皇室典範改正論議に思う。ファームの重要性
皇室典範に関する有識者会議というのが結論を出したらしい。今後どうするんだろう。まず閣議で取り扱いを決めてから法案を提出するのだろうか。
まさか、このまま出すことはないだろうね。最善の処置は『聞き捨て』おく事だろう。皇室の伝統、現在の皇室典範から大きく隔たるだけでなく、現在の日本家庭の伝統すら踏み越えて大きくはみだしてしまうという案だ。立法化する連中は将来大きな責任を負うことになろう。
有識者会議なるもののメンバーを見ると歴史家は一人しかいないようだ。それも古代史の笹山教授だ。ギリシャ文学の専門家もいるね。面白い。緒方貞子さんもいる。国際政治の実務家という位置づけか。座長の吉川氏にいたってはロボット工学専攻だそうだ。見方によっては不敬のいたりだ。10人のうち女性は二人、これは少ないといえるかもしれない。にもかかわらず、出てきた結論はずいぶんと先走りしている。いずれにせよ、メンバー構成には首をひねる。
なによりも先に、『有識者会議』という胡散臭いものにガス抜きのためか、まる投げするのは感心しない。この印籠が目に入らぬか(=ありがたい有識者会議の結論にさからうのか)とやられてはかなわない。立法者は自分の責任で法案を作るべきだ。選挙を通して国政を委託したものではない「有識者」、メンバーの選考過程も一部官僚や政治家のさじ加減で決まる『有識者』を政策決定過程にいれる悪習は卒業したい。
大体、皇室のよってたつ基盤をどう捉えるか、そのあたりから議論を積み上げていくようにはなっていないようだ。もし、そうならあんな結論は出ないはずだ。分かりやすい言葉で言えば天皇制は血統が基礎概念である。万世一系の男系という規定の仕方は血統をどう捉えるかという自覚が明確である。女系とする考えかたなら、はっきりと第一原理として明確にすべきである。有識者会議の結論はどちらでもない。その時の安易なご都合主義の連続で血統概念は時とともに取りとめもなく拡散してしまう。
恐れ多いことながら、名馬の血統と比較してみる。名馬のふるさとであったアラブ諸国では名馬の血統は女系を基礎としてファームを管理する。17世紀にイギリスが名馬を買いに来ても彼らは絶対に名馬の基礎ファミリーを形成する牝馬(女系)を売らなかった。うったのは牡馬(男系)のみである。サラブレッドの三大始祖といわれるアラブ馬はみな男馬であった。それにイギリスで馬車馬をしていた牝馬を交配して品種改良をしたのが現在のサラブレッドである。
血統に基礎をおく場合、常に念頭におくべきはある程度大きな規模のファームの重要性である。かっての華族制度は重要なファームの役割を果たしていた。またまた競走馬の例を引いて恐れ多いことであるが、長い間の血統表を見ると、男系にしろ、女系にしろ、どんなに子沢山の繁殖力の強いファミリーでも数代たつと系統が途絶えるものである。これは生物学に共通の原則らしい。したがって、常に一定規模のファームを維持して系列の血統を残すようにする。先日、三笠宮殿下だったか、側室を置くのも一案といわれた。ファームを維持するためには合理的な方法である。
ここでいきなり北一揮というのも飛躍であるが、彼の国家改造法案の一項に華族制度を全廃するとあるが、これは北の無知をしめす。同時に彼が天皇を、天皇制という強権を利用して(憲法を停止して)国家改造を行うさいの葵の印籠ないしはデウス・エクス・マキナとしか見ていなかったことを示す証左である。
華族は皇室の藩屏といわれた。しかるがゆえに北一輝はその廃止を主張する。華族制度でなくてもよい。しかし何らかの血統保持制度、すなわちファームが必要である。それすらも嫉視するが如き狭い了見、余裕のない狭量な国民では皇室制度は保持できない。
それは文字通り藩屏である。言い換えれば衣装である。ハダカの王様を国民が敬慕するだろうか。衣装哲学が必要な所以である。貴種を貴種たらしめるのは血統であり、衣装である。