韓国鉄道博物館・上編では主に黒・緑色の車両をご紹介したのですが、個人的に一番楽しみにしていたのは……鉄道庁時代の普通列車用塗装として用いられてきたスカ色 (?) の車両たちとの語らいです (*^^*)。もちろん、何故これらの車両・塗装がまだ現役だった90年代半ばまでに来なかったのか……という激しい後悔を感じながらではありましたが (^^;)。
まず↑は、1974年に地下鉄1号線と首都圏電鉄線が誕生した際、韓国国鉄が日本から輸入した1000系の記念すべきトップナンバー! 交直流電車でやや幅広であるという点を除けば、車内のドアコック表示や走行音・乗り心地に至るまで、雰囲気はそのまんま103系です! 純粋な日本製車両は126両ということで、1976年以後は韓国製に移行し、現役の編成 (新 & 新々1000系) はデザインがかなり変わっていますが、初期車の一部の中間車は長編成化のために活用されて現役です! (1000系は改めて詳しくご紹介します) それにしても……日本の103系でスカ色、見てみたいなぁ……(^^;;)。
いっぽうこちらは1960年代に日本から150両以上が輸入され、ソウル=仁川間の近郊輸送を皮切りに90年代まで走り続けたディーゼルカー。雰囲気はそのまんまキハ20ですが、ドアが両開きでヘロヘロな排障器が付いているあたりがチャーミングポイントでしょうか (^^;)。JTBキャンブックス『韓国鉄道の旅』によりますと、客車を改造したキサハを大量に連結するという酷使ぶりがたたって、1/3が事故廃車となったとか……(合掌)。
韓国国鉄の車両のうち、大学生時代に「ちょっと韓国旅行してみようかな……」と思い、『地球の○き方』や時刻表を買い込んで研究したときに一番憧れたのが、鈍行列車「ピドゥルギ (鳩) 号」に使われていた鮮鉄客車 (及び、それを基に独立後に製造された客車) の残党群……。特に、釜山鎮から中央線 (京釜線とは違い、山間部の単線をクネクネと走る路線) を経由して、ソウルの清涼里まで丸一日かけて走る「ピドゥルギ」の存在には激しくそそられたものです (^^;)。
しかし、金がたまると中国貧乏旅行にばかり出かけてしまい、「韓国は近いからいつでも行ける」と後回しにしていたところ……いつの間にか「ピドゥルギ」は消滅! それでしばし韓国への興味が遠のき (^^;)、初訪韓は3年前となってしまいました (滝汗)。
そんな苦い思い出とともにこの客車 (鮮鉄ラハ2形? もしくはその韓国国産車) を眺めていると、改めて「しまった……」と思うのでした (^^;;
最後の一品は、大都会のすぐそばのナロー・水仁線で用いられていたミニ客車! 水仁線は本来、水原=仁川を結んでいたはずが、都市の拡大とともにナロー線路は邪魔者扱いされ、90年代半ば頃に休止 (廃止?) された時点では水原=漢大前間の20kmほどを残すのみとなっていました。でも……上記の通り最初に韓国旅行を画策した時点では、まだ時刻表に水仁線の1日3往復の列車が載っていたんだよなぁ……(鬱)。90年代は個人的に「血中撮り鉄分」が激減していたことが、こういうお宝を逃すことにつながっていました。というわけで、水仁線の車両を見ても、後悔ばかりが鬱々と……(爆)。
とまあこんな感じで楽しめた韓国鉄道博物館、ソウル滞在スケジュールの都合により休日に訪れたのですが、お子様連れのユルい気分で訪問されるのでなければ決して土曜・休日はオススメしません。最近の韓国では少しずつ鉄道への興味が広まりつつあるようで (?)、ただでさえ家族連れやボーイスカウトなどの見学が多いだけでなく、貴重な展示車両の脇でゴザを敷いている親子連れ (とくに、オヤジは真っ昼間からマッコルリ飲んでひっくり返ってるし…… -_-メ) もいる始末。このため、最大のお目当てだったテンイネ3 (鮮鉄の急行「のぞみ」用展望車→大統領専用車) の撮影は諦めざるを得ませんでした。まぁ、また来れば良いか……。
あと、博物館内では動態保存用のレールがあり、国鉄のマスコット「チポチポ」を正面にドーンと掲げた (-_-)、日本製DCが走っている……はずでしたが、どうやらエンジンが不調なようで、車内には作業員の洗濯物が干してあるなど、最近は全く展示運行をしていない模様です。「チポチポ」には目をつぶって激写しようと楽しみにしていたのですが……(T_T)。大宮のキハ11がこうならずにいつまでも走り続けてくれることを願っております。