いつも当ブログをお楽しみ頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
当ブログはこのたび、200万アクセスの大台に到達しました。
当ブログは、モテ度ゼロで根暗な管理人がシブい鉄道車両を撮り歩いた記録を、とにもかくにも主観的に綴っているだけのブログでありまして、まず何よりも管理人自身の備忘録として、そしてごく僅かな懇意の方々に楽しんで頂くために始めたものです。したがいまして、始めた当初しばらくの間は毎日数アクセスという状態が当たり前で、それ以上増やそうという意図も皆無でした (今もありません。笑)。しかしその後徐々にアクセス数が増え、最近では不特定多数の方が連日千数百名もアクセスされるという展開は、そんな当初を思い出すにつけ驚愕に値するものであり、意外ですらあります。加えて、アクセス数が増えれば「こんな御仁と同じ趣味を共有しているとは……(-_-;)」と思わされる事態や、当ブログで記事にしたためにむしろ自分自身の首を絞めているのではないかと思わされる事態が増えることも避けられません。このため、「一体誰のために記事を作っているのか。もう止めようか」と思ったことも数知れず……。
しかし一方、当ブログの内容に共感して下さる方々から懇切なコメントを頂くのは本当に有り難く、そのような方々にはいっそう楽しんで頂きたいという強い思いもあります。というわけで、結局どっちつかずでダラダラとアップを続けていたところ、ついにこんな数字となってしまったという次第です (^^;)。
最近はますますややこしい仕事の依頼が重なり、脳味噌がオーバーヒート気味の管理人でございますので、今後このブログをどうするのかは「一寸先は闇」状態ですが、とりあえずお気に入りなカットが撮り貯まるあいだは引き続き備忘録として綴って行こうかと思っております。これまでお世話になってきた皆様のご厚情に厚く御礼申し上げますとともに、引き続き稚拙な内容ながらも笑って温かく見守って下さいますよう宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m
それはさておき、キリの良い数字の際に恒例となっております (?) 懐かし画像、今回は1984年3月の伊豆箱根大雄山線を掘り起こしてみました。今ではすっかりオリジナルの高性能車・5000系の天下となり、たまに大場工場との間で車両を回送する際やレールチキを授受する際のみ釣掛車コデ165が走るというのが大雄山線の日常ですが、1980年代前半は国鉄17m旧国 (一部西武経由) と元相鉄2000系 (まぁこれも国鉄17mの系譜に属します) という二大陣営からなり、小田原駅の片隅で何とも言えず地味で鈍重なオーラを放ちまくっていたものです……(*^^*)。
その中でも特に個人的に超!お気に入りだったのは、モハ154+モハ155+クハ183の3両編成♪ 前面窓のHゴム化改造を受けた車両や、電装時に後パンとされた車両が多かった中、とくにモハ154は前パンと木製窓枠の凛とした表情を備えており、中1となってから撮影旅行を許されて初めて撮影に訪れた私は超メロメロとなったものです……(*^^*)。また、何故か3列ガラベンという特異でゴツい姿を備えた中間電動車モハ155のマニアックな存在感もグッと来るものがありましたし、クハニ19を譲受したクハ183もゴツゴツなリベットや木製窓枠を維持した格調高き存在でした……。そしてこの編成の最も偉大な点は……オール・ニス塗り車内!! v(^^)v 小学校卒業記念旅行として上諏訪から豊橋まで通し乗った飯田線旧国が1983年初夏に総崩れとなり、これから付き合おうとしていた存在と一度きりの別れをせざるを得なかった中1の私にとりましては、東武73・78系と並んで大雄山線のこの編成が燦然と光り輝いて見えたのです……。
しかし、半鋼製釣掛式電車が加速度的に消えて行ったこの時代にようやく中学生となり、趣味活動を本格化させたことの悲哀は、今思い出しても例えようもなく胸が張り裂けるほど。蜜月は早くも幕を閉じ、愛しの154+155+183編成は1984年3月に登場した5001Fと入れ替わりに廃車となったのでした……。鉄道雑誌で5000系の完成を知った私の脳裏を真っ先によぎったのは、大雄山線旧型車のうち一般客から見て格別にボロいこの編成が真っ先に廃車になるだろう、ということ。この編成との最後の語らいは、確か3月の学年末試験が終わったあとの土曜日の放課後だったでしょうか……「新型車近日デヴュー」という『神奈川新聞』の報道にいてもたってもいられず小田急線に乗り、早春の陽光の中で最期の雄叫びを上げるモハ154の雄姿にシビれ、心の中で咽び泣いたのでした……。
もっとも、いま改めて冷静に眺め返してみますと、登場記念HM付き5000系とモハ154が並んだ貴重なシーンもしっかりと撮っており、「よくやった、中1のオレ」という気分です (笑。但し、超逆光という悪条件に加えて、フルマニュアル状態のコンパクトカメラでヤマカン露出ですので、スキャンしても暗部をうまく再現できないのが残念)。そして……モハ154の最期を追っかけ回してこんなシーンを撮っているのは自分一人だけだったこと (他の撮り鉄を見かけず) を思い出すにつけ、心の底から「昔は良かった……」と痛感します。それほど、ローカル私鉄趣味というのはマイナーで流行らない地味な世界だったのです。世間一般の鉄道趣味エネルギーのほとんどが、国鉄・JRのネームド・トレインや機関車に注がれていた時代よカムバァァァック!! (空しく超爆)