全国に星の数ほどある路線バス。その全貌を全国版時刻表で知りうることは到底不可能ですので、翻って全国版時刻表に掲載されている路線は「路線バス界におけるエリート」と解釈することも出来るでしょう。勿論、それぞれの路線がどのような沿革で全国版時刻表に掲載されているのかは、まさにそれぞれの路線ごとの歴史的背景があるのでしょうが、ゆえに鉄道路線と同じくバス路線も国家や地域を取り巻く社会的変化を受けることになり、栄枯盛衰の末にひっそりと時刻表から消えて行くことにもなりかねません。鉄道路線や列車の廃止の場合にはそれこそファンや一般社会が飛びついて賑々しく注目を集めますが、バスの場合は結局のところ地元利用者を除けばごく僅かなバスファンが惜しむのみであることも、消えゆくバス路線の寂寥を倍加しているのかも知れません。
このような消えゆく「エリート」バス路線は何も地方のローカル線に限ったことではなく、大都会にからむ路線といえども無縁ではないようです。
神社仏閣がひしめき世界中から観光客が殺到する天下の京都の北には、たとえば叡電に乗れば一目瞭然な通りの鬱蒼たる美林が広がっており、ここに源を発する賀茂川水系は京都の一大水瓶となっています。のみならず、古来この一帯から産出される優秀な木材は御所や神社仏閣の造営に用いられたり、木炭が京都の民衆の生活を支えるなど、京都の都市形成と密接不可分であったことが知られており、したがって林業に従事する人々の集落が深い谷間に点在しています。そこで、京都市街からそのような山村に分け入るバス路線網が形成され、今日の京都バスとなっているとのことですが、時は移って林業が振るわず、集落は衰え、京都市街との往来もクルマがメインとなり……。このため、全国版時刻表にも掲載されている「名門」路線である雲ヶ畑岩屋橋線が間もなく廃止になるとか……。
先日の京都出張にあたっては、折角撮り鉄する時間を確保していながら、折からのどんよりと暗い悪天候のため、思わず「一体何故……」と恨めしい気分になったのですが、そこでピーンとひらめいたのが京都バスの山奥狭隘路線乗りバスの旅 (笑)。時間の都合から、大本命の花背線(鞍馬から先、狭隘路を延々と走り広河原に至る約2時間の旅)は今後の楽しみにしておき、往復2時間程度で完結する雲ヶ畑岩屋橋線をチョイスして事前にネットであれこれ沿線の様子や道路の狭さをチェックしてみたところ……何と、この路線が3月末で廃止となる可能性大ということではありませんか……。中学生の頃から嵐電・叡電目当てで京都を訪問し、京都のバス路線マップに親しんで以来、ヒョロヒョロと山奥に分け入って行く雲ヶ畑岩屋橋線の独特な存在感に惹かれ、いつか乗ってみたい……と思っていた私は思わず吃驚し、これはますます行かなければ!ということで訪問決定です。
そこで北大路13:30の便に乗るべく、まずは東海道線521M (185系) で小田原へ。さらに新幹線に乗り換えたところ、線路内立入のため一旦名古屋から先で運転見合わせとの告知が……。いくら京都で十分な乗り継ぎ時間を確保しているとはいえ、余り長引いたり乱れが大きくなると岩屋橋行に間に合わなくなってしまうではないか……とヒヤヒヤ(後で、恐らく300系目当てのクソ撮り鉄ヲタのせいだと知って激しい怒りが……。こんな輩は[以下自粛])。幸いにして私が乗った「こだま」は支障がなく、名古屋で乗り換えて京都に到着し、地下鉄烏丸線で北大路へ!
北大路では、さっそくバスターミナルをウロウロして岩屋橋行の乗り場を探したものの、いくら探しても見当たらない……。そこで市バス案内所で伺ったところ、5番出口から出て烏丸通の東側へ行けば京都バスの停留所があるとの由。うむむ……ここらへんも京都バスが市バスに比べて圧倒的にマイナーな存在であることのあらわれでしょうか (-_-; →かつては京都バスが市街地オンリー客の乗降を扱うことが出来なかったそうで)。というわけで、何とか無事にバス停が見つかりましたが、嗚呼……マジで早めに来ておいて良かった……(滝汗)。
そしていよいよ13時30分、高野車庫から出庫して来た京福福井色の(京都バスは長らく京福子会社→いま京阪子会社)日野レインボー登場! シンプルで品位ある塗装と団扇印の社紋が、小粒な車体に実に良く似合っています……(*^^*)。
バスは発車後、しばらくはごくありふれた洛北の市街地を走り、柊野分れで市原方面へのメインルートと分かれるといよいよ山が迫り、所要時間的にみて中間点にあたる山幸橋からは突如狭隘路へと突っ込んで行きます。一応小型バスということで、随所に現れるメッチャ狭いところもスイスイと進んで行くのはさすが!といったところですが、対向車にバックしてもらうごとにヒヤヒヤする……そんな狭さです。賀茂川源流部の清流を見下ろしつつ、今にも花粉を飛ばしそうな杉林の森の九十九折りをくぐり抜けて行きますと、ついに雲ヶ畑の集落が姿を現しますが、ここがさらに狭い! 家々の壁や石垣の間をやっとのことですり抜けて行くシーンはこの路線の最大の見どころかと思われます。
というわけで、終点の雲ヶ畑岩屋橋に到着~。目の前にある小さな橋を含むT字路を使って巧みに方向転換した後は、発車まで約20分間の休息となります。そこで折角ですので、狭隘路を走っているシーンも撮りたいと思い、徒歩で2つ戻って「出谷」停留所へ。到着時に撮影した2枚目の画像からも狭隘ぶりがお分かり頂けるでしょう……(汗)。
こんな感じで、洛北の奥深くへと分け入る小さな旅を味わったのですが、往路の乗客は私一人……。復路は街へ買い物に行く中学生4名+一般人1名が乗り、柊野周辺からも一般人数名が乗りましたので、完全空気&ヲタ輸送ということはありませんでしたが、この惨状では廃止もある意味でやむを得ないのでしょう……。とはいえ、緯度的にみて鞍馬よりも少々北にある雲ヶ畑集落は、市街地に出るにあたり相当距離があるのも事実ですので、完全廃止が集落の今後に大きな影響と与えることは必定でしょう。
そこで、『京都新聞』Web版 (2/14付) が伝えるところによりますと、地域コミュニティが京都市の補助金を活かして独自にワゴン車を1日2往復(タクシー業者に委託)走らせることになるようです(保津峡駅から出ている水尾自治会バスと同様の手法?)。ともあれこの雲ヶ畑岩屋橋線、路線バス車両による運行は廃止となりますが、大きなバスターミナルもある地下鉄駅から割と短時間で圧倒的山村へ分け入る路線として希有で貴重と思われますので、ワゴンタクシーによる今後の運行がどうなって行くのか注目したいものです(乗りに行くかどうかはビミョーですが……先に花背線を制覇しなければなりませんので ^^;)。