽がつく。
   千葉の庭の頃のように、椿は大きく育たないと華やかさに欠けるので、この数年は、成長を待つことだが、綺麗に咲いたら、また、増田兄に頂いた花瓶に豪華に活けて楽しみたいと思っている。
   新芽が伸びても、1年に20センチくらいだが、しかし、株まわりも大きくなるので、5年くらいで、かなり、立派な木に成長し、綺麗な花を咲かせる。
   
   
   

   さて、今年も、トマトのプランター栽培をやっており、アイコなど、花が咲いて結実し始めている。
   毎年、栽培日記をこのブログで書いていたが、今年からはやめることにした。
   
   
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京都:能の旅~貴船神社・鉄輪の世界

2016年05月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鞍馬寺の奥の院から、急坂を降ると西門に達し、鞍馬川の支流である小さな谷川の貴船川を渡り、街道を少し上ると、左手に、真っ赤な鳥居の列柱が見え、その参道の石段を上り詰めると貴船神社の本宮である。
   元の本宮は、700メートル上流にある奥宮にあったのを、現在地に移したのだと言う。
   祭神の高龗神は、水の供給を司る「水源の神」であり、貴船川の急流は貴船大神の御神威の象徴だと言うことであるが、奇麗な水が水音高く滔々と流れており、夏季には、この川の上に川床を張って、賑やかな宴会が催されるのである。
   門をくぐると、真っ先に見えるのは、白と黒の2頭の馬の像で、この神社が“絵馬”発祥の地だと言うから面白い。
   
   

   本宮には、結構外国人の観光客が来ていて、社殿に参拝すると言うよりも、おみくじの方に興味があって、この神社には、水占みくじと言うのがあって、おみくじを境内の水盤に晒すと字が浮き上がるのを面白がっていた。
   さすがに、水は命の水源の神様の社である。
   上ってきた参道の北側に、下る参道があって、奥宮に通じている。
   
   
   
   

   さて、奥宮への途中に、中宮があるのだが、これは、縁結びの神様磐長姫命を祀ってあって、当然のこととして、若い女性の参拝者が多い。
   それも、そうだが、この神社には、「相生の杉」と言って、根が同じの巨大な杉の木が二本並んでそそり立っていたり、また、奥宮に、
   「連理の杉」と称する御神木があって、杉と楓の木が2本しっかりと絡み合って立っていて、夫婦や男女の仲がよいことの象徴だと言う。
   
   
   
   
   さて、この神社のHPによると、
   貴船神社が「恋を祈る神社」として知られるようになったのは、今から千年もの昔、宮廷の女流歌人として名高い和泉式部が、夫の心変わりに悩んだ末に貴船神社に参詣し、夫との復縁を祈願したところ、願いが叶えられたという話に始まる。と言う。
   奥宮に行く途中に、高浜虚子が詠んだ
   思い川 渡ればまたも 花の雨
   にまつわる思い川があり、和泉式部もこの川で身を清めてから、本宮に参拝した。
   
   

   奥宮は、境内はかなり広いのだが、奥に、舞台があって、その後ろに拝殿があり、ひっそりと静まり返っていて、殆ど、訪れる人はいない。
   奇麗なうすいピンクの八重桜が何本か咲いていて美しく、五弁の椿の巨木がそそりたっていて、落ち椿が地面を荘厳しているなど、落ち着いた佇まいが良い。
   
   
   
   
   
   

   さて、この貴船神社は、能「鉄輪」の舞台である。
   前に、観世銕之丞師の「鉄輪」を観るつもりでチケットを持っていたのだが、急用で行けなくなったことがある。
   銕仙会のHPを引用させていただくと、
   ”真夜中の貴船神社。藁人形に打ち付ける五寸釘の音が、鬱蒼とした木立に響き渡る…。呪詛や陰陽師といった、怪しげな世界の中で描かれる、妖艶なまでの嫉妬と恨み。”と言う凄まじい能である。
   その後、シテ/辰巳 満次郎で、宝生流の舞台を観ている。

   ストーリーは、
   京の女が、真夜中、貴船神社に、自分を捨てて後妻を娶った夫に、報いを受けさせるべく、遠い道を幾晩も、貴船神社に詣でていた。社人に、神託を伝えよ夢のお告げがあり、丑の刻に来た女に、「三つの脚に火を灯した鉄輪を頭に載せるなどして、怒る心を持つなら、望みどおり鬼になる」と神託を告げる。女が神託通りにすると言うと、女の様子が一変して髪が逆立ち、雷鳴が轟き、女は恨みを思い知らせてやると言い捨て駆け去る。
   下京辺りに住む元夫は、連夜の悪夢に悩み苦しんで、陰陽師安倍晴明を訪ねる。晴明は、先妻の呪いによって、命が今夜で尽きると見立てたので、男は助けを懇願し、これに応じた晴明は、彼の家に祈祷棚を設けて、夫婦の形代を載せ、呪いを肩代わりさせるため、祈祷を始める。逆さにして脚に火を灯した鉄輪を戴き、鬼と化した先妻が現れて、捨てられた恨みを述べ、後妻の形代の髪を打ち据え、男の形代に襲いかかるが、神力に退けられてしまったので、時機を待つと言って消える。
   この能は、一説によると、『平家物語』の「剣之巻」及び『太平記』内の「宇治の橋姫」の物語が元になっているということだが、いずれにしても、この神社は、先の縁結びの神でもあり、和泉式部の話を考えてみても、男女の仲に深く関わった神だと言うことなのであろうか。

   もう夏も近くなったのか、貴船川沿いの料亭などが川床の準備を始めだした。
   バスが行ってしまったので、叡電乗り場まで2キロの山道を歩いたのだが、貴船川沿いに、シャガや八重桜、山吹などの花が咲いていた。
   山々の新緑が美しかった。
   
   
   
   
   
   
   
   
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