鉄コレが次から次へとリリースされる中、過去に発売されたもののうち意外にも人気が出ず不良在庫が多くなってしまったブツが安く叩き売られているのをたまに見かけますが、運輸省規格型17m車特集である第14弾はその典型……。個人的にはツボ過ぎて、改造種車分も含めて大量に購入していましたので、そんな光景を眼にするといささかやるせない気分になりますし、ならばこそ改造種車もきっちりと妄想改造を尽くさねば!と決心せずにはいられません (アホだなぁ……^^;)。
というわけで、ふと思いついて改造種車収納箱から取り出しましたのは京福福井の1001形。実車は中学生時代に京福福井にも興味を持ち始めた私にとって是非乗りたい車両のひとつとなりましたが、80年代半ば過ぎに高校生となって「よっしゃ、北陸ワイド周遊券で遠征だ!」と思った矢先、阪神の車体を載せて1101形となるために離脱……(号泣)。当時の京福福井はほぼ同時に元東急3300系改め280形を廃車にしたり、元南海1201形改め2001形の2101形への改造を完了したりと、ちょうど折悪しく (?!) 車両近代化の真っ直中だったのですなぁ……(遠い目)。もっとも、その後1101形はカルダン化を経て、東古市駅西での正面衝突事故で1両が廃車となり、えちぜん鉄道に引き継がれた残る1両が今や6001・6101形 (元愛環) の全盛により余り動かないレアな車両となっているのは周知の通りです。
そんな京福福井1001形を妄想フリーランス車両にするにあたり、窓枠がクリーム色であることから……わざわざクリーム色ではない窓廻り塗装に合わせるために同じ色やアルミ色を塗るのは些か面倒臭いと思いまして、あるおふざけにも程がある妄想がピーンと閃きました。そうだ!買収スカ色国電化してしまおう!と (笑)。
具体的な妄想設定としましては……「今日のJR飯田線は、戦時中のバイパス路線とするにしてはクネクネとして線形が悪く、戦後もしばらく豊川/鳳来寺/三信/伊那の四社による連絡輸送となっていたが、このうち豊川~三信及び本長篠から分岐する田口鉄道はやがて豊川鉄道に一元化され、名鉄傘下として名鉄3800系に準じた新造車を投入、戦後復興に伴い増え続ける輸送需要に応えていた。しかし昭和3x年、豊川及び天竜川流域の電源開発及び林産資源開発を促進するため、豊川鉄道を伊那電鉄とともに国有化、長大電化ローカル線としての飯田線が完成した。そこで車両について、他の買収国電は当時既に廃車が進められていたものの、名鉄AL車に等しい高出力車を廃車とするのは勿体なさ過ぎ、他にも当時国有化したばかりの複数の有力な地方私鉄が優秀な17m級釣掛中型車を擁していたことから、これらはむしろ阪和電鉄からの継承車と同じく国鉄制式へと改造を加え、国鉄旧性能電車一般と同じ5ケタの番号を割り振り、引き続き活用することにした。そこで2扉片運車はクモハ14・クハ18形に、3扉片運車はクモハ11・クハ16形に編入されたものの、2扉両運車についてはサロ15改めサハ15がクハ18への改造により形式消滅していたことから、新形式クモハ15とすることにした」……というもの (滝汗)。
というわけで、色を剥がしてスカ色を塗り、屋根は如何にも旧国っぽく渡り板を設けグロベン化したり……とった工作を加えておりますが、最も頭が痛かったのは……種車の一方の正面が原因不明で変形していたこと (号泣……↓をご覧下さい)。
そこで、買ったきり全く作っていないリトルジャパン名鉄3800系板キットに付属している豊鉄1721マスクを拝借し、事故復旧時に魔改造マスクとした……という設定としました (^^;)。出来上がりはとても良い感じですし (*^^*)、それこそ「基本的に飯田線の20m車化が完了した後も、田口支線直通用車&田口支線内ミキスト牽引車として昭和50年代まで活躍」という感じですが (田口線が水害で廃止とならなかった……という点まで妄想 ^^;)、しっかしまぁ……こんな思いつきのやっつけ改造でも時間がかかり、加工やら塗装やらで連休の一日がつぶれてしまいましたし、他の仕掛スカ色73系は相変わらず放置……(^^;;)。我ながら何やってんだ、という感じです (爆)。
アイヤー!……他○的! 這是甚麽回事?! 農民工對公司的怨恨暴露出來了?!
……這就是有中國特色的質量管理的一個典型表現! (苦笑)
つーわけで、ナイフで慎重に歪んだ顔を切り取り、新たな顔を貼ったのでした。