パンドラのふたを開けるとも泰西の国ではいうがね。
最初はいわずと知れた明治維新だ。じっくりと時間をかけて煮込んだので幸運にも恵まれて美味しい料理ができた。二番目が大正デモクラシーだ。デモクラシーとか自由とか言うのはふたを開けるというのと同義だからね。規制緩和とおなじだ。リフティング何とかっていうだろう。三番目は第二次大戦の敗戦後だ。
それぞれどんな料理が飛び出したかというと、何といっても明治維新だね。司馬遼太郎も明治維新しか理解できなかったくらいだ。なにしろ熟成期間がながい。1853年の赤鬼ペリーの来航から数えても明治元年までは15年ある。ペリーの来航はきっかけであって19世紀の初頭から西欧という強盗は日本近海にちょくちょく顔を出して日本を刺激していた。いや18世紀の末からと言ったほうが良いかもしれない。高田屋嘉兵衛なんてのもいる。日本の知識階級に衝撃を与えた事件、アヘン戦争は1840年清の貿易船が情報をもたらした。少なくとも幕末の動乱という地獄の釜がグツグツと煮えだしたのは1840年までさかのぼることには異論があるまい。明治維新に至るまでの混乱は日本全国の読み書きのできる町人を含めてあらゆる階級を巻き込んでじっくりと練りこまれたわけだ。幕末というのは全国的な規模の思想戦争期だ。第二次大戦後にくらべても規模が違う。
昭和二十年に急造した真鍮の釜にアメリカ民主主義というレトルト食品の半製品をぶち込んで加熱しただけとはわけが違う。ところで本屋にいくと幕末、明治維新の本は山とある。終戦後のことを扱った歴史書もわんさとある。満州事変後終戦までの期間のものも結構ある。もっとも、ほとんどは戦記という形だが。
そこへいくと、大正時代の本はほとんど、いやまったくない。大正時代が分からなくてなぜ明治の栄光が終わって激動の昭和になっていくかは分かりはしないのだ。歴史家諸君、評論家諸君のうかつにしてうろんなことにはあきれるばかりである。さすがの司馬遼太郎も大正時代の重要性には思い至らなかったらしい。
そこで次回以降何回か、二回目のかまゆでのことを取りとめもなく、順不同に書いてみる。小見出しを色々と考えているところだが、俗受け(反発かな)しそうなところをひとつ、
『三島由紀夫は天皇ストーカーだ』