東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

直木賞の市場性と南国太平記の市場性

2008-01-27 07:44:40 | 篤姫

直木賞は三越の包装紙くらいの効果があるらしい。一方南国太平記はマーケットで見かけない。もっとも直木三十五の小説というのはなべてまったく本屋にはない。小説として拙劣ということだろう。古本屋や図書館にはあるのかもしれないが。

南国太平記が再版されないのは、それ以外にも言論自主統制の意味合いがあろう。つまり出版社が勝手に自主規制している可能性がある。平成の御世は女学生のような自己検閲の最盛期である。大日本帝国の最盛期、検閲があり、治安維持法が支配していた時代よりも言論統制がカッチリしている事態は笑止というほかはない。

皇太子妃の実家のスキャンダルをエログロ風の筆致で書いた小説など新聞や週刊誌でははなから掲載しないだろう。その一方で日本語を不自然にゆがめる言葉狩りなる悪習が悪臭をはなっている。一言で現代の風潮を覆えば「狂っている」ということだろう。

南国太平記が書かれた昭和5年、昭和初期は現代とよく似ているんだけどね。大正バブルがはじけた。町はエログロナンセンスおおはやり。モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)なる言葉があり、奇矯な風体をした若者が町をおおう。政府は軍縮をしようとする。軍縮というのは最大の官僚集団である軍隊の縮小ということである。いまでいえば行政改革である。つまり今の厚生労働省などの役人が職業軍人にあたる。

この軍縮に反対する軍事官僚が政府に不服従の抵抗を行う(満州事変、シナ事変拡大、515,226事件)。経済は恐慌である。平成の現代とかわるところはない。唯一の違いは、現代では言論の「おりこうさん自己統制」がおこなわれていることである。