地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

中国東風4型のN模型化記念・瀋陽の赤亀

2013-12-15 00:00:00 | 中国の鉄道


 先日は「社会主義日本エレクトリーチカ」なる「史上最凶のケツ作」を完成させたことにより、師走のヘロヘロな脳内に自ら刺激を加えたわけですが (爆)、その一方では傑作な完成品をゲットすることによる幸福感を得たいと思うのも、所詮ブルジョア社会のドレイとして生きる小市民である以上、致し方のないところであります (笑)。そんな、ボーナスゲットで少々良い気分に陥っているヲッサンを狙った模型年末商戦の目玉といえるのは、KATOの飯田線旧国クモハ53であろうことは衆目一致するところでしょうが (恐らく、某N模型情報サイトにおけるKATOの年間最高傑作に選ばれること間違いなしでしょう!)、この先には大晦日直前恒例となった京急鉄コレも控えているわけですから、全く油断も何もあったものではなく、ただひたすら財布を固くガードしなければなりません。
 そんな折も折ですが、このたび個人的な超弩級の物欲大放出!の機会が到来することになりまして、呆気なく財布の守りが陥落決定……! 中国国鉄N模型の記念すべき第一号である東風4型・緑&オレンジ両バージョンをゲットォォォォ!!するはこびとなったのです (*^O^*)。



 これが出るという情報は、先月開催した「落花生。様歓迎・インドネシア鉄の宴」のついでに、いつもお世話になっておりますKucing様から伺っており、既に蒲田での毎年恒例模型ヲタ祭りにて試験的に販売がなされたようですが (私は富山に行ってしまったのでパスしたのですが、そんな隠し球があったとは……)、そこで「東風4・N火車模型」というキーワードでググッてみたところ (もちろん簡体字で入力)、うおぉぉっ!製造元メーカーの公式HPが出て来ました! Kucing様によりますとこのメーカーは、中国での潜在的な鉄道趣味市場に着目した台湾企業が中国に投資して工場を稼働させ始めたとのことで、Nについては究極の名車 (?!) である緑皮車YZ22の製品化が予定されているだけでなく、台湾の既存N模型メーカーである鉄支路模型が未だ手がけていない車両として台鉄DR2700を製品化する予定!! 公式HP(簡体字)の意匠もなかなか美しく、今後については大いに期待できます……。また、日本での販売体制の構築も進んでいるとのことですので、詳しい話が分かり次第お伝えしたいと思います♪
 まずは近日ゲット次第、改めてレポートしますのでお楽しみに~(楽しみにする方はほとんどいらっしゃらないことは百も承知ですが ^^;)。
 というわけで、そんな東風4型のN化を記念して、2006年の夏に瀋陽界隈で撮影した赤亀様の画像を掘り起こしてアップしてみます (1枚目→撫順駅。2枚目→瀋陽駅南側)。嗚呼……昔はこんな感じで線路用地内撮影もフツーに出来て良かったなぁ……と。(現在では都市近郊に限らず地方でも線路脇は柵で囲まれていますし、この御時世、日本人が撮っているとスパイ扱いされる可能性はゼロではないと思います……まだそういう話までは聞いていませんが)


 やっぱ誰が何と言おうと中国の客車といえば 硬 座 車 YZ22だろ!!……と叫びたい私は、80~90年代の中国バックパッカー旅行黄金時代の味を知るヲッサン (まぁホンネは、何時でも硬臥車YW22に乗りたかったのですが……^^;)。
 怪社で中国人の若手に「オレは昔、真夏に空調なしの緑皮車で、上海から延々と数十時間乗り続けたもんよ!」と言いますと、彼らは一様に顔面蒼白になり讃辞を惜しみません (笑)。今どきの中国の若者はヤワな独りっ子ばかりですので、そんな連中に日本との対決なんて出来るわけないのです。



 2006年頃、瀋陽~撫順間のシャトル快客(全国時刻表に載っていない!)に用いられていた緑皮YZ22は、乗車時間が短いのみならず既に高速バスに客を奪われていたため、車内は汚れようがなく……個人的に数知れず乗ったYZ22の中でも一番キレイな車内であったのを思い出します。キレイでありさえすれば、この椅子の座り心地も見かけによらずまぁまぁですので、フツーに長時間の乗車も出来なくもないのです。なお2006年当時、東北に残存していたYZ22の多くは二段窓化改造を受けておりましたが、撫順シャトル用編成は原型窓を保っていたため、とにかく懐旧と感動のショート・トリップでした (*^^*)。撫順駅の跨線橋も間違いなく満鉄時代そのままでしたし……。
 はぁ~それにしても、今やこの撫順駅にせよ、名物・撫順炭鉱電鉄にせよ、一体どうなってしまっているのやら。撫順の電車は利用客の壊滅的激減によって運休となって久しく、貨物のみ細々と続いているそうですが。

ヤンゴン熱鉄記 (27) DF1300急行客レ

2013-12-14 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 ヤンゴンで見られる鈍行・ローカル列車から今度は打って変わって、一応ミャンマー国鉄の花形と言っても良い急行列車です。既にこの連載の最初の方で、バゴーまで往復した際に利用したヤンゴン朝8時発のネーピードー行急行列車をアップしましたが、この列車が基本的に中国製罐・DF2000によって牽引されているのに対し、マンダレー又はモウラミャイン方面へ向かう大部分の急行列車は最近インドで製造されたDF1300によって牽引されています。塗装さえ変えればインドのメーターゲージでもゴロゴロ走っているこの罐、ベトナムのインド罐D13Eとも基本的に同一シリーズに属すると思われ、まさにインドがアジアのメーターゲージ・シーンに放った一大傑作と呼ぶべき存在なのでしょう。



 いっぽう急行列車の客車につきましては、たまに窓の四隅のRが目立つ中国製の二段窓車(北車・四方工場製)が連結されていることもありますが、基本的には80年代に日本の援助で一挙に300数十両投入された近車製の車両、あるいはそれを基本として、90年代以後韓国製部品を輸入して国鉄ミンゲ工場で製造した車両が主流を占めているようです。雨樋とシルヘッダーを省略した(その代わりに窓の上に細い雨樋がある)日本の旧客テイストの17m級客車という雰囲気で(但し跨線橋の高さの都合で屋根が低い……日本の中古DCが大改造を強いられるのもこのため)、結構親しみが持てるデザインですが、残念ながら車内はメンテ不足で、アッパークラス客車といえども相当ボロいです……。そのボロさに壮絶な揺れが加わり……(@o@)。まぁ取り敢えず、普通に客を詰め込んで、数百kmの道程を転がり続けることが出来ればそれで良し、ということなのでしょう。外観については高温多雨をカバーするために割と塗装に注意していることから(そして猛スピードで赤+クリームから茶+青帯+クリームに変更中)、辛うじて堂々とした風貌を醸し出すことにつながっているのかも知れません。

社会主義日本エレクトリーチカを作る (完)

2013-12-13 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 も~う幾つ寝ると~クリスマス~。まぁ私はキリスト教徒ではありませんので、単に世間一般の浮かれた雰囲気とならわしに従うに過ぎません。何でも目出度いものは祝ってしまう日本人。パーッと金を使って盛り上がればイイじゃん!……ということです。しかしそこで我に返ってみますと、自分自身は何のかの言って甲斐性のない孤独なヲタであることを痛感させられるという……。そこで、自分へのクリスマスプレゼントは自分で用意することによって、世間からすっかり浮き上がってしまった無聊を癒すより他ないのです (滝汗)。
 というわけで、余りにも屈折したドス黒い感情は、まさに極端から極端へと揺れ動き……神の世界から無神論の世界へ! (爆) 以前拙ブログが、鉄道趣味の新たな一ジャンルとして、ナンセンスの限りを尽くして世に問おうとした「史上最凶のケツ作」である「社会主義日本エレクトリーチカ」の製作が、約1年半ものあいだ完全に止まってしまっていたことを思い出しまして (爆汗)、ここに来て突貫工事で完成させた次第です。「クリスマスの本来の意義を逸脱した日本のチャラいクリスマスを打倒せよ! 指先をシコシコと動かす生産労働によって共産趣味と鉄道趣味を高度に結びつけよ! 実在を証明できないサンタクロースの恵みに頼ることなく、革命的なプレゼントを自ら生産して勝ち取れ!」ということであります (泣爆)。



 この酔狂なフリーランス電車の来歴を簡単に振り返ってみますと、まずは先頭車を1両、モスクワあたりの地下鉄車両のデザインにインスパイアされるかたちで、仮にもしも第二次大戦の結果として日本が分断国家になってしまったとしたら、社会主義化された側においてこんな車両が出現したに違いあるまい……ということで、GMの205系板キットをベースとして製作したものです。さらに、凶悪な風貌の非冷房6扉車を「労働者同志諸君のためにドアを増やして混雑を緩和し快適な通勤環境を提供する」もとい「輸送力の逼迫に加え資本主義列強の圧迫ゆえに十分な車両製作のための材料も確保出来ない中、労働者なんてものは党と国家のために無私の覚悟で働きさえすれば良い使い捨ての駒に過ぎないので、両数増という名の贅沢よりも超詰め込みの刻苦奮闘で対応する」という党中央の極秘方針に基づき、KATOサハ204から製作したという次第です (爆)。
 そこで、このような妄想力全開の勢いに乗って、早々に1編成6両程度を仕上げれば良かったのですが、何故突如長らく作業が止まってしまったのか……そこでつらつら思い出したのはとある悲劇……。順調に組み上がって目出度く塗装を終えた車体をガラス付きの本棚に並べておいたところ、父親が私の留守中に、その奥に並べてある時刻表のバックナンバー (数年前のもの……) を最新版と勘違いして無理矢理取り出そうとしたため、手前に並べていたボディがその瞬間にバラバラと落下……。帰宅してみると、単に落下したボディが本棚に乱雑に置き直されてメチャクチャになっていたのみならず、一部の塗装に深い傷が付いており、すっかり意気消沈してしまったという……。
 それ以来、他の車両に浮気するなどして放置することちょうど約1年 (汗)。今年の夏頃、まずは車体の傷をタッチアップで誤魔化すところから始め、うまく行ったところで最大のヤマ場、窓廻りのエナメル塗料塗りを実施し、クリヤを吹いてベンチレータを嵌めるところまで進めたのですが、その後また秋以降多忙のために放置 (汗)。しかしついに先日、「この先も妄想製作の候補は多々ある以上、とりあえずこれまでの宿題は済ませなければならない」と思いまして、忍の一字で淡々と窓を貼り、ついに妄想の極みの6連が完成!! とくに、前パンではないクハの雰囲気は、モスクワのボロい地下鉄車両の雰囲気にかなり近くなったな~と思います (*^^*)。本来205系ベースで作った車両でありながら、103系や205系と並べると全然遠い世界の車両に見えるという点でも、フリーランス製作によって超絶なナゾ車両を作るという趣旨に十分叶っているかなぁ~という気がします。むしろ、既に製作した撫順のジテやYZ31改造電車などと並べると似合いそうです☆
 とまぁこんな感じで、とりあえず長らくの宿題をやり終えた安堵感にも浸っております。「社会主義日本エレクトリーチカ」製作記はこれにてひとまず終了!! しかし……調子に乗って今後色違いや新系列or旧系列を作るべきかどうか。今回の出来は結構気に入っているだけに、いろいろと悩むところですね~(人生の悩みとは何の関係もないナンセンスな悩み……笑)。

播州鉄見聞2013 (5) 山陽電鉄3000系白

2013-12-12 00:00:00 | 都市民鉄 (近畿以西)


 JRW姫路駅にてクモヤ443との奇跡的な遭遇を満喫したあとは、台風18号直前の壮絶な蒸し暑さの中での激写ゆえにフラフラになりながらも、とりあえず「JRW・播州の103系詣で編」を終えて改札の外に出まして、陸橋から見下ろす神姫バスの怒濤の群れにオドロキつつ山陽電鉄へ! 大変恥ずかしながら、これまで40年以上生きて来た中で私鉄ファンを僭称しながらも、山陽電鉄は神戸側から須磨浦公園までしか乗ったことがなかったため (超滝汗)、この機会に姫路側から攻略し、少なくとも本線は完乗してやろうということです (^_^;)。しかしまぁ、大阪・神戸方面への直通需要のほとんどはJRWに持って行かれ、山陽電鉄の駅ビルは鄙びた雰囲気が漂っていることこそあはれなり……。



 まぁ実際には「もののあはれ」どころではないムレムレな暑さの中、とりあえず一刻も早く冷房車の車内に逃げ込もうということで、目の前に停車していた白3000系4連各停の超ガラ空き車内で至福の境地に……(*^^*)。山陽3000系、外観は国鉄東海型マスクに似せた雰囲気が実に好ましく、車内も未更新車であれば相鉄6000系を思い起こされる昭和30年代的テイストが充満し、個人的には非常にポイントが高い車両だと思っているのですが、他に浮気するばっかりに、なかなか訪問してやれなくてごめんよ……という気分です (←だったらもっと行けよ、と言われそうですが ^^;)。
 というわけで、僅か数分涼んだ後は (汗)、テキトーに沿線で目星をつけたところでカメラを構え、今までなかなか撮影出来なかった遺憾を晴らすべく激写したのでありました♪ とにかく死ぬほど暑かったですが……(@_@;)。撮っていて気づいたのは、更新車が僅かずつではあるものの確実に増えているな……ということ。まぁ更新車は内装がキレイで、直流モーターの味わい深い走行音はそのままですので、別に悪いというわけではありませんが、やはり山陽3000系に乗るなら未更新の方が嬉しいわけです、はい (^^;)。


第五ジャカルタ炎鉄録 (17) さよならメトロ7121

2013-12-11 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 現在、埼京線の205系を猛烈な勢いで輸入し、一刻も早い営業運転開始に向けて整備・試運転に邁進するジャカルタの鉄道シーン……。その勢いはまさに経済発展を続けるインドネシアの姿そのものですが、同時にしばしば鉄道というインフラは、速すぎる経済発展にいろいろな要素が追いついていないことを露見させる役回りにならざるを得ないようなところがあります。たとえば、頻繁運転になればなるほど、保安機器がそれに対応しているのか、無理な踏切横断や投石など鉄道を取り巻く人々の公共道徳がどうなのか、といった点をはじめ、挙げ始めればきりがないという……(まぁ線路内立入の日常化もその典型なわけで、線路内で撮り放題のヲタとしては余りエラソーなことは申し上げられませんが)。
 一昨日、そんな危惧が現実のものとなってしまいました。既にリンク頂いておりますパクアン急行様・落花生。様・Kucing様のブログや『じゃかるた新聞』Web版等で詳しく報じられております通り、スルポン=バンテン線のクバヨラン~ポンドック・ランジ間にて、メトロ7121Fのスルポン発タナ・アバン行が国営石油会社プルタミナのタンクローリーと衝突、脱線大破炎上するという大惨事に……。(とくにパクアン急行様のブログでは詳細な現地速報レポートあり)



 この結果、メトロ7121は正面が原型をとどめないほど大破・焼失したほか、各種ニュース映像では2両目の床下まで一時引火していたようです。また、運転士氏ほか数名が亡くなられたとのこと。御冥福をお祈り致します……。
 不幸中辛うじて幸いであったのは、日中のスルポン始発の電車ということで乗車率が低かったこと、そしてパクアン急行様も指摘しておられる通り難燃車体で客室部分の破損がほとんどなかったことでしょうか (まさに正面をクラッシャブルゾーンとして犠牲にし、客室を守った格好です)。もしこれがラッシュアワーであったら混乱は相当大きかったはずですし、とりわけ先頭車は女性専用車であることから、イスラーム的価値観に基づいて女性を守るべく日本の事例を参考に導入した女性専用車が逆に大量の女性の犠牲を発生させたということで、女性専用車の位置変更をめぐる議論が沸騰する可能性もゼロではないのかも知れません。
 というわけで、今年8月のジャカルタ撮り鉄記録、予定を変更しまして……7121の最後の活躍シーンをアップしてみたく存じます。この車両は全面ラッピングとなってしまったため、決して写欲が湧く車両ではなく (汗)、実際今回の訪問時にはこの車両との縁は薄く、まともに撮影した機会は少なかったのですが、とにかくジャカルタの鉄道シーンにおける事故の多さを考えるにつけ、来た車両は必ず撮るという方針をとっていましたので、今改めて「このような方針をとっておいて正解だった……」と思っているところです。
 なお、車両不足に常に悩むジャカルタの鉄道において、無傷な車両をこのまま放置するはずはないと思われますので、恐らくデポックで雨ざらしになっている中間車を活用した改造先頭車を用意して、新7121Fが出来るものと思われます。事故そのものは非常に残念ですが(とくに、東急車がもしそうなったらこの上ない悲しみが……)、どのような未知の展開が待ち受けているのか、引き続き注目したいと思っております。