地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

500万アクセス御礼・上田交通旧型車紳士録

2015-04-24 00:00:00 | 懐かし画像


 モハ5253。中塩田で折り返し待ちの間ひたすら戯れました……。



 モハ5371。元小田急車体ゆえ、個人的に5250よりもお気に入りかも。



 モハ5260。車内は非ニス塗りでイマイチでしたが、デカパンが魅力。



 モハ5270。5260と同じく元長電。稼働シーンは見たことなし……。

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 いつも当ブログをご覧頂き誠にありがとうございます m(_ _)m
 このたび当ブログは500万アクセスの大台に達しました。何となく備忘録を兼ねてブログを始めた当初は想像すらしなかった途方もない数字に、ただただ呆然とするのみでございます……。ここに至るまでは曲折もありましたが、まぁあくまで備忘録・個人的な撮り鉄の感想ということで、一切気負わずにやって来たからこそ、いつの間にか長続きしたのだろうと存じます。そして今後も、果たして何時まで続くか分かりませんが、あくまでこのスタンスのまま、画像と思い入れのみの雑文を載せて参りますので、お手空きの折りにご笑覧頂ければ幸いです。m(_ _)m

 というわけで、恒例の節目記念画像ですが、今回はこれまでも度々掲載しておりました上田交通昇圧前画像のうち、主力電動車の紳士録的なものにしてみました。
 最近、富技様におかれましては、鉄コレ10周年を記念する新製品を現在構想中云々という大本営発表をされました。そこでひそかに思うに、鉄コレの本義はマニアックでニッチな車両をお手頃価格でお手許に……という点にあると考えますので、その精神を体現した10周年記念品として是非是非何卒、《1986年の上田交通詰め合わせ・電動車フルコンプセット》(これに制御車も加わればなお良し!) をリリースして頂ければ、哀しい四十路のローカル電車ヲタのはしくれとしましては、鼻血失血多量興奮死モノのウルトラスーパー感動なのでございます……(^^;)。勿論、実際にはどのような企画となるのか知る由もありませんが、へっぽこ末端ユーザーが超妄想を自ブログで垂れ流すのもまた自由ということで悪しからず……(笑)。

 ちなみに、上田原での撮影にあたっては、事前に電車区事務所に挨拶し、記帳して許可を頂いております。かくも貴重なオールドタイマーが昇圧で全て廃車になるという衝撃的瞬間が約1ヶ月後に迫る……というタイミングでしたが、この日見かけた同好の士は他に2~3名ほどしかなく、上田原・中塩田・別所温泉のいずれでも超♪独♪占♪まったり撮影でした……(遠い目)。今このような電車がこぞって引退ということになれば、間違いなく大混乱寸前で、車庫はおろかホームでの撮影も厳しい情勢となることでしょう……。いや確か、野上電鉄の最後がそうであったと側聞しますが(90年代、私は非鉄)、上田旧型時代の最後から野上電鉄の最後までの約8年間の間に、世の中何が一体どうなってヲタ殺到ということになったのか……?

東武新特急車500系発表記念・100系「雅」

2015-04-23 00:00:00 | 大手民鉄 (東武)


 かねてから東武の特急車陣営は世代交代のウワサが絶えず、実際「急行」から「特急」へ格上げされた200・300系のショボさが目立っていたところでありましたが(とくに200系の狭いボロ椅子は特急料金取るものではないだろ……と)、昨日ついに公式HPにて、再来年=2017年の春から新形式500系・3両×8編成を投入する旨の大本営発表がありました! 車両デザインそのものは、委託デザイナー氏からしてあくまで既視感を禁じ得ないものがありますが (汗)、まぁ個人的には○トーカではなく機能性と快適性と趣味的なデザイン性のマッチングが秀逸でありさえすれば何でも良いと思いますので、とりあえず歓迎の意をここに表したいと思います♪



 それにしても3連8本ということで、大本営発表PDFファイルでも明記されている通り、臨機応変な分割併合を考えているのでしょうが、とりわけ以下のような狙いが大なのでしょう。
 *外国人観光客の東武特急利用による日光観光激増により、あまり下今市乗換を強いるわけにも行かず(荷物が少なめな日本人温泉客ならともかく、彼らはデカいキャリーケースやトランクをガラガラ引いているわけで……)、快速と同様に特急列車でも下今市分割の必要性が高まっている。
 *一度無くしてしまった会津田島行「南会津」も、4連ではなく3連ならまだ採算的にイケるかもと思案中?
 *宇都宮行に新栃木から先4両も要らないと思われるわけで、省エネ化。
 *一部野田線直通による野田線からの日光観光促進。
 *分割による葛生・伊勢崎行の増発を通じた佐野・伊勢崎民へのサービスUP。
 *貫通路がついているので……半蔵門・田都直通??……と思ったのですが、車体幅が広そうですのでムリっぽそう。すると、田都直通特急のウワサは一体……(S武の東横直通特急の方が余程リアリティがあるのでしょうか?)
 *しかし一方、将来は東上線にも配置することにより、秩父鉄道への直通列車が特急として復活する可能性もゼロではない??
 とまぁ、妄想も含めていろいろ考えられるわけですが、最終的にはフタを開けてのお楽しみということで、とりあえず既存の東武特急としておスペ「雅」をアップしております。個人的には、新おスペ色のうち、この「雅」が一番好きですね~。そういえば最近は、黄金色(とゆーかブロンズ色)のおスペも登場しましたとか何とか……。1800系や300・350系、そして634系も含めて、今後500系が営業運転に入る2年後までが、既存車をいろいろ撮りまくる楽しいチャンスということになるのでしょう。
 しかし個人的には……恥ずかしながらこの画像は約2年前の怪社若手社員研修引率で鬼怒川温泉を訪れたついでの画像 (滝汗)。以来、東武と言えば田都で撮っただけ……。多忙にかまけて「体内東武ん」が局限まで低下しておりヤバいです……。

北陸の消えゆく車両と色 (3) 急行色475系

2015-04-22 00:00:00 | 国鉄型車両


 北陸における3月の鉄道網激変と521系の全面投入により、455・475系は撤退してしまったのは周知の通りですが、とりわけここ数年来復活していた国鉄交直流急行色も運用から消えてしまったのは、時代の流れとはいえ残念なことです。
 個人的には、親戚などが交直流電車運転路線の沿線に住んでいなかったこともあり(とゆーか、親戚は神奈川・静岡に集中 ^^;)、交直流急行型全盛の頃は縁がほとんどなく、唯一乗った記憶といえば宇都宮から黒磯まで「なすの」455系運用の間合いか何か……という体たらくです。それゆえ、北陸でこの塗装が復活してもしばらくの間は「正面の幕窓が埋められているし、いまいちピンと来ないなぁ~」ということで、必ずしも気分的に盛り上がらなかったのですが、一昨年の7月に東急8590→富山地鉄17480を追っかけて富山を訪れたついでに北陸線でも撮影していたところ……レアもの故に来るとは全く期待していなかった交直流急行色が突如現れ、そのオーラに圧倒されてしまったのでした……。やっぱりどんな車両でも、旧塗装は復活してくれるだけで偉大で、雑誌などで眺める歴史的シーンを彷彿とさせてくれる……ということでしょうか。



 そしてこの復活色、富山を訪れたついでに高岡を訪れて万葉線を楽しんだ際にも偶然の出会いを果たしたのを思い出します。富山にて、何も考えずに金沢行に乗ったところ、目の前に停車しているとは……突然すぎて心臓バクバク (笑)。まぁ乗ってしまえば他の455・475系と変わらず、デッキ周辺がロングシート化されており、別に何かが特別ということはなかったですが、ホームからデッキに乗り込むまでの刹那、自分の体がローズピンク・ツートンに包み込まれて行くというこの感覚こそが、往年の交直流長距離急行の旅そのものであったわけであり、そんな遠い歴史的ひとこまを追体験出来たことは貴重な体験だったと言えましょう。
 そんな復活国鉄色編成も、今は松任工場の片隅に放置されている(早々に解体されていなければ)はずですが、正面の幕を復活させた上で、3両編成まるごと梅小路にて動態保存されれば良いなぁ、と思います (あのスペースからして、電車の動態保存などもやって良いのでは……?)。国鉄急行型電車が、過去数十年来日本の鉄路において果たしてきた功績は余りにも大きいはずですが、動態保存と言えばSLに関心が集中しがちで、電車の動態保存には世間の注目が余り集まらないのを寂しく思っております。そんな越えられない一線を、北陸で最後まで奮闘した455・475系が破ってくれるならば、JRWに対する拍手喝采も惜しまれないことでしょう……。

 ……こんなことをつらつらと妄想していた矢先、とんでもないニュースが! まさか、413系のうち1編成のみクハ455-701を相棒としていた編成が、今般のダイヤ激変による廃車の対象とならず、七尾線の茜色塗装となって出場したとは!! というわけで、依然として国鉄急行型車両は死なず、このクハ455-701が最後の一両として注目を集め続けることになるでしょう~。そしていずれはこの編成も交直流急行色となり(413系にこの色は初めて……という展開になるか?)、改めて多くのファンの注目を集めることになるのかも知れません。次回北陸を訪れる際には、個人的に超!手薄……と申しますか未訪問な能登半島だな、こりゃ (^^;)。

南武線205系、インドネシア行き正式発表

2015-04-21 00:00:00 | 国鉄型車両


 昨日、JR東日本公式HPにて、南武線205系120両のインドネシア正式譲渡に関するプレスリリースがなされました。既にインドネシア側における入札状況などから分かりきっていたことではありますが、改めて譲渡元からの正式発表がなされたということで、さらにジャカルタが205系帝国になって行くのか……と思いますと、2009年の初訪問時と比べて誠に隔世の感があります。正式発表がなされますと、しばらくしてぼちぼち新潟送りが始まると思われますので、恐らくは来月下旬以後徐々にジャカルタ入りを果たすことになるのでしょうか? 



 というわけで、6連20本がジャカルタ入りしたのちどのように編成替えが進むのか、具体的な成り行きが楽しみです。ジャカルタにおいて6連は最早使えない存在になってしまいましたので……(従来都営6連が入っていたマンガライ~ドゥリ間のフィーダも、8連でなければヤバい混雑ぶりとなりつつあります。タンゲランやスルポンも完全8連ワールド)。全編成を8連にするとなれば、一部編成は4+4となるわけで、たまにバラして4連となりジャカルタコタ~カンプンバンダン間のフィーダに入ることもあるのだろうか……と期待したくなるものです。
 それはさておき、今回はそんな南武線205系をアップしてみます。現在の南武線の運用はほぼ半分が205系、1運用が209系、もう半分がE233系で回っているようですので、今が南武205を撮り貯める最後のチャンスということになりましょう。

タイ国鉄・東本線鈍行の旅 (上)

2015-04-20 00:00:00 | タイの鉄道


 首都バンコクに古き良き頭端式の一大ターミナルを擁し、DLが昔気質の(日本人好みのデザインな)客車を牽引し、南北に細長い国土と首都を結んで走り続けるタイ国鉄……。しかし、そんなタイ国鉄が今後も変わらずに牧歌的な雰囲気であり続けるわけではなく、首都に関して言えばクルンテープ駅からバーンスー駅に拠点を移す構想があるほか(進展度は不明ながら確実)、未だ営業運転は始まっていないらしいものの中国罐の大量導入が始まり、客車についても中国製が間もなく100両以上入る予定であるなど(今回のロットは寝台車中心の模様。もし13・14レに依然として24系が用いられているとしても、中国客車の運用入りで確実に息の根を止められるはず……)、「ほとんど注目されてはいないものの、今のうちに味わえるものは味わっておけ」という状況となっています。さらにタイ軍政は、日本と中国を天秤にかけて、高速鉄道をなるべく有利なコストで造りたいと思っているわけで、10~20年というタイムスパンでみれば、首都の発展とは余りにも対照的に旧態依然としたタイ国鉄も大きく変わって行くのでしょう。 
 そんなタイ国鉄の路線網のうち、カンボジアに通じる東本線は、ポト派の苛政に由来する長年来のカンボジアの大混乱、タイとカンボジアの関係の宜しくなさ(とくにプレアビヘア寺院周辺をめぐる国境紛争)などもたたり、国境手前のアランヤプラテートで断絶して以来長い年月が経っておりました。プノンペンに通じるカンボジア側の鉄道も、国境のポイペトからシソポンまでは完全に不通、シソポンからバタンバンまでは稀に貨物のみ、バタンバン~プノンペンは混合列車が毎週1回のみ……という状況であったところ、山賊の出現による運休やら軌道保守の放置やらで、混合列車は完全運休となって数年が経ったとのこと……。



 しかしこのプノンペン~バンコクルートは、さらに東へ延ばしてベトナムのホーチミンシティ(城舗胡志明)、西へはミャンマーのダウェーへと結ぶことによって、東南アジア大陸部を東西に縦貫する一大物流ルートとして脱皮することが期待されています。勿論、既にハイウェイが明確に整備されつつある道路網に一日の長があるのは否定出来ないでしょうが、コンテナを大量輸送するならば鉄道にも商機があるわけで、とりわけ日本企業にとって、通関時間さえ短縮できればミャンマーやタイからの一大輸送路として有望株になる……云々と言われています。
 というわけでそのあかつきには、現在バンコクからカンボジア国境まで毎日2本の鈍行列車が走るのみの東本線も、激しく変貌を遂げることでしょう。あるいは、既に変貌が始まっているのかも知れず……。しかし少なくとも、旅客列車が日本製(一部ノックダウンでマッカサン工場製)旧客で走っているうちに、昔ながらの風情を味わっておくに越したことはありません。
 先日アップしました、クルンテープ駅のドーム下に佇む12・14系ラッピング車の姿は、アランヤプラテート行の東本線鈍行客レに乗るついでの撮影……(^^;)。アランヤプラテート行は早朝5時の時点で既に車内に入ることが出来、とりわけクッションが効く椅子を装備した車両から長距離利用のタイ人乗客で早くも埋まって行きつつあるため、12・14系を撮影したあと罐の連結シーンを撮影し終えるまでに、他の板張り座席車 (1950年前後に日本で製造)のボックスが埋まってしまわないかとヒヤヒヤものでしたが、5時半前に罐が連結され、しかも4100形DLのトップナンバーが本務機ということでガッツポーズ! その後も首尾良く、基本的に北側となるボックスをゲット! 一息ついたところで持参の菓子パンを頬張り、古き良きホームの雰囲気と徐々に混雑し始めた車内(発車間際に、カンボジアへと抜ける白人老若男女バックパッカーがワンサカと乗車……あんたら金持ってるくせに貧乏旅行好きやねぇ~。笑)をぼんやりと眺めつつ、5時55分の発車を待ったのでした (つづく)。
 
 ちなみに、クルンテープ発午後のアランヤプラテート行は日本製ディーゼルカーのTHN系で運転され、しかも4連ですので非常に混雑します(客レは6連)。客車鈍行で東本線を乗り通したい場合は、クルンテープ早朝発が唯一の選択となります。
 あと、この撮影は三脚不使用。フルサイズデジ一眼の高感度対応能力に感謝!