地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ジャカルタ炎鉄録 (16) パラヒャンガンの旅

2009-09-10 00:51:00 | インドネシアの鉄道


 日本人から見たインドネシアの鉄道最大の魅力といえば、今や圧倒的に日本の中古冷房車なのかも知れません。しかし、興味の対象が無尽蔵に広がるワクワク感ゆえに「外国型車両もイケてる」と思っている私にとって、東急8000系列などがやって来る前後にグロロロ……とエンジン音を響かせながらやって来るインドネシア・オリジナルの客車列車や貨物列車も大いに興味をそそられます (*^^*)。
 とくにインドネシアの鉄道は、オランダ領東インド時代のバラバラな軌間が第二次大戦中の日本軍政のもとで1067mmに統一されているということもあり、基本的なサイズという点において違和感がなく (蘭印崩壊後の日本軍政については正負いろいろな評価が可能ですが、この点についてのコメントはご遠慮下さい。あくまで趣味的観点から述べております)、しかも現在第一線で活躍する機関車の多くが米国GE社の技術による典型的な電気式C-C軸配置のアメロコでもあります。というわけで、アメロコが20m切妻車体の客車列車を牽引している光景は、何やら台湾のそれと非常に似ている……(^^)。そんなインドネシアの客車列車、撮るだけで乗らないのは実に勿体ないと思いまして、まずは初級編としましてジャカルタからバンドゥンまで特急列車の旅を楽しんでみることにしました。
 ジャカルタのランドマークである独立記念塔の脇にあるガンビール駅は、2面4線というまるで日本の都市私鉄の緩急接続駅のようなありふれた佇まいの高架駅ですが、何とここは非冷房エコノミーやエコノミーACといった近郊各停が全て通過し、発着・停車するのは長距離列車と電車急行のみという特別な空間でもあります。しかもその長距離列車はすべて、1等車=「エクセクティフ」と2等車=「ビズニス」のみを連結した特急列車のみであり、3等車を連結した急行・普通列車は一切排除! そうすることで、首都の中心駅としての威厳と秩序を保とうとしているのかも知れませんが……はっきり言ってホームは広くないため、列車が集中する時間帯はやっぱり人が多過ぎ (汗)。まるでハイシーズンの大垣夜行や上野発夜行急行に群がる客が、入線前からホームを埋め尽くし、そこに通勤客も加わっててんやわんやな光景のような……(^^;)。しかも、長距離列車発着のピークといえども機回しは全て本線上で行われ、さらには朝夕のラッシュとも重なりますので、自ずと収拾がつかなくなって遅延大発生……。線路もホームもますますパンク気味の度合いを強める悪循環となります (滝汗)。この「ガンビール現象」(?) と、大ジャンクション・マンガライでの複雑極まりないポイント扱いが重なり続ける限り、鉄道インフラのボトルネック状態は解消されないような……。
 そこで今回は、この事態に巻き込まれるのを避けるため、ガンビールを朝5:15に発車する「パラヒャンガン52号」を利用し、夜明けから朝の爽やかな風景へと変わって行く西ジャワの農村風景を楽しんでみることにしました。加えて、早朝の列車であればそれなりに空いており、悠々と移動出来るだろうと思いまして……。
 しかし、そのような考えは甘かった! 日中とにかく暑いインドネシアでは、多くの人が朝4時のアザーン (礼拝の時刻を知らせるコーランの朗唱がモスクの大音量スピーカーから街中に流されます) とともに目覚めて、涼しいうちから動き始めるようで、前日の夕方に切符を買いに行ったところ……オーマイガー!通路側でした (-_-;)。ま、偶然隣の席は西洋人のおばさんバックパッカーでして、そのような人がカーテンを閉めるはずがありませんので、大きな窓にも助けられて余裕で車窓風景を楽しむことが出来たのですが (^^;



 さて、今回乗車した特急「パラヒャンガン」の名称は、目的地・バンドゥン周辺にかつて存在していた古代王国の名称に由来するようでありまして、同じ区間を走る特急「アルゴ・グデ」が西ジャワの活火山・グデ山に由来することを考えますと、馴染みの固有名詞から列車名をつけるというやり方は万国共通なのだなぁ~と思います (逆に、徹底的に政治がかった命名がなされてきた韓国・台湾は特殊事例かも ^^;)。そんな「パラヒャンガン」と「アルゴ・グデ」が、ジャカルタとバンドゥンの間・約180kmほどの距離を約60分間隔で結んでおり、まさにL特急感覚で気軽に利用出来るようになっていますが、では両者の違いは何かと申しますと……「パラヒャンガン」が1・2等編成 (2等は非冷房の転クロ) であるのに対し、「アルゴ・グデ」がオール1等の豪華編成であり、値段もちょいと高いこと。というわけで、よりデラックスな朝6時台の「アルゴ・グデ」に乗っても良かったのですが、とにかく涼しいうちにバンドゥンに着こうと思いまして……。
 そして、この選択は鉄道趣味的にみても何と大正解だったのでした! 5時15分、まだ独立記念塔のライトアップが消えず暗いガンビール駅を定刻で発車した列車は、まず「難所」マンガライを前に運転停車することもなく順調に通過して行ったのですが、何と!私が指定された1号車(編成中1両だけの1等=エクセクティフ)は、機関車とのあいだに荷物車の類を全く挟んでいないため、機関車から発せられる釣掛サウンドが過激に響きまくり!! しかも、インドネシアのアメロコは、台湾のアメロコと比べてエンジン音が圧倒的に抑えられているため (この違いは何故だ……^^;)、起動時の重低音からフルノッチへと刻々と変わりゆくサウンドが実に良く聴き取れるのですなぁ……(*^^*)。これがもし「アルゴ・グデ」の最前部以外を指定されたとしますと、客車列車らしい静けさは楽しめるでしょうが、こんな「台湾の釣掛自強号を激しく思い出すノリ」を味わうためには、車内を延々と移動して最前部のデッキに立たなければならないわけで……。あ、念のため付け加えますと、「パラヒャンガン」のジャカルタ行では1等車が最後部になりますのでお気をつけを (笑)。
 それはさておき、ガンビールを2割程度の乗車率で出発した列車には、ジャカルタ市街南東部のジャティヌガラでドドッと一気に多くの客が乗車、さらにブカシでもドドッと乗りまして、何と朝6時前にほぼ満員 (汗)。高速バスと対抗するためにディスカウントされた運賃 (全区間1等乗車で45,000ルピア。1万ルピアが約100円で、個人的に感じた使い勝手としては1万ルピア=300~500円)、そしてブカシ停車といった需要掘り起こし策を通じて、なかなか健闘しているようです。……と申しますか、日本のグリーン車よりもさらにデラックスな椅子 (肘掛け内テーブルがボロく、水平にならないのは玉に瑕) に冷房がキンキンに効いており、しかもトイレもある広々とした車内空間でこのお値段でしたら、乗らない方が損というものです。あ、ちなみにトイレは懐かしのボッ○ンでして、1等は洋式ですがバラストがよく見えます (停車中のご利用はご遠慮を、という掲示も勿論あり。笑)。
 ブカシを発車しますと、ジャカルタの東約80kmのチカンペックまでは複線の直線を快調に飛ばしまくり! 速度は恐らく100~120km/hほどでしょうか。北から昇る赤い太陽が、朝もやに包まれた水田や椰子の木に囲まれた集落を照らし始める光景は、台湾南部の旅と実によく似た世界……(^^)。
 チカンペックでチルボン・スマラン・スラバヤ方面への本線と分かれた列車は、グイッと南へ向きを変え、次第に緩い勾配を登り始めます。そして、山麓の街・プルワカルタ (ここまではジャカルタから近郊鈍行客レが走っており、いずれ乗ってみたい……) を朝7時に通過しますと線路は単線となり、バンドゥンの直前までひたすら続く急カーブ・急勾配・大絶景の連続が始まります! 見る見るうちに列車は高度を上げ、椰子の森・気の遠くなりそうなほど壮大な棚田や茶畑・懐かしい雰囲気の集落・深い峡谷を跨ぐ大鉄橋・はるか遠くの奇怪な形の山々などなど……「ををっ!これがジャワ島の大自然と農村の風景か!凄過ぎる……」と感嘆せずにはいられない一大スペクタクルです! しかも、数10kmも続く登り勾配のあいだ、ひたすら機関車からは釣掛の雄叫びが聞こえて来るという……(*^O^*)。何と素晴らしいのでしょう!! 嗚呼……いずれこの区間で撮り鉄してみたい……。
 こんな驚愕の区間を走ること1時間少々、やがてボゴール方面からの線路 (現在バンドゥンまでの旅客列車の設定なし……) と合流し、沿線の家屋が増え始めますと、バンドゥン近郊区間列車の折り返し駅・パダラランを通過。ここからは一気に工場や民家の中を走るようになり、速度も100km/h近くとラストスパート! 朝8時20分過ぎ、列車はほぼ定刻通りにバンドゥン駅に到着しました。標高700~800m前後の高原に位置するバンドゥンは、オランダ植民地時代から避暑地兼学園都市として大いに開けて来た街でありまして、ジャカルタよりもキレイな空気やヒンヤリとした朝風は最高の心地良さ (^^)。南口の駅前広場に鎮座する古典SLに迎えられつつ、感動の約3時間の余韻も覚めやらないままバンドゥンの街歩きへと踏み出したのでした……。