地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第三ジャカルタ炎鉄録 (14) メトロ5000系

2011-09-19 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 政府は大震災の復興財源を捻出するため、政府が保有する東京メトロの株を放出する方針を固め、これに対して東京メトロのもう一つの株主である東京都は「メトロと都営地下鉄の合併構想の妨げになる」と反発したのは記憶に新しいところですが、その後東京都は国が放出するメトロ株の一部を確保して一気にメトロ経営の主導権を握る方針に転じたとか何とか。この結果、東京の地下鉄をめぐる事情は一気に新たなステージへ?と思わせる気運がうっすらと生まれているようにも思われるのですが、そんな東京から遠く離れたジャカルタの地では、とっくの昔に (?) メトロ車と都営車が一つのグループとして統合 (?!) されています。それはすなわち都営6000系・メトロ5000系・東葉1000系のことで、ジャカルタの日本中古冷房車勃興期 (?) にあたる2000~2007年にかけて日本から無償で供与された「贈り物 (Hibah)」シリーズを構成しています。まぁ、メトロ5000・東葉1000の譲渡にあたっては裏で黒い資金が動いたという問題もあったそうですが (汗)、ともあれこれらの車両はステンレスカーの技術が大型車に本格的に採用されはじめた昭和40年前後に生まれたということで (勿論、戸袋窓のない車両は全然車齢が若いですが)、二段窓のやや昔気質でゴツい車体と抵抗制御の下回りを持つという特徴があり、そんな車両群がジャカルタで (譲渡の経緯によるとはいえ) 一つのカテゴリーを成しているのは興味深いところです。



 というわけで、まずはメトロ5000系をアップしてみましょう。昨年訪れた時点では、メトロ5000系は検査入場とともに帯色を変更する作業が進行中で、59・66Fが紺+黄帯に変更済み、67Fが緑+黄帯のままとなっていましたが、さすがに約2年に1回の検査ごとに色が変わるインドネシアでは昨年と同じ状況が続くはずもなく、67Fも帯色変更~。ちなみにメトロ5000系の場合、ジャカルタの電車運行部門が「インドネシア鉄道ジャボタベック事業部 (KAI DIVISI JABOTABEK)」からインドネシア鉄道の子会社「ジャボデタベック通勤鉄道 (KCJ) 」へと組織替えされたため、運転席真上の楕円形ジャボタベック事業部エンブレムが色抜きされてインドネシア鉄道社紋のみが赤く輝いているのですが、67Fに至ってはインドネシア鉄道社紋も色抜きされて銀色まっさら (滝汗)。このエンブレム、結構カッコ良かっただけに、何だか勿体ないな~と思うのは私だけでしょうか?? (^^;
 そして個人的に思うのは……ジャボタベック事業部からKCJへの改組に伴い、車両の帯色や装飾のセンスが残念ながらイマイチになっているのではないか?ということなのですが、その具体的な状況につきましては今後アップする分をご覧頂くことにするとしまして……。あ~そうか、一昨年初訪問したときの試行錯誤・百花繚乱な帯色の印象が強すぎるんだよなぁ……と (汗)。
 それはさておき、帯色の変更を除けばメトロ5000系の活躍は全く従前通りで、とくに記すことはありません (爆)。あ……そういえば、ブカシ線とスルポン線のメトロ7000・05率が激増している分、メトロ5000はボゴール線メインという印象が強まっているようにも思われます。一昨年は「メトロ5000はブカシ・スルポン線メインか」と思っていただけに、この違いは大きい……(^^;)。

小田急5200形・小田原口の4連

2011-09-17 00:00:00 | 大手民鉄 (小田急)


 かつてあれほどの隆盛を誇った小田急5000・5200形、そして「小田急顔」ですが、悲しむべきことに4000や3090の増殖によって今や風前の灯火となりました。乗るのも撮るのも期待しないに越したことはなく(期待して待ち続けると裏切られる確率が圧倒的に高い……)、実際ここ数ヶ月は全く乗る機会にすら恵まれない日々が続いたという……。私自身の運が単純に悪すぎるだけかも知れませんが (-_-;)。
 しかし何と!! 去る水・木曜と2日続けて、帰宅時に新宿駅で待ち構えていたのは5200!! (*^^*) それぞれ5258・5255Fでしたが、う~ん・・・単なる偶然なのか、それとも(4000・3090の増備が迫っているため?)2編成揃って私に別れの挨拶に来たのでしょうか……? 



 ともあれ、5200に揺られながら、余裕たっぷりの力強い走りをビンビンに感じるにつけ、改めて何故このような完成度の高い車両が車齢約30年少々で消えて行くのか……勿体なさのみが脳裏をグルグルと駆け巡ります。5200の4連が出現した当時、この3編成はいずれ是非登山色に塗り替えのうえ、1000形ともどものんびりと走り続けて欲しいと思ったものですが……。
 というわけで、個人的に今のところ一番最後に小田急5000・5200形を撮影したカットとして、去る4月に箱根登山・小田原~湯本間を訪れたついでの記録を少々アップしておきます。ひどい花粉症で気合いが入らず、1枚目は何とも微妙な位置でシャッターを切ってしまっていますが……(汗)。とはいえ、この5256Fは既に廃車となってしまったことを考えますと (泣)、小田急顔については最早如何なるカットでも撮らないよりマシ、ということが言えるのかも知れません。

中国の貨車を撮る@2006年・北京北駅

2011-09-16 00:00:00 | 中国の鉄道


 中国ネタでついでにもう一つ。最近中国の鉄道といえば、やれパクリだの事故だのといった理由でCRH・和諧号に強い関心が集まっていますが、これは所詮カネにものを言わせて外国から手っ取り早く技術を買ってきた底の浅いものに過ぎませんで、むしろ長年中国国鉄と付き合ってきた物好きなファンの視点からみれば、むしろ地味に走り続ける機関車や一般客車・貨車こそ中国国鉄の真髄であることに変わりはないと思う次第です。しかし、実際に中国で鉄道に乗り、あるいは時間を見つけて撮り鉄活動に興じるとしましても、デカくてイカツい罐や実際に自分が乗る客車に注目が行きこそすれ、罐に牽引されている貨車につきましては、余りにも茫漠として(そして大量にあり当たり前すぎて)逆に注意が向かないものです。



 しかし、恐らく本邦における中国&朝鮮半島貨車研究の第一人者にして、当ブログにもしばしばコメントを頂いておりますSY1698様がこのたび個人出版された『中国貨車論叢』(お台場での販売後、現在神保町書泉で販売中。700円) は、そんな漠然とした中国貨車の世界(そして中国国鉄そのもの)に歴史的視点から切り込んでおられ、車番の振り方や車両分類といった基本的なポイントは勿論のこと、貨物シーンから中国(そして北朝鮮)という国の本質や日中関係の曲折が浮き彫りにされています。傍目には最高にマニアックな世界ですが、ご関心をお持ちの方には大いにオススメです……。私も神保町で購入後、田園都市線の車内で一気に読了してしまいました (50050でしたが……汗)。
 とくにツボにはまった論点としましては、
*車両&鉄道技術輸出における日本の国家戦略の欠如
 (それを統計的に明らかにしている点が見どころ)
*今や中国全土を覆い尽くしている25系客車も基本的に日本技術の
 固まりであること(→しかし中国は日本に設計図のみ吐き出させて
 国有企業で製造。約20年前のRF誌に載っていた内容とのことですが、
 当時私は非鉄につき、このたび初めて知った次第……)
*日本の近年の鉄道技術輸出における中国の比重は激増する一方で
 あるゆえ、安易に関係を切れないこと。
*何にでも思いつきで口を出して現場を翻弄させ、結局経済建設の墓穴を
 掘りまくりな金日成のアホぶり。
……などなど。そして、偶然の目撃から資料を掘り起こされたという大連・甘井子埠頭のレポートは、何とも凄まじいスタイルの石炭積み電車にメロメロです (笑)。
 というわけで、激しく濃いぃ読後感も醒めやらぬうちに、自分のPCの中にある画像を漁ってみたところ、5年前に北京北駅にて撮影した貨車の写真が出て来ました (^^;)。上は何と検量車ですが、何故ウルムチ常備の車両が北京にいるんだろう……と (汗)。下はごくありふれた軽油用タンク車ですが、1車のみポツンと草むした線路に放置されているシーンは何故か絵になります (^_^)。

香港地下鉄・直流モーター車の悦楽

2011-09-15 00:00:00 | 中国の鉄道


 時計の針を5年前から再び半年前に戻しまして……震災直後、ネパールを訪れたついでに飛行機乗換のために訪れた香港では、主に東鉄線(九広線)に重点を置いて乗り・撮り鉄をしたのですが、そんな東鉄線をも合併して今や香港各地を股にかける香港鉄路公司 (MTR) はもともと地下鉄網(香港地下鉄)が母体。その実力を見せつけるかのように、香港の地下鉄は人の流れに合わせて稠密なサービスを展開しており、観光客は総じて2階建て路面電車・バスやスターフェリーに乗って移動したいと思うのをよそに、多くの香港住民は移動距離が近い場合を除き、あるいはルート選択上バス利用の方が便利であるという場合を除き、速く安く快適な地下鉄を大いに利用しているように見受けられます。そして、東鉄・西鉄線(西日本鉄道ではありません ^^;)や地下鉄線の主要駅にはバスターミナルが併設されており、さらなる郊外や団地へのアクセスも周到の極み。まさにイギリス的な合理主義がとことん応用されることで、恐ろしく過密な香港の都市交通が実にシステマティックに出来上がっている……と感嘆せざるを得ません (*^^*)。



 そんな香港の地下鉄、最も眼を惹くのは香港島とランタウ島(大嶼山)の空港及び東甬市街を高速で結ぶ機場快線/東甬線でしょうか(終点付近を除きほとんどの区間を共有し、機場快線は専用のデラックス車両を使用し停車駅も限定)。駅間が非常に長く、巨大な吊り橋などのダイナミックな構造物を通過し、最高速度も130kmを超えますので、並行して走る空港バス (系統番号にAが付きます) に乗車中あっという間に抜かれるたびに爽快な屈辱感(何じゃそりゃ)が全身にみなぎりますが (^^;)、いっぽう5扉ロングシート車が地下線内で激しく突進する光景も何やらSFチックな未来都市の乗り物という雰囲気があり、個人的には結構好きです (笑)。
 しかし、それ以上にそこはかとない親しみを覚えるのは、フツーの地下鉄路線で活躍するフツーの直流モーター車♪ 1994年に初めて香港を訪れた際には「ふーん」としか思わなかったのですが (^^;)、その後ロンドンを訪問して以来、側面の雰囲気が「ロンドンのSurface Lineっぽくてシブい♪」と思えるようになりましたし (Surface Lineとは、当初蒸気鉄道として建設された、地表近くを走る地下鉄路線のこと。車体断面は深部を走るTubeと異なり一般的)、何と言っても今や古くなった分だけ車内の雰囲気も落ち着いたものに感じられます。加えて走行音も直流モーターですので、「真面目に走ってます」感がひときわ強く感じられます……。最近中華人民共和国で雨後の筍のように増殖している地下鉄が如何にも安っぽい車体のVVVF車である分、余計に香港の英国紳士的な地下鉄車両がダンディに見えるのかも知れません……。

チベット・ラサ近郊絶叫バス (下) ツルプ線

2011-09-14 00:00:00 | アジア諸国の路線バス


 昨日はチベットの都・ラサの大型 (?) バス狭隘路線をご紹介しましたが、ついでにもう一つ、小型バスによる超狭隘デンジャラス路線として、ラサの西にある山奥の寺院・ツルプ寺に向かう参拝バスをご紹介しましょう~。この路線もやはり早朝6時台にラサの中心・ジョカン寺前にて客引きをしており、目指すツルプ寺もガンデン寺に負けず劣らず名刹ですが、ガンデン寺はダライ・ラマの宗派の開祖本山であるのに対してツルプ寺はややマイナーな宗派の本山であり、しかも恐ろしく山深いところに立地していますので、自ずと日常の巡礼客は少なく、ガンデン寺線が大型車毎日数台であるのに対してツルプ寺線は小型車1台。まぁ、そもそもツルプ寺への道は大型車など到底入れないのですが、ラサの街を出発して青海チベット鉄道を左に見ながら舗装道路(青蔵[青海チベット]公路)を飛ばしている間は、この先に控える「遊園地の超絶叫マシンも腰を抜かしてびっくり」な悪路の実態は想像するべくもありません。
 ようやく明るくなって来た朝7時40分頃(北京時間なので・・)、バスはいよいよ青蔵公路を外れ、鉄道のガードをくぐって悪路に突入! 何と……ツルプ寺までの道は基本的に、谷川の河床に沿った踏み分け道を無理矢理車も走れるようにしたような超やっつけデコボコ道なのでありました……。というわけで、バスは随所で岩や段差にブチ当たり、その都度車体が激しく傾くという有様。当然スピードも出ず、どれほど頑張っても自転車に毛が生えた程度……(汗)。たまに集落や畑が現れ、割と整った道(↑の画像はその部類)に入りますとホッと一息です (^^;)。



 バスはそんなこんなで約2時間半ほど極悪路と悪戦苦闘した末、10時過ぎに目出度くツルプ寺に到着~。13時まではフリータイムですので、じっくり本殿を参拝するも良し、清冽な水があふれる谷川の脇でピクニックをするも良し(但し放牧されたヤクの糞で汚染されていますので、生水は飲めません)。この寺の生き仏様はキタイ国とチベット政府の両方から承認され、キタイ政府との関係は表向き悪くなかったそうなのですが、肝心の生き仏様がコムニスティチェースカヤ・パルティヤ・キタイスカヤの洗脳を嫌ってインドに脱出してしまいましたので、主を失って久しい寺は悲しみに包まれたまま、戻るはずもない主の思い出に浸っているような雰囲気……。いっぽう、険しい岩山に囲まれたロケーションは素晴らしいのひとことで、参拝を終えたあとブラブラ散歩していたところ、やはり参拝を終えてピクニックしていたチベット人からお茶をご馳走になり、しょっぱいバター茶をすすりながら緑の谷と大伽藍を眺めていますと気分は爽快~♪
 そんなこんなで13時にツルプ寺を後にした巡礼バスは、朝来た道を途中まで引き返したのち、今度はいきなりウルトラスーパーダイナミック超絶狭隘急峻極悪路 (どういう表現か……とお思いでしょうが、とにかくそんな感じ。滝汗) を登り始めまして、「うわわぁ~何じゃこりゃ!」と内心絶叫する間もなくグイグイと標高が上がり、バスは険しい山の中腹にある小寺院・ネナン寺に到着~(2枚目の画像)。何が何だかよく分からず、バスを降りたあともまごついておりますと、乗客のチベット人たちが「何をしている、早くこっちこっち」と急かします。そこで彼らとともに寺の中の狭い階段を上って行きますと……そこにはこの寺の幼い生き仏様が! ツルプ寺の生き仏様がインドに脱出して久しいため、ツルプ寺の宗派を信仰するラサ近郊のチベット人のあいだでは、この生き仏様に取り敢えずお参りするのだとか。そこで私も、彼らの立ち居振る舞いをしばし観察したのち、同じように祝福をして頂いたのでした(いや~勝手が分からず緊張しました)。
 約40~50分ほどのネナン寺参拝休憩を終えたあとはラサに戻るだけ。しかし……登りでも超!絶叫モノの最悪路でしたので、下りはもう思わずキモがつぶれて小便を漏らしそうなほどの凄まじい恐ろしさ……(@o@;;;)。運転手氏を全面的に信頼し、運を神仏に任せるより他にありません (爆)。この下りをクリヤした後は、往路に感じた極悪路も安らぎの散歩道程度にしか感じず (笑)、無事夕方5時半頃にラサに到着したのでした。まぁ、命のスペアを2つか3つ程度用意できる狭隘路線バスマニアの方には、この路線は心からオススメ出来ます (^^;;)。


 山奥の名刹・ツルプ寺をめぐる。観光客は滅多に来ないので静か (^_^)。



 ネナン寺参拝を終えて超凶悪路を下る途中の大展望。しばしばケツが数十cm飛び上がるほどの激しい揺れと、ヤバ過ぎて小便をちびりそうなほどの気分の中、この1カットが決まるまで何回失敗したことか……(滝汗)。