地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

都心の轟音王203系・激減を控えて

2008-04-07 12:49:44 | 国鉄型車両


 当ブログでは昨年の4月1日、E233系の大量増備による激減を控えた中央線201系の姿を扱いましたが、その時点では201系がまだまだ湯水のように走っていましたので、まさかその後JREのアナウンス通り、あっという間に姿を消して行くことになるとは……内心ではなかなか信じられないものがありました。しかし、新津に「走るんです」大量製造ラインを構えているJREは、走り出したらもう止まらないわけで……。いま改めて振り返ってみますと、東海道線の113系が激減していったときと全く同じように、約半年後には201系が圧倒的少数派になってしまい、今年に入ってからは滅多に乗ることもなくなりました。左右非対称のブラックフェイスは個人的にそれほど写欲をそそられなかったものの、独特の電機子チョッパ音とともに中央線をかっ飛ばしていた姿にもうほとんど触れることが出来ないと思うにつけ、改めて寂しさを感じます。高架化工事の関係からか、2~3本ほどが予備車として残るようですが……。
 そして今や、JREの車両新造攻勢は京浜東北・根岸線に注がれていますが (お粗末安物電車の極み・209系が消えるのは、個人的には大歓迎。記録する予定もありません)、常磐=千代田線の203系をE233系1000番台に置き換えるのもそろそろでしょうか……。



 実を申しますと個人的には、201系が消えることよりも203系が消えることの方がはるかに悲しかったりします。203系といえば、ネット上の評判は全く芳しくないようですが、それもひとえに千代田線のトンネル内を走る際に余りにもものすごい轟音が響きまくるからでしょうか。いや~、私はこのデンジャラスを極めた走行音が大好きで、千代田線を利用する際には事前に『東京時刻表』を下調べして、列車番号に「K」がついている列車を選ぶほどです (もちろん、207系900番台が来ても大喜び ^_^ 逆に209系1000番台が来ると落胆 -_-)。もちろん、駅間が長い常磐線内をかっ飛ばすのも絶品ですね……。とくに、常磐線上野口から103系や403・415系が消えてからというもの、たまに常磐線に乗る際には、少々時間がかかっても203系の普通電車を利用するほどです (笑)。また、基本的なスペックや車内のデザインにつきましても、203系のそれは201系とそれほど変わらず、正面に関してはむしろ203系の方が左右対称・中央貫通扉ということで、はるかに表情がある端正な顔だと思っているのですが……そう思うのは私一人だけでしょうか (^^;)。
 そんな203系、車齢面でもまだ25年前後ですし、せっかくのアルミ車体ですから、あと2~3年以内で廃車などと言わず、まだまだ余裕で走れそうだ……と思います。しかし、201系が本当に早々と廃車されてしまった以上、JREが一度廃車にすると決めたら、やはりその運命を免れることは出来ないのでしょう (-_-)。電装品の長期的な確保に難があるといわれる電機子チョッパ制御だけに、ジャカルタにはまず行かないでしょうし……。先代・103系1000番台と同じく、JRWに譲渡されて奈良・和歌山ローカル用になるなんてことは……まずないか。妄想大変失礼しました (爆)。

伊賀甲賀忍び鉄 (2) 信楽高原鉄道の旅

2008-04-06 11:51:55 | 地方民鉄 (近畿)


 先日はひたちなか海浜鉄道の発足を言祝いだ当ブログですが、他にも健気に頑張っている路線を応援したいと思う今日この頃、昨年秋の関西出張鉄特集の続きがたまっていることもあり (^^;)、ここでアップしてみることにしましょう。
 草津駅前に連泊した際、最終日は草津線の一番列車で関西線方面に抜けたのですが (その模様はこの連載の次回以降に)、中日は二番列車 (117系6連) スタートで、国鉄信楽線あらため信楽高原鉄道の初乗車を楽しんでみることにしました。ここは首都圏在住の「鉄」が関西を訪れても見落としてしまいがちな位置にありますので (関西エリアから陶器の里・信楽を訪ねる際にも、石山駅からのバスの方が一般的かも)、草津宿泊を活かす上で最優先の訪問地という位置づけです!
 貴生川駅は、前日近江鉄道から草津線に乗り換えた際に下見済みだったのですが、いざ草津線ホームと信楽高原鉄道ホームのあいだに設けられた「周りに柵がない自動改札」を目にしますと、かなりミョーな感覚にとらわれます (笑)。お目当ての信楽行き1番列車は既に到着しており、この列車から降りてきた高校生たちが跨線橋を渡って近江鉄道ホームへ向かうところでした。朝方の列車は、最大の顧客である高校生を草津線・近江鉄道方面に運ぶため2両編成ですが、信楽行の列車が混むはずもなく、1ボックスを悠々と占拠して出発進行! 進行方向左側に座りますと、ただでさえグイグイと急勾配を登るにつれて展開する大パノラマが、前日の大雨も災い転じて福となす……という感じで絶妙な雲海に!! その余りにも神秘的な風景に「高原鉄道という看板に偽りはなかった!」と思わずにはいられませんでした (乗るまでは「京都や奈良の近くなのにどこが高原なの?」と思っていたのですが……関西の地理には暗くてスミマセン ^^;)。



 ところで信楽高原鉄道といえば、1991年の陶芸祭にあたりJRWからの直通列車を運行するため、急勾配の途中に信号所を設け、キハ28・58と信楽高原車の各4~5両編成で殺到する客をさばこうとしたところ、閉塞に失敗して死者多数の正面衝突事故を起こしたのは記憶に新しい (?) ところです。しかし、事故から年月が経ち、信号所があった場所も草に埋もれて周囲と見分けがつかなくなり、とくに事故現場で減速してタイフォンを鳴らすわけでもありませんでしたので、心の中で哀悼の意を……と思っても、知らない間に現場を通過してしまい、タイミングを逃しました。今はただ、紫香楽宮跡から先の各駅に掲げられている「鉄道安全宣言の町」と書かれた看板や幟が、そんな事故の歴史をひっそりと物語るかのようです……。
 それはさておき、紫香楽宮跡駅 (というか無人の停留所) から先は、それまでの険しい地形が一変、の~んびりとした山里の景色となり、駅に着くたびに何だかホッとします。多分、それまでのノンストップの上り坂ではエンジンが唸りっぱなしで緊張の連続だったことの裏返しなのかも知れません (^^;)。やがて進行方向右側に車庫が見えると信楽に到着! 普段は使用していない2番線での撮影許可をお願いし、うまい具合にSKR300・310形2連の編成写真をゲット! (^O^) また、開業以来のLE-DCの生き残り・SKR205も、庫内ではなく2番線で休息中でしたので、朝霧に煙る森をバックに形式写真を撮影できて大満足!! 今回は時間の都合ですぐに切符を購入して貴生川・草津へと戻ったのですが、そのうち信楽の街ものんびり散歩しつつ、中間駅の周辺で撮り鉄してみたいなぁと思っています。

小坂鉄道・樹海の咆哮 (2) 三重連の雄姿

2008-04-05 13:07:00 | 貨物列車 (臨海・専用線)


 4月に入って以来、仕事が立て込んでおりまして、更新や頂いたコメントへのレスが遅れておりますことをお詫び申し上げます (恩田での「出勤ついで鉄」は特別です ^^;)。というわけで、季節外れになってしまいましたが、既に準備しておいた冬の北東北紀行の記事を引き続きお楽しみ下さい。
 さて、小坂鉄道の大館駅で午後の貨物列車の運行を知り、小坂行きの秋北バスに意気揚々と乗り込んだのですが、やって来たのは期待していた国際興業お古の大型車ではなく、最近流行りのボディの中型車。しかし買い物帰りの地元の老人が大挙して乗り込んでくるため、立ち客も出るほどの満員……。そんなバスも、山深く分け入ってゆくほどに少しずつ客を降ろし、やがて目指すバス停「水沢」に到着しました。ここから集落を数分歩くと、いよいよ目指す茂内駅です!
 茂内駅は単に交換駅として重要な役目を持つだけでなく、かつては付近で伐採された秋田杉の積み出しも行っていたと思われ、昔気質な広い構内や、駅の脇にある農業倉庫の佇まいは、眺めているだけでも飽きません。構内の片隅に長物車が放置されている光景すら、そんな昔の賑わいを物語っているかのようです……。



 今や茂内駅は、交換駅というよりは小坂からの三重連を解くための駅となっていますが、その機回し・単機回送を行うためにも交換設備は欠かせず、手動の転轍機レバーや腕木信号機もバリバリに現役! 構内での撮影許可を頂き、の~んびりと約1時間半にわたってそんな光景を観察していると……ついに小坂方から汽笛が響き、踏切が鳴り、堂々の三重連が姿を現しました!!!!
 背後の黒い森、農業倉庫、昔ながらの電柱、白い雪……。そんな風景の中をゆっくりと迫って来る赤いDD13の群れ!! \ (*^O^*)/ その姿は余りにもインパクトあり過ぎです……。撮影動作としては冷静にズーミングを続けて、シャッターを連写しまくりながらも、感動に打ち震えて心臓バクバクでした (^^;)。
 完全に停止した後は、いよいよ次なる儀式として、前2両の解放と機回し、そして小坂への重連単機回送が行われました。しかし、このとき解放されたのは何と先頭のDD132だけで、大館へは重連で向かうことに! この時点でさっそく、奥羽線5679レから引き継ぐ濃硫酸タキの数がそれなりに多いことが予想されたのですが、まだこの時点ではそれが果たして何車あるのか見当もつかず、とりあえずは折角の重連発車シーンをより完璧に決めなければ!と思いまして、単機の切り離し終了=2枚目の画像撮影の直後、速攻で構内踏切を渡り (もちろん安全は確認しています)、線路脇の道を猛ダッシュしたのでした……(爆。つづく)。

東急8001F・古豪と憩う最後の春

2008-04-03 22:29:30 | 大手民鉄 (東急)


 東急で営業運転を続ける最後の8000系であった8001Fは、周知の通り大井町線の新型ATC導入のため、2月下旬を以て運用から離脱しましたが、先日ついに恩田=長津田工場に回送されました。この先、保存か解体か譲渡か……先のことは全く分かりませんが、もうこれで「8000系さよなら企画第3弾」はあり得ず、廃車は間違いないでしょう……。また、ドア事故を起こした8005Fも、先日東急公式HPにて電気系統のショートが事故原因であったことを最終報告したのを機に、正式に廃車が決まったようで……やはり恩田に回送されました。
 そうとなれば、早ければ数日から1~2週間ほどで搬出され、川崎港か解体業者に持って行かれる可能性もあり、8001・8005Fが恩田に佇む最後の姿を眺めて惜別するとなれば待ったなしです。ネット上で見かけたところでは、どうやら今週に入ってから回送されたようですので、ひょっとすると未だバラされていない本来の編成の姿を目にすることが出来るかも知れない……。そこで、4月に入っていろいろと忙しいにもかかわらず、出勤ついでに恩田に寄り道してみました。



 私が訪れたとき、工場内の作業はとくに行われておらず、3両の庫内車はいずれもパンタを畳んだ状態。そんな中、奇しくも8001Fとデワ3043 (かつてのデハ3498) が並んで、春の陽光の中でまどろんでいました (なお、8005Fは正門に近い位置に留置され、編成写真をうまく撮ることはかないませんでしたが、日の光を浴びてギラリと輝く姿は、やはり8000系の風格そのものでした……)。その光景は……余りにも長閑すぎてほのぼのとした風情すら感じられます。しかしそれは同時に、東急が生み出した名車の中の名車どうしが顔を合わせる最後のひとときでもあり……自分が再び電車に乗って長津田に戻った後、いつ8001Fがバラバラになってしまうのか見当もつきません。そう思うにつけ「春なのに、お別れですか」というフレーズが余計にこみ上げて来ます。工場の周囲に植えられた散り始めの桜から、風が吹くたびに花びらが舞い上がるさまも、東急8000系の時代が静かに終わり行くのをそっと見送っているかのようです……。デワ3043も、自分よりも遥かに若い8001Fすら離脱して行く光景に、胸中何を想うのでしょうか?

 ともあれ改めて、8001Fの離脱にあたってイベントが行われなかったのは良かったのかも知れない……と思います。沿線の桜並木が美しい東急線に生まれ、一時は桜の花の東横特急HMも誇らしげに走った8000系には、こんなにも静かで粋な最後こそふさわしかったのでしょう。そして、たまたま今日訪れて、たった独りそっと別れを告げることが出来た……そんな巡りあわせに感謝したいと思っています。
 去りゆく8001Fに、そして東急における8000系の時代の輝きに、献杯!

ひたちなか海浜鉄道開業記念・昨年の三重連

2008-04-02 08:40:49 | 地方民鉄 (関東北東部)


 去る3月31日を以て、島原鉄道の一部区間と三木鉄道が廃止となってしまいましたが、このことは自動車への依存度が高い地方におけるローカル線、あるいは人の流れと必ずしも一致していないローカル線をどう維持して行くのかという問題を改めて再認識させるものだったと思います。個人的には、残念ながらどちらの路線も結局縁がなかったため、とくにお名残乗車の類にも出かけてはいないのですが、日本の鉄道地図の中に空白がまたひっそりと増えて行くことはやはり寂しいですね……。島原鉄道の旧型DCがこぞって廃車となるのも惜しいことです。「島鉄ハッピートレイン」のトロッコ車両が門司港の遊覧鉄道に転じることと、三木鉄道の軽快DCが引く手あまたらしいことは、不幸中の幸いでしょうか。
 ローカル民鉄を取り巻くそんな厳しい状況の中、やはり同じような問題点を抱えてきた茨城交通湊線がこのたび、ひたちなか海浜鉄道として再出発を遂げたのは、ファンとして誠に目出度い限りです \(^O^)/ やはりローカル線を守るのは、一にも二にも地元の「鉄道を活かしたい」という強い願望なのでしょう! 私も多忙と花粉症のためなかなか勝田まで遠出できない状態ですが、また新緑が美しい季節になったら是非……と思っているところです。



 というわけで、最近の画像はございませんので (^^;)、昨年の黄金週間に実現した旧型DC・夢の三重連をアップしてみることにします。いや……ホンネを申しますと、キハ205の単行を久しく撮っていなかったもので、出来ればこの冬にでも撮りに行きたかったのですが、何だか意味が良く分からない合格祈願HMが付いてしまいまして、それが外された3月は猛烈な忙しさと台湾一周に費やしてしまいましたので (そして今年の花粉症はヘビー……)、結局行けず仕舞い。この趣味をやっておりますと、こんなことばかりですね (汗)。そして昨日からは新会社発足のHMに加え、側面にはロゴ (個人的にはえち鉄の塗装を思わせますね。センスはそれほど悪くないのが救い ^^;) が入っているようですので、まっさらな状態のキハ205を撮る機会をついに逃してしまいました (滝汗)。
 それはさておきこの3重連……これを撮るために南部縦貫鉄道撮影会を含む北東北の旅からとんぼ返りした甲斐がありました (最近急に茨交も人が増えたのはかなりゲンナリでしたが……)。色は三両三様ですが、やはり国鉄型DCの長大 (?) 編成は良いですね……。もちろん、新会社としては維持コストやサービスの関係上、キハ205を除けば非冷房で床が木製の大型車を長く使おうという意図は持っていないはずだと思いますが (秘かにネット上でウワサされる三木鉄道軽快DCの入線は果たして……?!)、出来ることなら冷房&ワンマン車のキハ205につきましては、休日だけでも良いですので出来るだけ永く走って欲しいものだなぁ……と思います。いっぽう、茨交ロゴが消されたキハ3710につきましても、いずれ塗装自体が変更されるでしょうから、過渡期の姿を撮るなら今のうちでしょうか。