地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

チベット・ラサ近郊絶叫バス (上) ガンデン線

2011-09-13 00:00:00 | アジア諸国の路線バス


 震災直後のネパール訪問ではヒマラヤを拝むことは出来なかったのですが(一応、カトマンズからジャナクプル鉄道を訪ねた際、飛行機の中からエベレストを遠望したものの、やはりガラス越しではなくナマでないと……)、それではヒマラヤの彼方のチベットはどんな感じなのか?ということで、5年前にチベットを訪れた際の記録を掘り起こしてみました。悪名高き青海チベット鉄道の開業直後の模様につきましては既に5年前にアップしましたので、今回は首都ラサから日帰りで楽しめる、ちょっと(いや、激しく?)デンジャラスな路線バスとして、ラサの東にある名刹・ガンデン寺へ向かう参拝バスをご紹介しましょう。
 広大無辺なチベット高原では、近年キタイ国の打倒インドを目論む軍事戦略に基づいて見事な舗装道路が増えつつあり、そこを悪名高き寝台バスや普通の詰め込みバスが行き交っていますが(一見するとラクチンそうな寝台バスが如何に悲惨な乗り物であるかは、一度乗れば分かります……。高速列車CRHもそうですが、コワイもの見たさな方はどうぞ)、短い路線でも朝出発→夕方着、長い路線になると2泊3日~3泊4日 (あるいはそれ以上) という路線は、短期の訪問で乗るのはオススメできませんし、何しろ切符がすぐには手に入らないことも。バスターミナルもキタイスキーばかりが行き交う新市街の不便な場所にあります。しかし、ラサ近郊のバスは旅行者が通常宿泊する旧市街の中心部で客引きしていますし、乗車時間も片道2~4時間とお手頃♪ 


 
 とくに、今回ご紹介するガンデン寺参拝バスは、敬虔なチベット人参拝客の行動を車内で観察するという面白みがありますし、主要道から外れて目指すガンデン寺へ登って行く坂道のデンジャラス度が半端ではありません! まずは朝6時半から7時頃、ラサの中心・ジョカン寺前の広場に行きますと「ガンデンガンデン!」と客引きしており、そのままバスに乗り込んでのんびりする間もなく客が一杯になりいざ出発! 走り始めて1時間半ほどは、ラサ河に沿って夢のような田園風景の中を快調に飛ばして行きますが、寺へ向かう坂道に入ると……未舗装・狭隘な九十九折りの超極悪路! ところどころ、どうしようもないぬかるみもあり、その都度客は全員下車し、チベット人の運転手氏が必死のハンドル捌きでぬかるみを避けて行きますが……うわぁ~あと数cmズレると崖を真っ逆さま……なところもしばしば (@o@)。崖っぷちの超ヤバい道ですぐに思い浮かぶのは、山梨交通・甲府~広河原線(南アルプス登山バス)の夜叉神峠~広河原間ですが、広河原線は舗装道路でガードレールがあるのでまだまし……。もっとも、運転手氏を全面的に信頼して慣れてしまえばこっちのもの (笑)。
 しかし、狭隘路線バス党にとって悶絶モノのこの坂道には別の問題も……。ガンデン寺はチベット仏教の中でも名刹中の名刹ですので、クネクネ悪路は余りにも不釣り合いではないか?と思うのですが、この寺にはキタイ国の強引な支配にしばしば抵抗して来たがゆえに幾度も封鎖や破壊を蒙ってきた悲惨な歴史があり(今ある大伽藍は、赤い軍隊による砲撃で全て破壊されたあと、チベット人が自力で再建しつつあるもの)、たぶん今でも政府との関係は必ずしも宜しくないはず。このため、道路整備においても満足な助成を得られないのでしょう。あるいは、俗世から遠ざかって戒律を守る上で、道の悪さはそれはそれで悪くないのかも知れません。とはいえ、青海チベット鉄道全通で観光客が激増した以上、観光客の利便を高めるために未舗装道路を整備するという発想もあるでしょうし、有り余る金で道路を整備して速攻で反抗を鎮圧しようというのもまたバブル後のキタイスキーが考えそうなこと。今頃は道路整備が進み、この寺もキタイスキー観光客のるつぼと化している可能性があります (-_-;)。
 ともあれ、いつの間にかバスは極悪狭隘路を何とかよじ登り、ついに標高4300mのガンデン寺に到着! 出発まで3~4時間ほどフリータイムがありますので、参拝・食事・さらに高いところへ徒歩で登ってピクニック&昼寝などなど……思い思いに過ごすことが出来ます(出発時刻をしっかりと訊いておくのは必須)。この寺院のロケーションはまさに「天○の城ラ○ュタ」そのものの超!圧倒的!究極!ものですので、ラサに巡礼・観光旅行しようという奇特な方は是非……。但し、空気はとにかく薄いですので、富士山とほぼ同じ高さのラサで高度順化を終えていても再び高山病になる可能性があります。また、キタイ国とチベット人の関係が悪化する都度この参拝バスは運休となりますので、注意が必要です。

ネパール・カトマンズ盆地周辺バスの旅

2011-09-12 00:00:00 | アジア諸国の路線バス


 3.11から半年経ったということは、個人的には……その翌日の昼過ぎに京成が成田空港まで通じ、成田空港も辛うじて再開できたため、混乱の中を香港・ネパール旅行に出発できてしまったという奇跡を経験してから半年でもあります。香港(&中国広東省)・ネパールでの撮り鉄・撮りバスの内容は既にいくつかアップしましたが、そういえばカトマンズ滞在中にもっぱら利用していた路線バスについては後回しになっていましたので、備忘録として記しておきたく存じます。
 1枚目の画像は、カトマンズの東南に位置する古都にして衛星都市でもあるパタン(ラリトプル)のバスターミナルでの撮影。インドで進む経済発展の影響は北にあるヒマラヤの国にも及んでおり、カトマンズ中心部と周辺の都市を結ぶバスはタタ社やマヘンドラ社といったメーカーで生産された最新鋭(?)の小ぎれいなバスで占められているのが実情ですが、衛星都市からさらに田舎の町に向かうバスは昔気質な (?) ボンネットバスでした♪ 乗ってはいないのですが (^^;)、ををっ、まだある☆……というわけで激写しまくり (笑)。



 一方こちらは、一見するとただのタタ社製ミニバスに過ぎませんが、走っているところがスゴい……。ヒマラヤの大展望を期待して、標高2000数百mのお立ち台・ナガルコットを訪れたところ……嗚呼~空気がモヤモヤで何も見えないという……(号泣)。通常このナガルコットを路線バスで訪れる場合には、まずカトマンズ中心部から東の古都・バクタプルに向かい、徒歩でバクタプル市街を横断のうえ北東にあるカマール・ビナヤクBTからナガルコット行に乗ることになりますが (カトマンズから直接カマール・ビナヤクに行くバスもあるものの、現在道路工事中のためいずれにせよ要徒歩連絡)、折角カトマンズから3時間かけてナガルコットまで来て、ヒマラヤを何も見ずスゴスゴと今来た道を引き返すのはつまらん……。そこで、目の前に停まっていたミニバスに「何処へ行くのか?」と英語で訊いてみたところ (英語が大体通じます)、カトマンズ北東の鄙びた古い街・サクーへ行くとのこと。そういえば……『地球の○き方』にも、カトマンズ~ナガルコット間のバリエーションルートとして、古い宿場町や尾根道をたどるサクー経由の道程が紹介されているのを瞬時に思い出しました。
 というわけで、この小さなバスに乗り込んで、デコボコ尾根道の旅に出発進行! しかし……残念ながら空気がモヤっているため、折角超絶な段々畑が眼下に広がる狭隘急峻路を走りながらも、展望の広がり具合はイマイチ……。空気が澄んでいれば、ヒマラヤの雪山を望みながらの壮絶な車窓展望なのでしょうが……。
 ナガルコットから30分ほど走ったところで小さな村があり、ここから道は緑の谷沿いに。ほどよい気温・湿度に加えて広葉樹が道の両脇を覆い尽くしている雰囲気は、全く以て日本の林道とそっくり……。思わず気分が安らぎます。また、気がついてみればこんな小さなバスに日本人が4人も乗っており (皆さん『○き方』を読み込んでいますなぁ~)、ひとしきりネパールの旅の話題や大震災事情などを情報交換したのでした……。同胞同士、助け合いが基本です……。
 というわけで、約2時間少々の小さなバス旅はサクーの街で終了~。かつてチベットとの交易路上の街として栄ながら、今や中国・ネパール公路にお株を奪われてすっかり寂れたサクーの街は、全く観光地ではないにもかかわらず往年の家屋や商館がズラリと立ち並ぶ魅惑の街でした。こことカトマンズの間はバスが頻発していますので、将来再びカトマンズを訪れた際には是非再訪したいところです。 


 世界遺産となっているパタンの王宮。歩き疲れたら、そんな絶景を見下ろすレストランでミルクティーを……というのはネパールの旅における最大の楽しみの一つです。[[pict:item5]



 ナガルコットからサクーへ向かう尾根道。カラカラに乾いて蒸し暑いという、何とも訳の分からん天気……。段々畑は本当に見事です。

三陸の旅2011 (7) 山田線・区界越えで盛岡へ

2011-09-10 00:00:00 | JR発足後の車両


 初めての三陸訪問の締めくくりは、これまた初めての山田線・区界越え (すみません……乗りつぶし系乗り鉄ではないもので、日本全国津々浦々、未乗路線の方が圧倒的に多い私です ^^;)。前回も記しました通り、盛岡~宮古間の公共交通シェアは日中でも毎時1本運転の「106急行バス」(岩手県北バス) が大部分のシェアを占めて久しく、このため盛岡~宮古間を走破する山田線の列車は1日4本という過疎ぶりとなっていますが、なかなか宮古という場所を訪れることが出来ないからこそ、ついでに僅かな直通列車に乗ってみたいというものです。出来ればキハ52が運用されていた時代に乗っておくべきでしたが、「気がついたらJRのあんな路線でこんな車両置き換えが進んでいた……」ということに気づく情報弱者な私ですので (笑)、まぁ水郡線のお下がり (?) なキハ111・112で十分上等というものでしょう。
 そこで、船越まで往復したのち宮古駅周辺で昼食・撮り鉄を楽しみ、その合間に「早めに切符を買っておこうか」ということでみどりの窓口に行ったところ……「盛岡までは3時の急行バスもありますが、良いのですか?」と念を押される始末 (汗)。まぁ一般客的視点からみれば、そりゃそうか……(^^;;)。



 それにしても宮古駅の時刻表は、岩泉線の運休、そして大震災に伴う山田線海区間(という呼び方で良いのでしょうか? ^^;)及び宮古~茂市~川内間区間列車の運休・減便により寂寥の極み……。3番線まであるホームや駅南側の留置線も、運用数の激減(単純に盛岡or川内から来た列車が折り返すのみ)により、すっかりほとんど使用されずレールに錆が浮き……1番線と三陸鉄道ホームのみが生きているという悲しい状態です。そんな1番線に停車中の15:53発・盛岡行きの改札が45分頃に始まりまして、めでたく1ボックスゲット♪ だいたい1ボックスに1人~1グループが埋まるという丁度良い乗車率で出発進行と相成りました。
 その後は……標高数mの宮古から、標高744m (東北鉄道最高地点) の区界まで、ときとして人煙稀な閉伊川の峡谷をひたすら遡って行くという圧倒的な展開が! 区界に近づきますと、白樺の森に開墾地が点在するという「北の高原」そのものの風景になり……う~ん涼しげ。そんな場所を走りますので、当然のことながらエンジンは常にグォォォ~と激しく唸り続け、キハ110系列でこれほどアツ過ぎる走りは初めて経験しました☆ 乗り心地も当然のことながらバスと比べて上々で、所要時間的にも106急行バスと大して変わりませんので(快速に至っては10分速い)、JRも工夫次第で客を奪回できるのではないか……と思わなくもありません。あ……でも、岩手県北バスは106急行の利益で沿岸部等の零細なバス路線を維持しているともいわれますので、JRが客を食い過ぎてもまずいか……(^^;)。
 区界停車後、列車は一気に下り勾配に入り、1日1本しか停車しない大志田を通過して上米内に停車した後は盛岡市内へ……。何なのだこの激しいギャップは! (汗) こうして定時の18時に盛岡に到着した後は、初めて乗るE5系グリーン車の座り心地と暮れゆく早池峰山の眺めを肴にビールを傾け、非常時の日常の中で敢行した三陸の旅の意味を反芻したのでした……。
 というわけで、計7回の全く整理されていない雑文にお付き合い頂き誠にありがとうございました m(_ _)m 明日、東日本大震災からの半年の節目を迎えるにあたり、改めて被災地の速やかな復興をお祈り申し上げるとともに、「がんばろう日本」を心の中で念じ続けたく存じます。

三陸の旅2011 (6) 事実上の山田線代行バス

2011-09-09 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 三陸鉄道で宮古に到着した後は、何らかの手段によって盛岡に戻り、既に予約していた「はやぶさ」のグリーン車で首都圏に戻ることにしていたのですが、夕方6時頃に盛岡に着けば良いということで、いくつかの移動プランを考えていました。その最も単純で安易なものは、盛岡~宮古間の移動シェアの圧倒的部分を占める「106急行バス」を利用すること (106は国道106号線の意)。宮古駅周辺で撮り鉄や海鮮賞味の後、早めに盛岡に戻ってジャージャン(炸醤)麺か焼肉・冷麺に舌鼓を打てば、北東北の旅の締めくくりとして上々というもの。しかしここは折角ですので、山田線の山越え区間にも乗りたい……。とはいえ、宮古から海沿いのバスを乗り継いで釜石に到達し、快速「はまゆり」で盛岡に行くという方法もあります。
 そこで、行き当たりばったりでいつの間にかいずれかのプランに落ち着けば良いか……と思いまして、まずは10時10分に発車する岩手県北バスの (岩手) 船越駅前行きバスに乗ることにしました。津軽石駅で被災したキハ110を見学したのち宮古に戻って来るのも良し、「道の駅やまだ」にてタッチの差で連絡するかしないか分からない岩手県交通の釜石行バス(岩手県北バス公式HPの時刻表参照) に乗り継ぐも良し……。そこで駅前広場に行ってみますと、他の市内・近郊バスはほとんど小振りな富士重工8Eボディであるのに対し、何と岩手船越行として待機しているバスは7Eのワンロマ!!(中央扉がデカいので、イマイチ貸切兼用とは思えず、「ワンロマっぽい」という程度の表現が妥当なのかも ^^;) 潮風に当たり続けた車体はかなりボロボロ気味ですが、昔気質な車体で力強く走ってくれそうです♪ そして10時10分、山田線代行バスとしての役割を事実上担っている船越行は (JRの定期券所持客はそのまま乗車可)、20人近い客を乗せて出発進行! 間もなくすれ違った8Eの宮古駅前行は座席ビッチリに立ち客多数の超満員でしたので、あぁ~デカいワンロマ(?)で良かった!という感じです (^^; 



 しかし、そんな路線バス趣味初心者的な浅薄な考えをよそに、沿線の被災の実態は壮絶の限りを尽くしていました……。宮古駅に近い商店街では「ここまで津波が来ました」という掲示を出しながらも奮起して営業を再開していましたが、海が近づくにつれてそのような余裕を許さない世界となり……形を留める建物といえども悉く1~2階が津波に破られ、「解体OK」と殴り書きをされている有様……。宮古市役所も2階までは完全にベニヤ板で覆われていました。そして……橋桁が消えたJRの閉伊川橋梁、砕け散った防波堤、ぐにゃりと曲がった防潮扉……。
 津軽石駅に放置されていたキハ110は跡形もないことがバスの車内から確認できたことから(帰宅後ネットを見たところ、海の日連休直前にその場で解体処分となったたとか……合掌)、引き続き乗り続けたところ、山田町の中心街に近づくにつれて極限の世界が広がっていました。一面の住宅街が全て津波と火災で消え去り、マンションの2~3階までが完全に筒抜けとなり、焼けただれたビルの残骸が並ぶ山田中央町バス停周辺の光景に至っては、写真のみで知る敗戦直後の東京の焼け野原そのもの……。そんな中でも普通に(しかもマイカーを失った人が多いため大量に)バスの乗降があり、バス停すぐそばの美容院はいち早く仮復旧して大繁盛しているという……。被災地の人々のたくましさに胸を打たれると同時に、そんな現実を日本国全体としてサポートし切れていない現実を心苦しく思うのみでした。焼け野原の光景がそのままである限り、紛れもなくこれは「敗戦」でしょう……。
 その後、バスは終点・岩手船越駅の手前で「道の駅やまだ」に到着。すると……こちらがバス停に止まる直前に岩手県交通の釜石行(国際興業わさび色キュービック)が発車~(汗)。これは要するに……「大槌以南の現状はもっと困難が多いので、当面旅人は引き返せ」という天の声なのだろうと思いまして、岩手船越駅で下車後少々佇み、駅のすぐ下まで津波が押し寄せた惨状や美しい入り江をバックに堆く積まれた瓦礫の山にショックを受けたのち、「道の駅やまだ」に戻ったのでした。

 地元の特産品や日用品が豊富に並ぶ「道の駅やまだ」の店内は、地元民や観光客で大賑わいでホッと一息。私も気分転換に「岩泉牛乳ヨーグルトドリンク」を購入し、濃厚ながら爽やかな美味!にようやく慰められる心地がしたのでした……。また、ここでは山田町の製麺業者特製の「わかめラーメン」を購入したのですが、少々ヌメリ気のあるツルツルシコシコな麺と透き通った海老出汁塩味スープの組み合わせは超絶に絶品!!(*^O^*) 
 買い物が済んだあとは、営業所から再び出て来たワンロマ(?)に乗って宮古駅前に戻り、駅前の料理屋で昼食として海鮮丼を食べたのですが、2000円という値段が壮絶に安く感じられるほど凄まじい量の超!ぷりぷりkirakira新鮮美味海鮮各種てんこ盛りに驚愕……beer。また、宮古駅といえば、Kioskで売っている「相馬屋のあんぱん・クリームパン」が安くてほんのり甘くマジでツボな味わい……♪ 先日は「目黒のさんま祭り」で宮古産のサンマに多くの人が舌鼓を打った云々……という話題がネットで見られましたが、宮古を取りまく食の超絶な美味さは実際に訪れてみてはじめて深く体感できると思われますので、皆様もいずれ是非……。
 ともあれ、めくるめく山海の恵みを生み出し、首都圏も知らず知らずのうちに多大な恩恵を蒙っている三陸……。この地に、元通りとは行かずとも一刻も早く平穏な生活が取り戻され、再び豊かな物産が生み出されることは、単に被災地のためだけではなく日本全体のためなのだ、ということを強く認識させられたのでした。

三陸の旅2011 (5) 三陸鉄道・宮古編

2011-09-08 00:00:00 | 地方民鉄 (東北)


 小本駅にて切符を購入して階段を上って行きますと、ちょうど宮古からの列車が到着するところでした。小本駅の久慈方本線は臨時の留置・検修線となっており、36-100/200形が1両ポツンと置かれていましたが、宮古から着いた車両と増結したり車両交換したりするわけでもなく、そのまま折り返して出発進行! 小本~宮古間の運転は、恐らく田老付近の通信設備が津波で打撃を蒙っているため(そして車両数も最低限しか確保されていないため)、一の渡と田老の交換設備を使用せず全線を1閉塞とし、始発駅での手旗指導に従って発車するという、安全を担保しながらの営業運転としては本当にプリミティブな方法によっていますが、きびきびと振られる緑の手旗にも「少しずつでも着実に復興へ向けて走れ!」という意志を感じるのは私だけでしょうか?
 列車は田老に着くまで、田んぼの中の高架駅である摂待駅の前後を除いてひたすら長大トンネルを走りますが、制限30~40km/h程度でゆっくりと走るため、ある意味で非常に退屈……(^^;)。ディーゼルエンジン音も低速でグロロと唸ったかと思ったらニュートラル状態が延々と続きますので、ひたすらジョイント音を子守歌にするしかないという状態です (^^;;)。
 しかし、田老駅に近づくと……全国、いや全世界に伝えられた田老の惨状が目の前に否応なく広がり、嗚呼……という言葉が脳裏をグルグルと駆け巡るのみ……。既に瓦礫の撤去は相当進んでいるものの、街の本格的再建は遅々として何一つ始まっていない現実を見せつけられます。それでも田老駅からは多数の乗車があり、田老発車時点で車内は30人を優に超える客で大賑わい (宮古到着時には40~50人程度?)。そう……世界史上稀に見る打撃を受けた被災地にも生活が息づき、三陸鉄道は復興支援列車としての務めを立派に果たしているのです。



 その後列車はしばし海沿いを離れ、野鳥のさえずりと蝉時雨、それに清流が何とも瑞々しい森の中を進んで、佐羽根・一の渡に停車……。ごく当たり前のように真夏の光に照らされた緑の森が広がっていることが何と素晴らしいことか……と、ボックスシートに身を委ねながら思う私でありました。一の渡から長いトンネルをくぐり抜けますと、最近出来たばかりの山口団地駅に到着~。無傷な新興住宅街に囲まれたピカピカな駅の雰囲気は、突然どこか異次元世界にワープしたかのような心地すら感じられますが (^^;)、再びトンネルをくぐりますとやがてJR山田線と並走し、間もなく宮古駅に無事到着しました。久慈からの所要時間は2時間42分。震災直前の3月5日ダイヤ改正における最速列車は所要1時間半で毎日13往復運転ですので、震災によって生じてしまったこの激しい落差を埋めて元通りにすることが出来るのか否か……ということ自体が日本の国力の問題として突きつけられているのかも知れません。
 宮古到着後は、列車が運行される時間に合わせて沿線で撮り鉄したほか (1枚目)、駅西側陸橋とその下が格好の撮り鉄スポットとなっていますので、発車時間までのんびり佇む光景を撮影♪ また、三陸鉄道待合室に陳列されているグッズも購入させて頂きましたが、開業25周年記念誌は何よりの記念となりました☆ 壁には、和手拭いファンとしては垂涎モノの「鉄道むすめ手拭い」が掲げられており、所謂萌えキャラ趣味はなく思わず恥ずかしさを感じてしまう私ではありましたが (爆)、「う~む、ひょっとすると格好の記念として欲しいかも……」ということで (^^;;)、恐る恐る窓口業務担当のアテンダントさん (?) に訊いてみたところ……答えは「売り切れ」。う~ん、良かったのか悪かったのか……(笑)。