解読不能な言葉を作り出すのは、日本語の特性である。大和言葉に中国文字(漢字)を当てはめた、よく言えば柔軟な文化、悪く言えば主体性のない文化を言葉の中の持っている。
最近はKYが「空気読めない」という、流行語になるのかよく解らない言葉、言い回しが盛んに見受けられる。ローマ字にするところが、何とも女子高校生らしいが、使われ方を見ると情けなくもある。
KYは、周辺で起きていることを無視することのように思える。周辺に気を配れということかと思うと、そうでもないらしい。誰かが、主体的なあるいは独創的な意見や行動をすることを揶揄することのようである。
大衆に埋没しろと言うことであろう。獣医師の実習生が来るが、彼らを見ているととても優しく従順である。教える方が厳しくできないほど、こちらの意見を良く聞いてくれる。
主体性が無く、反骨精神に欠け、独創的な発想も少なく、いつも周辺を気にする若者たち。KYからはそのような姿が浮かび上がる。
若者文化にもこの国は弱い。「それは古い」が、良くないこととほぼ同義語で語られる。古いことを誇りに思い、周辺に気配りしない独創的なことを「温故知新」というが、それを認めないようである。
政治の世界でも、KYと呼ばれてマスコミに非難されることもある。指摘された政治家は、懸命に空気を読もうとする。私はKYですと、主張する者はいない。何かおかしなKYなマスコミ報道である。