急成長! 6年生!・・・・・それが教育の目的です!

「私はこの小学校生活最後の学芸会をしっかり演じて、最高の思い出を作りたいし、観てくれる人たちを感動させたいので、真剣に練習したいです!みんなもお願いします!」

「ぼくはみんなと協力して、観てくれる人たちを感動させる演技をしたいです!」

「6年生は学校の看板だから、下級生のお手本となるような演技をしたいです!」

次々と立ち上がり、6年生全員の前で、心から自分の意見を主張していく子ども達。一人が話し終わった瞬間に次の一人が自ら立ち上がり、前に出てきて真剣に語る。

「私たちの目標は最高の卒業式をすることだから、私はこの学芸会も成功させないといけないと思っています。だから一生懸命頑張るつもりです!」

「一生懸命に演じることで、観ている人に笑いと感動を与えたいとぼくは思っています!」

「あと1週間しか練習できないけど、その1回1回の練習を全力で取り組みたいです!」

すべては子ども達の言葉です。私たち担任は司会も何もせずにじっと見守っていただけです。それでも子ども達だけで「決意発表」の会はどんどん進められていきました。
前に出て語る友だちの姿を見ながら、グラグラ心を揺さぶられていく子ども達。これこそ「学び合い」です。友だちの言葉を聞いて自分の思いが高ぶり、自然と足が身体を前に運んでしまう。

「もしかしたら人生で最後になるかもしれない演劇の舞台だから、悔いのないようにやりたいです!」

「自分の持っている力をすべて発揮できるように努力します!」

15分間、途切れることなく立ち上がり続けた子ども達。強制ではない、自ら立ち上がった子ども達の姿がそこにはありました。




いったい何をしたと思いますか?(笑)




これは先週の木曜日、ランチルームをお借りして、6年生全員で学芸会の練習をしていた時のエピソードなのです。

子ども達は、前日の練習ではとても高いモチベーションで取り組み、成長の姿を見せていました。ところが翌日のこの日の練習は、セリフを間違えたらニヤニヤ笑い、演技も中途半端で、少々ふざけ気味でした。

9~10月にかけて、様々な行事に取り組み続ける多忙さゆえ、学芸会練習のスタートが遅れに遅れ、はたして間に合うだろうか?という状況にもかかわらず、このままの雰囲気で進んでしまったら絶望的な状況になると感じていたのは担任だけだったようでした。

そこで、ここは一喝するしかないと判断し、私からこのような話をしました。

「今の練習の雰囲気はものすごく気持ち悪い。演技を観ていて本当にイヤ~な気分に気持ちにさせられる。こういう空気で練習をしていても、もう本番には間に合わないから6年生はもう止めよう。こんな1週間前になっても練習を大切に仕上げていかれないような集団はやるだけ無駄だ。教室で授業をしている方がためになるよ。止めよう、止めよう。」

固まってしまう子ども達。しばらく沈黙が続く。私としては誰かが「いいえ、やらせて下さい!みんな真剣にやりなおそうよ!」と言い出すことを期待しながら、忍の一字で待つ。

残念ながら、子ども達はどうしたら良いのか分からなかったようなので、整列着席させて話をしました。


「君たちはこの劇を自分たちの手で創り上げようとしないのか?最後まで先生に“やらされて”演じていくのか?・・・・・・・

 僕がこれまでに教えた子ども達の中にはね、6年生で脚本から演出、音響・照明・大道具など全部を子ども達の手でやり遂げた6年生もいるよ。『私たちの手でやらせてください!』と言って、本当にやり切ってくれた。

 6年生だけじゃないよ。3年生を受け持った時にもさ、放課後にみんなで集まって、子どもだけでダンスを考えてきたよ。僕からはそんな指示もしていないし、本当に自分たちだけで工夫に工夫をして、楽しく取り組んでいた。

 今の君たちはどうなんだ? 取り組みがこんなに遅れているのに休み時間や放課後に自主的に練習したりしないじゃん。所せん君たちは“やらされている”だけなんだよ。そんな“やらされている演技”を見せるなんて、最高学年として恥だと僕は思う。

 もし、この中で『そんなことはない、自分はこの劇をやりたい』と思っている人がいるならば、みんなの前に出て自分の意見を主張してみな。」

一瞬の沈黙があり、一人が立ち上がって、心の底からの言葉を学年のみんなに投げかけました。

「私はこの小学校生活最後の学芸会をしっかり演じて、最高の思い出を作りたいし、観てくれる人たちを感動させたいので、真剣に練習したいです!みんなもお願いします!」


堰を切ったとはこういうことを言うのでしょう。次から次へと立ち上がり、心からの叫びを言葉にしていく子ども達。普段はめったに発言しない子まで、勇気を出して前に出てきて語りました。

30人ほど決意発表をしたでしょうか。時間がなくなったので、最後に私から指導をしました。

「今みんなは勇気を出して決意を発表してくれました。一人一人の言葉に、“思い”が感じられました。この“思い”というものが大事なんですよ。みんなは最高学年なんだから、劇を通して「6年生の“思い”」を伝えていくんです。残された練習回数はわずかだけど、ぜひ君たちの“思い”を込めて練習してほしいです。頑張ろう!」



6年生は再び脱皮してくれました。
この「成長」が本当に大事なのです。
私たち教師にとって、劇を成功させることが目的なのではなく、練習を通して子ども達全員が一歩も二歩も成長してくれることが「教育の目的」なのです。


私の授業を観察するために来ていた副校長先生からは、直後の20分休みに、

「いや~、すごい場面を見せてもらったよ。井上先生の思いを子ども達がしっかり受け止める姿に感心した。それを自分の言葉に表していける力が育っているんだね。さすが6年生だよ。」

という言葉をいただきました。



学芸会は目前。ひとつのエピソードを紹介させて頂きました。
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