白鵬の千秋楽の二試合には失望した。昨年琴欧州と朝青龍が優勝を争った相撲について『朝青龍の汗』という文章をブログに書いた。本文の末尾に採録しておく。二度目である。これは明らかに意図的な八百長、不正試合である。行司なり、四人もいる審判は注意しなければならない。
制限時間が来たら上体に発汗のある力士にはタオルで汗を拭くように注意しなければならない。制限時間前にたつこともあるから、仕切りの途中でも発汗が甚だしい場合は途中でもタオルで拭くように注意しなければならない。ボクシングでもレスリングでも発汗にはレフリーが注意してタオルを使うように命じている。公正な試合のためである。
モンゴルやトルコのレスリングでは体に油を塗ってやるらしい。それはそれでいい。技や戦い方もそれに合わせて発達してきた一つの体系だからだ。だから最初から組んだまま試合を始める。しかし、相撲では汗で手や体が滑れば意味をなさなくなる技が多い。雅山が得意とするツッパリ、のどに両手を当てて突き立てる戦法は全く通用しなくなる。ぶちかまし、かち上げ、おっつけなどは効果がなくなるだろう。ぶつかり合ったとたんに手や体が滑って横向きになってしまう。そして相撲の面白さはこのような技を交換する立会いの妙にあるのではないか。
白鵬と雅山の優勝決定戦のビデオを見れば分かるが、白鵬の喉から胸は大量に発汗している。これでは雅山が昨日のバルトや本日の朝赤龍にみせた威力のある突きはできない。今日の試合も喉ツッパリの効果がなくすぐに組みとめられてしまった。それにしてもその後雅山はよくがんばった。よほど調子がよかったのだろう。
末尾に採録した『朝青龍の汗』でも書いたが、昨年の朝青龍も今日の白鵬も支度部屋で異常とも思える過度のウオーミングアップを行っている。発汗を促すためである。本日の白鵬は係りから入場を催促されてもぐずぐずと四股の真似をしていた。これは効果的である。特に優勝決定戦では土俵下であまり待たないから仕切りの終わりごろにちょうど発汗がピークに達する。その意図的なことは犯罪と断じても差し支えない。
異様だったのは、今日の支度部屋で部屋の親方ではなくて、旭鷲山がひそひそと白鵬にコーチしていたことだ。明らかに昨年の朝青龍の戦法を伝授していたのだ。私は元来相撲の自由化論者であり、モンゴル勢の活躍を楽しんできた。朝青龍が礼儀を知らないとか、しきたりを無視するとマスコミで非難されるのを冷笑してきた。そんなことはどうでもいい。
しかし、この問題は見逃せない。発汗を利用するのは犯罪である。しかも、発汗を利用する手を再度用いるとなると、何らかの対策を相撲協会にたててもらわねばならない。スポーツのフェアプレイに反する根本的問題である。プロだから、優勝の行方は大きな金の流れを作る。正に作為した犯罪である。
決定戦の前のバルトとの対戦で変ったのも感心しない。相手は前頭11枚目だろ。ああいう駆け引きは下の力士が、かないそうもない上手に試みるのは許されるだろう。また大関同士で実力が拮抗していれば変化も許されよう。
今回の白鵬の優勝は不正で無効というべきだろう。また相撲美学の観点からみれば醜悪そのものであった。
* 昨年9月のブログ採録はじめ
朝青龍の汗
相撲協会は朝青龍の汗を黙認しているらしい。営業上の配慮であろう。相撲協会が財団法人の特典を受けていなければ余も黙っていただろう。
テレビの画面でもはっきりと朝青龍の胸に汗が球をなしているのが見えた。優勝決定戦の前の両力士の様子をNHKのカメラが追っていたが、琴欧州は緊張のためか控え室にカメラを入れず、付け人が部屋の外をがっちりとガードしていた。
一方、朝青龍は珍しく盛んに鉄砲をしたり、四股を踏んでいた。その前の栃東戦があっけなく終わったのでウオームアップが必要だったのかもしれない。それはいい。立会いの前になってタイミングよく汗が噴出してきた。
問題は立会いの前に横綱がタオルで胸の汗をぬぐわなかったことである。体の汗をぬぐうのは相手に対する礼儀でもあるが、公正な試合を担保するためでもある。さもないと体に油を塗って勝負するモンゴル相撲やトルコ式レスリングと同じになる。突きや体がぶつかったときに滑って不利が生じる。
土俵下の審判か行司が注意すべきことであろう。まま、こういうことがある。そうして大体において横綱とか大関のような上位者が汗をそのままにすることを黙認する。仕切りの手つき不十分を黙認することも同然である。大相撲の伝統であろうか。相撲協会が節目節目で演出を行うことは明らかである。興行というシステムによっているかぎり止むを得ないことであろう。
さて、この場合相撲協会はどちらに勝ってほしいか。出来れば両方勝たせたいのが協会の親心であろうが、そうもいかない。
琴欧州は今場所すでに大記録を達成している。新関脇で12連勝という前人未踏の記録である。優勝すればさらに入幕7場所目で優勝という大記録を立てる。これも相撲人気のためには欲しいだろう。
一方、横綱が勝てば、六連覇タイ記録が生まれ、さらに来場所優勝すれば7連覇新記録という相撲を盛り上げる格好の話題が出来る。それに、年間六場所完全制覇という大記録も生まれる。琴欧州の未来はまだまだあるということを考えれば、ここは横綱にかかった記録を優先したいだろう。
余は積極的な八百長や陰謀があったと言っているのではない。暗黙の、消極的な黙認、汗をそのままにするという、があったということを言っている。責めても始まらない。これが日本の社会であり、相撲協会でもあるのだから。
追記:今朝のテレビで大鵬親方が言った。<強いものが勝つのが相撲の発展、人気のためには良いことだ> 補足 強いもの = 横綱 なら理想的だ。また大鵬は横綱の来場所も優勝して7連覇の記録を立てることが大切だ、とも。要するに、<拭わぬ胸の汗>は横綱に与えられたささやかな特権の一つであるということ。強いものにプラスハンデがつくということが競馬とは逆だ。悔しかったら横綱になってみろ、ということ。横綱のインセンティブ。まさに番付が一つ下なら虫けら同然の世界だ。それでこそ、ハングリースポーツの雄たりうる。
昨年のブログ採録おわり *