現在の厚生省の組織図を見ると、復員事務を扱う独立の部署はないようだ。戦後61年復員事務もなくなったのかもしれない。扱うとすれば社会援護局あたりか。
靖国神社への合祀資格者の名簿を提出していたのは厚生省の復員局であったらしい。その前身は第一復員省(陸軍)と第二復員省(海軍)であろう。もっとも終戦直後の大混乱と膨大な復員事務で靖国神社への合祀リストを作っている暇はなかったであろう。さて問題のA級戦犯の合祀リストを作成したのはその厚生省の復員局の事務方であったという。すべて旧軍人(軍事官僚)であったということだ。
官僚の「仲間てんこ盛り」は現在の行政改革をめぐる喧嘩を見ても明瞭である。合理的な事務処理などは期待できない。WIKIPEDIAの「松平永芳」によると、A級戦犯合祀を松平に勧めたのは元最高裁長官の石田和外だったそうだが、かれは松平の同県人(福井)だ。
ここにも東北北陸諸藩(維新の負け組み)のアフィニティが見出される。薩摩や長州が「関が原の恨み」をいえば、徳川恩顧の弱小藩は「明治維新の恨み」つまり「戊辰戦争の恨み」をいうわけだ。招魂社(靖国神社)には戊辰戦争の賊軍「徳川方」の戦死者は祭られていない。こんどは何が何でも、というわけだ。
当ブログでは東条英機に対する批判を多数掲載してきたから、合祀問題についてはどう考えているのかと思われた読者もあるだろう。しかし、この問題は書きたくなかった。あえてシナ、半島を利するようなことは言いたくなかったわけである。
それとクズ屋から古紙を拾い集めてくるような文芸春秋、日経、朝日の入手経路の胡散臭い平民出身の侍従たちのメモやら日記の記事がひょくひょく飛び出してくるのを苦々しく思っていたからである。