東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

益満の死に方

2008-01-17 09:54:42 | 篤姫

今日「益満休之助」で検索したらウイキペディアが出てこない。削除したのかな。削除することもないのに。すこし言い過ぎたか。

今日はウイキペディアのポジティブなところをほめようと思ったのに肩透かしだ。だからこれから書くことは現在インターネット空間にはないかもしれないが、話は通じるように書くから心配しなくてもいい。

ウイキペディアの記事で面白いと思ったのは、休坊が江戸でテロ活動をしていて、幕府につかまっていたというのだね。この話は始めて聞いたが、本当とすると面白いので、以下本当という前提で話す。

江戸無血開城という「美談」がある。美談の例にもれず、胡散臭い作り話が伝えている可能性がたかい。西郷隆盛と幕府使節山岡鉄舟が静岡だかで会談したという話だ。会談の段取りをつけたということだったかな。たしか品川会談というのもあったようだ。

この山岡が西郷に会いにいったときに、幕府は捕らえられていた休坊をつけたというのだ。官軍の勢力圏にはいれば益満は今度は山岡の護衛役になる。これは「はったり師」勝海舟の芸だね。

これは西郷と勝の腹話術だが、9.11テロの中心人物をビンラディンに送り返すようなものだ。普通は「タマ」として離さないものだが、勝はあえて返した。これは「なんでも知ってるよ」という究極のおどしでもある。あるいは益満と同じくらい重要なテロリストを幕府は押さえていたのかもしれない。

もし、無血開城を認めないなら、西郷のテロ活動を大々的に糾弾し(外国にも)、幕府も徹底的に交戦するという意思が隠されている。

実際、勝は町火消しの親方、新門辰五郎に命じて江戸中に放火する準備を進めていたと言われている。江戸を火の海にして江戸に入ってきた倒幕軍を地獄の中に叩き込むという含みだ。究極の自爆テロだね。体制側の。

新門辰五郎というのは火消しであり、とびであり、香具師であり要するに仕事師である。また侠客でもある。良性腫瘍ということばがあるから、良性ヤクザといってもいいだろう。ただし別格である。なにしろ娘は将軍のめかけだし、最後の将軍の警護を勤めたりしている。

勝は言外に益満の西郷による処刑を示唆していたのだろう。勝にとっても、西郷にとっても彼が後世まで生き残ってはせっかくの美談も台無しになる恐れがあるからだ。

休坊は維新後も生き残っていたらしい。翌年明治元年の5月、益満は上野の山に立てこもった彰義隊の掃討戦に狩り出される。実際に上野戦争の帰趨を決したのは現在の東大構内の高台から発射されたアームストロング砲による破壊的な砲撃であったらしいが、なぜかこの攻撃は戦争の最後になって実施された。

普通の戦闘ではまず砲撃によって敵を粉砕し、そのあとに歩兵が進んで敵を掃討するが、上野の場合は逆だった。総指揮を執ったのは西洋の戦術に精通した大村益次郎だ。このセオリーを知らないはずがないのだが。

まず今の御徒町あたり(黒門町)で凄惨な白兵戦が行われたが、ここには薩摩の兵力が当てられた。そしてほとんど戦死したらしい。戦死したと言われる益満はこの辺で死んだのだろう。そして、ほかの西郷の手先のテロリストたちもここを死場所に与えられたにちがいない。

なお、益満の戦死の詳細な公式記録は薩摩藩の記録にはない。薩摩藩は「久光公資料」というのがあって、鳥羽伏見以来の戦死戦傷者を細大漏らさず記録して残しているが、益満の名前はどこにもない。

小説、稗史のたぐいも存在しないようだ。