地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

第三ジャカルタ炎鉄録 (38) 東急8608F

2012-02-24 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨日『じゃかるた新聞』を閲覧していたところ、このたびインドネシア政府は悪化の一途を続けるジャカルタ首都圏の交通事情を効率的に緩和するための統括機関として「ジャカルタ交通庁」を設立することに決したとか。記事に曰く、ジャカルタの交通における圧倒的シェアを占めるのはクルマとバイクであり、鉄道が占める比重は僅か2%でしかないことから、悲惨の一途をたどりつつある大渋滞地獄の抜本的な解決のためには鉄道・MRT・トランスジャカルタ(専用レーンバス)を主軸とする大量輸送機関網を効果的に組み合わせ、かつオフィスビルをこれらの駅周辺に集中するなど、大幅な都市改造は最早不可避であり、そのためには様々な行政機関に分散された許認可権や指揮命令系統を集約する必要があると判断したようです。これにより、都市問題の緩和と一大建設による経済発展の持続という一石二鳥の効果が期待されるわけで、如何にもユドヨノ政権らしいリーダーシップではないかと思う次第です。



 とにかく、現在のジャカルタ鉄道網をめぐる状況は、いくら電車を増やしても足りない!足りない!足りない!というわけで、さらなる日本からの輸出車とINKA社による国産車の増加(最新の国産車KFWって、試運転をしたきり一体何時になったらデビューするのでしょうか……^^;)による百花繚乱状態が期待されますね……。いっぽうマンガライ駅大改造やタンゲラン線の空港鉄道化などのプロジェクトも今後本格化すると思われ、ますます定期的な記録が欠かせないと思う次第です。
 というわけで、昨年夏のジャカルタ撮り鉄のつづき、今回は東急8608Fです。この編成はジャカルタ入線当初、黄緑+黄色という当時のジャカルタ標準帯色をベースに、正面帯は8608Fオリジナルなものを巻いていたものですが(編成ごとに異なるデザインは、どの編成が接近しているのかを一発で判別可能で、今思い出してみればホントに便利でした……)、昨年夏の時点では入線後約2年を経て検査を受けたばかりと見え、他の編成と同じく青+黄帯に変わっておりました。嗚呼……この編成もやはりこの色になってしまったか……というのが正直なところですが(緑+黄も欲しいところ……)、念入りな検査・洗浄でとにかく屋根も床下も含めてピカピカとなっているその姿は、「デポックやボゴールの電車区スタッフによって大事にされているなぁ……」と思わせるに十分です♪ とにかく、車両不足が深刻だった2年半前の初訪問時に比べ、その後のメトロ車大量導入による予備編成の増加と車両の整備・洗浄の向上は目覚ましく、これもまた躍進を続けるインドネシア経済を象徴している光景なのかも知れません。

スカ色の旧型国電を作る (12) 御殿場1

2012-02-23 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 来月のダイヤ改正ラッシュを控え、いま鉄ヲタ界的にみて最もナウな路線はどこかと言えば……御殿場線と記して異議ありという方は恐らくそれほど多くないでしょう。371系や小田急20000形の引退、それに60000形の試運転や117系観光改造編成出没とあっては、長らく派手な動きとは無縁であったのがウソのようです。
 しかし個人的には……御殿場線といえば、むかし御殿場界隈に住んでいた親戚を訪ねる際に乗ったスカ色73系の印象が圧倒的に強く、次いで73系を置き換えた敵役ながらもそれなりにボロく慕わしい存在感があった115系デカ目非冷房車の印象が残っております。他に付け加えるとすれば、彼らの活躍の傍らで名脇役を演じていた急行「ごてんば」165系や、連絡急行(記すにつけ懐かしい種別!)「あさぎり」小田急SSE3000形ですかね~(……って、フツー誰がどう見てもこちらの方が主役で、73系や115系の方が脇役でしょうに。どうせ私は鈍行&ボロ車両命のひねくれ者です。笑)。したがって、211系や313系が跋扈して久しい御殿場線は、最早「オレの心の御殿場線」ではないのであります (^^;)。



 というわけで個人的には、最近にわかに現出した御殿場線ブーム(?)は静観しているのですが、それでも御殿場線という単語を見聞する機会が増えれば増えるほど、山峡にこだまする73系の絶叫や、何とも奥ゆかしく香しいニス塗りの車内に親しんだ幼き日の記憶が熱く蘇って来ずにはいられません (笑)。そこで、流電製作が無事終了した新年におけるスカ色旧国模型製作は、いったん戦前型から離れ、御殿場線73系の堂々8連・王者の風格漂う長大編成をヘタクソながらも再現してみることにしました(とは言え、他に作りかけの戦前型が複数あるのですが……^^;;)。
 御殿場線73系は、1968年の電化当初はクモハ60など戦前型3扉車との混成編成を組んでいましたが、他の路線での新性能化により余剰となった程度の良い73系が流入し、その都度小まめな編成替えと老朽車の廃車が進んだという歴史的特徴があります。そこで1979年の新性能化前夜には、半鋼製のサハ78がトイレ付きであることもあって多数生き残っていたのを除き、ほとんどの車両(とくに電動車)は全金属新造車や近代化改造車によって占められていたといわれます。しかし……私が何度も乗ったのを覚えている昭和50年前後には、編成中に占める半鋼製車の比率はまだまだそれなりに高く、各種の書籍やネット記事を通じて73系全盛期の御殿場線を眺めるにつけ、半鋼製73系への思慕はますます募るばかりです。
 また、御殿場線の73系を語る上で忘れられないのは、戦時中にサロ45やサロハ46を4扉化したことによって出現したサハ78の存在でしょう。このグループは幼心にも明らかに他の73系と比べて異質で、ゴツすぎるリベット姿は怪獣の皮膚のような凄み (^^;) すら感じられたのみならず、サロ・サロハ改造ゆえのバラバラな窓間隔は、およそ幼稚園児の想像力を遥かに超越していたといっても過言ではありません。しかし、出自が出自だけに、車内の造作や木目の艶には圧倒的な高級感が漂っており、まさに「腐っても鯛」「掃き溜めの鶴」を物語っていた (こーゆー表現は適切なのか? ^^;;) のもこのグループ。幼心にとにかく車内の見事さに驚嘆・狂喜し、国府津を朝9時台に発車する沼津行きが空気輸送8連だったのを良いことに寝台列車ごっこに興じたのも懐かしい思い出です。したがって、サロハ46改をGM板キットから組むのは初心者の手に余りますが、少なくともサロ45改は切り接ぎによって生み出されるべきマストアイテムでしょう。
 というわけで、とりあえず切り接ぎしないクモハ73・サハ78 450を各1両組み上げ、ドア窓にバラエティを持たせるために切り接いだ車両の側面や、窓埋めを済ませたサロ45改サハ78の側面もこんな感じで輪郭を現してきましたが……これからヤスリがけ神経すり減りまくり地獄です (笑)。

京阪は河内を目指す!・驚きの長期戦略

2012-02-22 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 「京阪で河内ぃ~? 河内ゆうたらアンタ、近鉄・南海・関西線に乗って行くとこやあらしまへんか。京阪沿線から河内に行こ思うたら、京橋から環状線、淀屋橋から御堂筋線に乗らなあきまへん。いくらネタがあらへんからゆうてホラ吹きにもほどがありますわ。読者をなめたらあかん……」
 今回の表題をご覧になった関西の皆様は、恐らく思わずこんなことをつぶやかれるでしょうが、いえいえ私はうそ偽りは申しておりません (爆)。一昨日に発売された雑誌『東洋経済』は、最近のビジネス雑誌の一つのトレンドなのか(?)改めて鉄道大特集を組んでおり、さっそく朝の出勤時に田園都市線○K急行の車内でイッキ読みに勤しんだ次第ですが、各記事をつなぐひとつの基調して、鉄道産業は日本国内では人口減により斜陽産業となって行く可能性が高いものの、新興国では今後ますます都市鉄道建設が加速し、日本企業が大胆に「欧加鉄道メジャー何するものぞ」と打って出さえすれば無限の商機が広がっているという趣旨が強調されていたのは、やはり時勢というものでしょうか。
 そんな中、とくに鉄道産業の海外進出をめぐる目玉事例として紹介されていたのが、京阪のベトナム進出計画!! 何と、現在首都ハノイで建設に向けた調査・準備が進められている5本の都市鉄道のうち、1路線(5号線)については京阪が運営と沿線デベロッパーとしての役割を全面的に担う計画であるとか……!!



 というわけで、河内とは大阪のそれではなくベトナムのHa Noiのことだったのであります (^^;→ちなみに、ベトナム平地の地名は漢字に直せます。フランスに支配される前は漢文を使っていましたので)。『東洋経済』の記事を読み進めてみますと、京阪としては沿線利用客の減少(とくに某大企業の城下町である門真市や守口市の没落は大きく響いていることでしょう……)に悩まされる中、鉄道会社としてのノウハウと樟葉の開発に象徴されるようなデベロッパーとしてのノウハウを組み合わせた新興国での事業推進に注目し、その第一号の事例としてハノイに白羽の矢を立てて事業化準備を進めているとのこと。そして車両面については当面中古車を運び込んで開業コストを下げ、長期的に日本製新車を売り込んで行くためのショウウインドウ的な役割も担わせるという可能性もあるとかないとか……。
 すると、ことによると10年以内に(?)京阪の中古電車がハノイを走る?!という、これまで想像すらしなかった光景が実現する可能性がそれなりにあるわけで、うぉっマジか……と思わず胸が熱くなってしまったのですが、その前に日(1・2・5号線。1・2号線は円借款で建設とのこと)、仏・中(各1路線)に共通の規格を定めるのはこれからということで、軌間は統一鉄道と同じメーターゲージ、集電は架線1500Vではなく第三軌条になるとすれば、京阪の電車が引っ越す可能性は大幅に下がることになることは否めません。
 何はさておき、他に東急が別都市での事業に興味を持っているらしい等、日本的な民鉄経営&沿線開発の手法が東南アジアで花開いて行く可能性が高く、それに伴い中古電車の活躍の舞台が海を越えてさらに広がる可能性も高いというのは本当にワクワクすることです♪ しかし……恐らく1000系や卵形ボディ車はさすがに古すぎて持って行かないだろうなぁ……と (^^;)。

 そういえば、通勤電車のベトナム輸出で思い出すのは……한국がソウルメトロ2号線の余剰中間車をスーパー魔改造のうえ観光列車ハロン・エクスプレスとしてデビューさせ、さらに近郊輸送用としても数編成ハノイに持って行く云々が3~4年前頃に伝えられたものでした。しかしハロン・エクスプレスは、観光列車として乗ってみたいという感情が何一つ湧き上がらず、もっぱら超バッタモノ珍車好き日本人鉄ヲタを喜ばせるためとしか思えない風貌ですので、ハノイ~ハロン湾間の移動手段がほぼ完全に速くて便利なバスに集中している中では誰も乗らずにすぐに運休となり、以来ザーラム工場の片隅に放置されています (Google Mapで確認可)。そしてどうやら、ベトナム国鉄自身が한국からのトンだ贈り物に懲りたようで、近郊輸送用車両はいつまで経っても搬入されず……(苦笑)。한국としては、ソウルメトロ2号線中古車を皮切りにハノイの鉄道シーンで大きな存在感を占め、やがてはハノイをロテム製電車とウリナラ式首都圏電鉄で埋めようと算盤を弾いていたのでしょうが、あんな使えない車両でベトナム人が喜ぶとは到底思えないわけで、むしろこんなバッタモノ車両でもベトナム人は必ず満足するに違いないと思い込んでいたというウリナラ的感覚にニヤニヤせざるを得ません(笑)。
 というわけで、日本の官民によるハノイ都市鉄道建設支援・開発が한국とは全く異なり、ベトナム自身のバランスある発展と日越友好に大いに資する素晴らしいものになるよう願ってやみません。あと、競争入札で走り始めた電車が如何にもロテム臭い……という事態にならないことも祈ります。フィリピン・マニラのMRT紫線などは、電装品が日本製でも車体がモロにロテムなどというつまらない組み合わせのようですし……。

えいでん!de けいおん!・デオ723

2012-02-21 00:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 京都バスの狭隘路線を楽しんだ後は、まだ夕方からの会合まで時間があったことから、京阪グループつながりで叡電を久しぶりに少々撮ってみることにしまして、出町柳の手前・蓼倉橋でバスを下車。ちょこっと歩いて元田中界隈に到着しました。この近辺は、大踏切ありカーブあり、そして道路から停車中の電車を余裕で撮影可……といった感じで、宝ヶ池以南では最も多様なアングルを楽しめるところであり、個人的に気に入っているところです。嗚呼……デナ21が現役の頃にそういうことに気が付いていれば……(所詮中学高校生の頃は深読みロケハンが出来ず、車両本などで紹介されている山深くなる区間で待ち構えて、日陰などの厳しい条件に打ちのめされていたという ^^;)。(※バス停の名称をいつの間にか脳内で誤って記憶しておりましたところ、ご指摘下さった方にお礼申し上げます)。



 そんな青二才な昔を思い出しつつ (→まぁ今も甲斐性無しのヲッサンです。笑)、行き交う単行~2連を撮っていたところ、あれ?デオ723のみHMが。そこで撮影後モニタで拡大してみたところ、けいおん!とは……ああそうか、近江鉄道に以前乗った際に非鉄なヲタが大集結していてびっくり仰天したアニメのことですなぁ。
 という私ははっきり申しましてアニメ・マンガ趣味に疎い人間ですので論評は差し控えますが、とりあえず載せれば喜ぶ方もおられるだろうということでアップしてみます (笑)。唯一最大の素朴な疑問としましては……何で女○○生学園モノなのに○ーラ○服にしないのかと (^^;)。
 そんなたわごとはさておき、最近は富士急6000系の惨状を見るにつけ、あの輩によるものでなければ何でも許せる境地に達していますし、そもそもこのように元の車体デザインはそのままに、シンプルな装飾でアニメと鉄道会社のコラボを宣伝するというのはなかなかスマートなのではないか?と思ったりする次第です。

洛北の細道・京都バス雲ヶ畑岩屋橋線

2012-02-20 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 全国に星の数ほどある路線バス。その全貌を全国版時刻表で知りうることは到底不可能ですので、翻って全国版時刻表に掲載されている路線は「路線バス界におけるエリート」と解釈することも出来るでしょう。勿論、それぞれの路線がどのような沿革で全国版時刻表に掲載されているのかは、まさにそれぞれの路線ごとの歴史的背景があるのでしょうが、ゆえに鉄道路線と同じくバス路線も国家や地域を取り巻く社会的変化を受けることになり、栄枯盛衰の末にひっそりと時刻表から消えて行くことにもなりかねません。鉄道路線や列車の廃止の場合にはそれこそファンや一般社会が飛びついて賑々しく注目を集めますが、バスの場合は結局のところ地元利用者を除けばごく僅かなバスファンが惜しむのみであることも、消えゆくバス路線の寂寥を倍加しているのかも知れません。
 このような消えゆく「エリート」バス路線は何も地方のローカル線に限ったことではなく、大都会にからむ路線といえども無縁ではないようです。
 神社仏閣がひしめき世界中から観光客が殺到する天下の京都の北には、たとえば叡電に乗れば一目瞭然な通りの鬱蒼たる美林が広がっており、ここに源を発する賀茂川水系は京都の一大水瓶となっています。のみならず、古来この一帯から産出される優秀な木材は御所や神社仏閣の造営に用いられたり、木炭が京都の民衆の生活を支えるなど、京都の都市形成と密接不可分であったことが知られており、したがって林業に従事する人々の集落が深い谷間に点在しています。そこで、京都市街からそのような山村に分け入るバス路線網が形成され、今日の京都バスとなっているとのことですが、時は移って林業が振るわず、集落は衰え、京都市街との往来もクルマがメインとなり……。このため、全国版時刻表にも掲載されている「名門」路線である雲ヶ畑岩屋橋線が間もなく廃止になるとか……。



 先日の京都出張にあたっては、折角撮り鉄する時間を確保していながら、折からのどんよりと暗い悪天候のため、思わず「一体何故……」と恨めしい気分になったのですが、そこでピーンとひらめいたのが京都バスの山奥狭隘路線乗りバスの旅 (笑)。時間の都合から、大本命の花背線(鞍馬から先、狭隘路を延々と走り広河原に至る約2時間の旅)は今後の楽しみにしておき、往復2時間程度で完結する雲ヶ畑岩屋橋線をチョイスして事前にネットであれこれ沿線の様子や道路の狭さをチェックしてみたところ……何と、この路線が3月末で廃止となる可能性大ということではありませんか……。中学生の頃から嵐電・叡電目当てで京都を訪問し、京都のバス路線マップに親しんで以来、ヒョロヒョロと山奥に分け入って行く雲ヶ畑岩屋橋線の独特な存在感に惹かれ、いつか乗ってみたい……と思っていた私は思わず吃驚し、これはますます行かなければ!ということで訪問決定です。
 そこで北大路13:30の便に乗るべく、まずは東海道線521M (185系) で小田原へ。さらに新幹線に乗り換えたところ、線路内立入のため一旦名古屋から先で運転見合わせとの告知が……。いくら京都で十分な乗り継ぎ時間を確保しているとはいえ、余り長引いたり乱れが大きくなると岩屋橋行に間に合わなくなってしまうではないか……とヒヤヒヤ(後で、恐らく300系目当てのクソ撮り鉄ヲタのせいだと知って激しい怒りが……。こんな輩は[以下自粛])。幸いにして私が乗った「こだま」は支障がなく、名古屋で乗り換えて京都に到着し、地下鉄烏丸線で北大路へ! 
 北大路では、さっそくバスターミナルをウロウロして岩屋橋行の乗り場を探したものの、いくら探しても見当たらない……。そこで市バス案内所で伺ったところ、5番出口から出て烏丸通の東側へ行けば京都バスの停留所があるとの由。うむむ……ここらへんも京都バスが市バスに比べて圧倒的にマイナーな存在であることのあらわれでしょうか (-_-; →かつては京都バスが市街地オンリー客の乗降を扱うことが出来なかったそうで)。というわけで、何とか無事にバス停が見つかりましたが、嗚呼……マジで早めに来ておいて良かった……(滝汗)。
 そしていよいよ13時30分、高野車庫から出庫して来た京福福井色の(京都バスは長らく京福子会社→いま京阪子会社)日野レインボー登場! シンプルで品位ある塗装と団扇印の社紋が、小粒な車体に実に良く似合っています……(*^^*)。
 バスは発車後、しばらくはごくありふれた洛北の市街地を走り、柊野分れで市原方面へのメインルートと分かれるといよいよ山が迫り、所要時間的にみて中間点にあたる山幸橋からは突如狭隘路へと突っ込んで行きます。一応小型バスということで、随所に現れるメッチャ狭いところもスイスイと進んで行くのはさすが!といったところですが、対向車にバックしてもらうごとにヒヤヒヤする……そんな狭さです。賀茂川源流部の清流を見下ろしつつ、今にも花粉を飛ばしそうな杉林の森の九十九折りをくぐり抜けて行きますと、ついに雲ヶ畑の集落が姿を現しますが、ここがさらに狭い! 家々の壁や石垣の間をやっとのことですり抜けて行くシーンはこの路線の最大の見どころかと思われます。
 というわけで、終点の雲ヶ畑岩屋橋に到着~。目の前にある小さな橋を含むT字路を使って巧みに方向転換した後は、発車まで約20分間の休息となります。そこで折角ですので、狭隘路を走っているシーンも撮りたいと思い、徒歩で2つ戻って「出谷」停留所へ。到着時に撮影した2枚目の画像からも狭隘ぶりがお分かり頂けるでしょう……(汗)。
 こんな感じで、洛北の奥深くへと分け入る小さな旅を味わったのですが、往路の乗客は私一人……。復路は街へ買い物に行く中学生4名+一般人1名が乗り、柊野周辺からも一般人数名が乗りましたので、完全空気&ヲタ輸送ということはありませんでしたが、この惨状では廃止もある意味でやむを得ないのでしょう……。とはいえ、緯度的にみて鞍馬よりも少々北にある雲ヶ畑集落は、市街地に出るにあたり相当距離があるのも事実ですので、完全廃止が集落の今後に大きな影響と与えることは必定でしょう。
 そこで、『京都新聞』Web版 (2/14付) が伝えるところによりますと、地域コミュニティが京都市の補助金を活かして独自にワゴン車を1日2往復(タクシー業者に委託)走らせることになるようです(保津峡駅から出ている水尾自治会バスと同様の手法?)。ともあれこの雲ヶ畑岩屋橋線、路線バス車両による運行は廃止となりますが、大きなバスターミナルもある地下鉄駅から割と短時間で圧倒的山村へ分け入る路線として希有で貴重と思われますので、ワゴンタクシーによる今後の運行がどうなって行くのか注目したいものです(乗りに行くかどうかはビミョーですが……先に花背線を制覇しなければなりませんので ^^;)。