神奈川臨海鉄道でDD601と入れ替わりに廃車となったDD5512が塩浜機関区で解体されず、いつの間にかインドネシアに渡り、ネット検索を駆使してその居所をつきとめた云々、という記事を去る5月22日にアップしましたが、そうとなれば改めてジャカルタに撮り鉄遠征した際に行かずにはいられない、というのが神奈臨ファンの性 (^^;)。そこで、このたび4泊5日 (うち1泊は帰りの飛行機) という短期の強行軍でジャカルタ往復を敢行した際、特急列車を利用して半日がかりでDD5512に会いに行って参りました。
ジャカルタの通勤電車の運行本数が少ない日曜の朝、午前6時にジャカルタ・ガンビール駅を発車する「チルボン・エクスプレス」(通常であれば前日の夕方に余裕で指定券ゲット可) のエクセクティフ (1等車) に乗り、朝の逆光に影絵の如く浮かび上がるジャワの農村風景を眺めながら、時速100km前後で突っ走る客車列車の揺れ心地を楽しんでおりますと……延々と続いた直線気味の線路が大きな川の手前で左に急カーブを描き、鉄橋を渡って今度は右にカーブを切り、いよいよ目指すジャティバラン駅に到着! 果たしてネット上の画像で確認した通りにDD5512がいるのかどうか、直前まで正直なところ非常に不安でしたが、ブレーキ音がシブく鳴り響くデッキから進行方向左側を注視していたところ、本当にDD5512が佇んでいるのを発見!\(^O^)/ 下車後、まずは帰りの切符 (約2時間後のガンビール行チルボン・エクスプレス) を窓口で確保し、何と入場券を売っていたので (2,500ルピア→でも誰も買わずに改札をスルー。^^;) 記念に購入したのち、いよいよ駅構内を歩いてDD5512がいる場所へと向かいました。
DD5512がいる保線区と思しき一角は、まだまだ新しいためか頑丈で背が高い門と壁 (1.9mほど) に取り囲まれており、しかも日曜日ということもあって門が固く閉ざされ、声をかけて中にお邪魔することはもとより望むべくもない状況……。さらに周囲を見回してみますと、ご丁寧にも壁の脇には溝が掘られ、お世辞にもキレイとは言えない水が澱んでいる状態……。ネットで画像を見て想像していたよりもはるかに撮影環境が悪いことに思わず絶句せざるを得ませんでした (-_-;)。まぁそれでも、門の鉄柵から正面気味に撮ることは出来ますが、残念ながら手前側には同じく日本の中古と思われる軌道用モーターカーが連結されているといふ……(-_-;)。果たして、このままDD5512をいろいろな角度から撮影することも叶わないまま退却せざるを得ないのか……目の前の現実と、頭の上から叩きつけるような日射しに、一時は思わずうろたえて倒れそうな気分になったのでした。
しかし!何事も慈愛深き○ッラーの思し召すまま。落ち着いてじっくりと壁と溝の構造・位置関係を眺め直してみたところ、壁と溝の間の60cmほどの空間を慎重に歩き、壁の礎石に足をかけ、支柱の上部突起にしがみつきつつカメラを壁の上に差し出し、デジカメの背面モニタを頼りにノーファインダー撮影をすれば何とかなりそうなことが判明! (^^;)。そこで、アホな外国人の奇行をのんびりと眺める近所のオバチャンの視線に耐えつつ (爆)、熱帯の空気にまどろむDD5512およびモーターカーの表情を激写したのでした。
撮影しているうちに「あれ?」と気づいたのは、側面に貼られた鉄建建設のステッカー。そこで何となく、DD5512が何故遠い異国の地に流れて来たのかに関する理由が見えて参りました……。かねてからインドネシアの鉄道は円借款を用いて近代化整備が進められており、ジャカルタ近郊の電化・複線化・冷房車導入はその代表的なものですが、ジャカルタ~チルボン間の完全複線化プロジェクトもその重要な一環であり(キーワード検索すると『じゃかるた新聞』などの記事が出て来ます)、ここジャティバラン駅を含む区間は恐らく数年前に完成したようです。そこで、これまた恐らくかねてからインドネシアに中古の保線車両を供出している鉄建建設が、新規複線化区間の保線列車牽引車としてふさわしいDD5512の存在を口利きし、複線化とともに完成した近代的な保線区に配置されたのではないかと……。
以上はあくまで状況からの推測に過ぎず、ここだけの話として読み流して頂ければ幸いですが、何はさておきこのDD5512は、チルボンまでの複線化が円借款で行われたシンボルと解することが出来そうです。そこで、緑濃き西ジャワの田舎町で悠々自適に保線列車牽引をこなすDD5512に「日本代表として大幹線の保守に頑張ってくれよ……」と声をかけたのでした。
保線車両庫を正面から。
ジャティバラン駅ホームとの位置関係はこんな感じ。
側面には鉄建建設のステッカーが。
ジャティバラン駅の屋根付きホーム。インドネシアでは一般的な様式で風流♪