地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

神奈臨50周年・本牧の宴を思い出す

2015-07-14 00:00:00 | 貨物列車 (神奈臨)


 シキと海コンという組み合わせ自体が異次元の遭遇 (^^;



 シキ1000+ヨのシンプルな編成は、浮島線でたまに見られますね~。



 JRF特別塗装コキとシキが連結!



 本牧が余りにもアツかったあの一日を忘れない……。

---------------------------------------
 このたび三島のスイッチャー画像をガサゴソと漁ってみて、そういえば……ガチャガチャと連結されているタキの出発地であった千鳥町・末広町・浮島町を最近訪れていないな~という事実に思い至りました。仕事の都合でなかなか足が遠のいてしまった以上仕方がないですし、何と言っても車扱が無くなってしまって数年経ったのが痛い (-_-)。
 でも、それでも沸々と、神奈臨を追いかけ回す楽しさを思い出すわけで……。そこで、そういえば2年前の初夏に開催されて凄まじい人出となった神奈臨50周年イベント(@本牧)の画像のうち、アップしそびれたマニアックなシーンがまだまだあったのを思い出しました。嗚呼~、こういう滅茶苦茶な連結による晴れ舞台を、またやって下さらないものでしょうかね~♪

箱根登山の旧型車・梅雨の晴れ間を行く

2015-07-13 00:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 活発な火山活動が続く箱根の大涌谷は、残念ながら単純に地震が多く噴気が強いという状態を通り越して小規模噴火に至り、大涌谷界隈を通る箱根ロープウェイや伊豆箱根バスは完全運休や迂回走行を強いられているのみならず、箱根全体が危機的だというイメージが先行しすぎて客足激減という状況となっています。余りにも客がいないという状況は、4年前の震災以来なのではないかと……。しかし、警戒区域の外側では、箱根はあくまで平常営業! 私も先日、仕事の多忙の合間に半日少々時間が出来ましたので (夕方には都内で会議があったため、昼過ぎには戻らなければならなかったのですが……T_T)、ちょこっと箱根まで足を延ばしてきました。



 今回の主目的は鉄ヲタ活動ではなく、訪れた場所の都合上往復路線バスだったため、集中して電車を撮り貯めたというわけではなかったものの、全く電車を撮らずに帰るのも何だかなぁ~ということで、強羅駅近くでサクッと1~2本撮ろうと待ち構えていたところ、何と!やって来たのは金太郎108と釣掛サンナナの計3両という、思わず鼻血大放出の超豪華編成!! しまった……夕方の予定はキャンセルして、午後はこれに乗って何往復でも山を登り下りしてぇぇ~!と絶叫しそうになったのですが (^^;)、そういうわけにも行かず。とりあえず、サンナナ編成がいつまでも釣掛を温存しますように……そしてモハ1・2型が永続し、箱根の火山活動も下火になりますように……と祈りつつ、鮮やかな夏空の下を行く超豪華編成の撮り具合にガッツポーズしたのでした。
 それにしても、長年箱根に足を運んできた神奈川県民として思うに、少なくとも登山電車の沿線であれば、大涌谷から火砕流や噴石が飛んでくることはないわけで (ケーブルカー&ロープウェイの早雲山駅あたりは、下手をすると噴石は有り得るかも知れませんが)、関係機関が発表する情報に注意さえすれば十分フツーに楽しく観光できると思います……。しかし、これまでの折角の紫陽花の季節が低調に終わってしまったようですし (「夜のあじさい号」全面運休)、夏の緑がまぶしい観光ハイシーズンがこのまま人少な過ぎというのは勿体なさ過ぎる……。まぁ見方を変えれば、最高にくつろげる箱根を享受するのは、ある意味で今が旬、と強く思います。

ミャンマー国鉄の客車をつくる (1)

2015-07-12 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 久しぶりに手掛けているこの夏のGM板キットいじりのうち、スハフ42を短くした17m級客車につきましては、これまで成功するかどうか分からない海千山千状態でしたので「フリーランス」扱いしておりましたが、さらに作業を進めた結果、何とかそれっぽさが明確になって来ましたので、ここからは表題を改めさせて頂きます。ええ……既に慧眼な方にはバレバレでしたが (笑)、ミャンマー国鉄の日本製 (&日本ノックダウン)客車である「BDTEZ10400形」に似せたシロモノを作っているのでございます (^^;)。まぁそもそも、天地方向に幅が狭いドア窓はどう頑張っても再現出来ませんし、客室窓も1枚だけサイズが小さいのを再現するのを省略してしまっていますので、所詮はタイプに過ぎませんが、全長ではちょうどGM板キットのクモハ11と同じ (17m級) となっております。



 前回アップした段階では、雨樋とシルヘッダーを全て削った段階でしたので、今回はこの客車のキモである窓上とドア上の雨切り (?) をプラ線で再現し、さらにベンチレータ (ガラベン) と妻面のヒューズボックス (?) を設置しました。この窓&ドア上プラ線、本来でしたら断面が正三角形なプラ線があればベストなのですが、極細プラ線にそのようなものがあろうはずもなく (T_T)、結局0.25mm厚・0.5mm幅のプラ線を貼ってみました。出来れば、0.3mm幅以下であれば一層実感的なのですが……そんなものもヨドの模型コーナーでは見当たらず、思い切り妥協した次第です。
 そんなこんなで貼ってみた直後 (1枚目) の実感としましては……「嗚呼、やっぱりプラ線が太すぎて、雨切りではなくウインドヘッダーみたいになってしまった……失敗か??」と滝汗モノでしたが、その後屋根色である灰色9号をブワーッと吹いて全体的な仕上がりを確認してみたところ (2枚目)、ほぅ、なかなか悪くはないではないか☆
 いっぽう、かなり失敗したのが……側面のヒューズボックス (?)。1.2mm厚のプラ板を切り出して、プラ板側と車体側の双方に1mm口径の穴を開け、プラ丸線を噛ませて着実な装着を目指したのですが、当初「こんなもんかな?」と思って切り出した面積ならびに選んだプラ板の厚さが、余りにもオーバー過ぎて絶句……。そこで、接着後デザインナイフやヤスリで必死に削ってこの大きさにしたのですが、疲れた……。これくらいの厚さ・幅の太いプラ線を勝ってきた方がナンボかマシだなぁ……と猛省。
 とまぁこんな感じで、今後の量産 (爆) に向けた技術上の問題点も浮き彫りにしつつ、何とかサマになって来ましたので、次はいよいよ塗装です♪ しかし問題は、何色に塗るかですな……。一番カッコが良い現急行色を塗りたいのですが、10400番台は鈍行色の方が多いような気がするわけで……。あるいは、クリーム+朱色の急行色旧塗装であれば、RBEと同じ色につき、テキトーにRBT的存在として活用することもできるのですが……(実際には連結器の違いにより存在しません)。

鹿児島熊本鉄バス録 (15) 鹿児島市電600形

2015-07-11 00:00:00 | 路面電車


 去る1月末から2月頭にかけての鹿児島出張ついで鉄。青蛙引退という時節柄もあって、先に「出張ついで熊本プチ遠征鉄」の内容からアップして参りましたが、本来の出張先である鹿児島でもいろいろ撮っております。いやぁ何せ、鹿児島空港からリムジンバスに乗って中央駅前に降り立ちますと、そこにはめくるめく路面電車&ボロバスワールドが広がっており、何時間ここにとどまっていても退屈しない以上、空き時間のある限り撮らないわけには行かないではないですか……。
 というわけで一発目は、鹿児島市電垂涎の旧型車600形♪



 鹿児島市電は、住民目線で利用しやすいサービスに徹しているように見受けられ、昼間でもそこそこ頻繁に電車が現れ、しかもそれなりに乗っているということで御同慶の至りですが、その分だけ最新鋭の超低床車や連接車を導入し、古い日本の路面電車界に新しい風を吹かせる一翼を担っているのは周知の通りです。しかしまぁそれはそれ。頭の中が昭和で完全に止まっているヲッサンにとりましては、こういう如何にも昭和30年代気質な古典的(?)車両こそ何よりの御馳走です♪♪
 しかし残念ながら、いくら冷房改造されているとは言っても基本がボロい釣掛式電車であるだけに、主役はジャンジャン行き交うVVVF車に譲らざるを得ず、基本的にラッシュ時に動くのがメインで、昼間は本当にたまにしか来ません……。このため、昼間の空き時間に撮影しても全然撮り貯まらないことこそ悲しけれ。2枚目の画像に至っては、なかなか良いポジションを見つけて「早く旧型来ないかなぁ~。早くしないと完全にビル陰がかかってしまう」と肝を冷やしながら待っていたところ、確かにギリギリで車体に陰が落ちてしまっているような感じに……。ビルの谷間を走る路面電車を撮るにあたっては、ドピーカンなんかキライだ……と思う根暗野郎は私だけでしょうか (^^;

三島駅前の専用線スイッチャーを偲ぶ

2015-07-10 00:00:00 | 貨物列車 (臨海・専用線)


 先日、下土狩駅付近で撮った御殿場線313系をアップしましたが、そのあとはまだ少々時間がありましたので、サックリと三島駅へ移動 (早歩きで15分程度で着きます)。確か2007年のダイヤ改正までに運行が終了した駅前専用線の現状を久しぶりに確認してみることにしました。運行終了の最大の理由は、専用線の持ち主たる某工場で使用する燃料を重油から天然ガスに切り換えたことによるものでしたが、重油とともに神奈臨の浮島町または千鳥町から運ばれていたエチレングリコールも、重油と運命をともにして輸送が終了したのを思い出します……(今や両駅のエチグリ荷役設備は跡形もなく更地に……T_T)。



 しかし同時に、別の運行終了理由として、三島駅の配線の関係上、先に吉原まで行ったのち折り返して三島まで運ぶという手順が面倒臭い、とにかく車扱をやりたくないというJRFの方針もあったのではないかと……。そんなことを内心モヤモヤと思いつつ、いざ肝心の廃線跡に着いてみますと、何と! 遮断機も含めて完全な形で残っているではありませんか……(右下の「続きを読む」機能をクリック)。ちょこっと再生のための整備をすれば、何時でも復活させることも可能ではないかと……。もし専用線の持ち主がその気になれば、製品出荷や薬品搬入にコキを利用するべく復活!とか……?
 とはいえ一方で、三島駅に存在しない南北自由通路を建設するため、この専用線の新幹線トンネル部分を活用するというプランもあるようで、現状では将来構想が全く決まらないからこそ、運行終了以来8年を経ても放置されているということなのかも知れません。やはり、可愛いスイッチャーがウロウロする光景を新幹線駅の目の前で拝むという、ギャップがありすぎて楽しいひとときは、二度と戻って来ることはないのでしょう。