汚染米が公然と流通したことで、世間は今大騒ぎである。農業には門外漢の太田農水大臣が、「大した量でないから、ジタバタ騒がない」と言ったりしたり、政務次官が「農水省に責任はない」と、まことにのんびりした無責任な連中の発言である。
かつては、主食のお米を流通させるにはそれなりの評価が必要であった。小泉・竹中の構造改革は、もうけ主義の連中の参入を許してしまった。食物を市場経済に委ねたのである。経済至上主義者には格好の儲け話である。それでも、流通に関与した300社の名前を公表するようなので、これは評価したいと思う。
しかしながら、ことの本質はそうではない。健全な形の輸入品であれば、汚染米や腐敗したりしたものは、輸出国へ返還されているはずである。なぜ返すことができなかったのか。
一つは、ミニマムアクセスでどうしても輸入しなければならない「お米」だからである。何としても買わなければならないからである。突き返したところで、同量を輸入しなければならない。
しかもそれを管理するのが、農水省というお役所である。輸出国へ突き返すよりも、国内処理の方が安易で波風が立たなくて済む。処理してくれるところがあれば、ありがたいという感情まで働いたようにも思える。
国内の流通した汚染米などで、三笠フーズは10倍もの値段にして売っていると、報道は彼らが儲けたことに熱心であるが、市場価格を下回る値段で売ると、出所が追及されかねないので、これは当然の行為である。儲けたことが悪いのではない。
ミニマムアクセスで、どうしても輸入しなければならないお米に、ロクなものがあるわけでない。本来であれば、これを機にお米の国内消費の在り方などを問う論議になって欲しいところである。ミニマムアクセスが不要だとどうしてだれも発言しないのだろう。国内生産でまかなうようにするべきだという方向に論議が行かない。
食の安全には、国内自給を高めることが最も本質に関わる論議となる。食の安全を、不正防止の、取り締まり方だけで論議するのはどう考えてもおかしなことである。