田中角栄が日中国交正常化をしてから、ややしばらくの間の日中関係は極めて良好であった。知人の多くの人たちも、文化大革命で停滞していた中国に、様々な援助をしていた。1980年代の中国で最も人気のあった歌手は“山口百恵”であったことは、記憶からかなり遠のいた。更に、最も人気のテレビ番組は”おしん”であった。
この時代に中国を訪れた人たちは、誰もが熱烈歓迎を受けたはずである。日中友好、一衣帯水と乾杯の杯を何度も重ねたものである。なんだか何処でもニコニコして、経済発展を遂げた日本人はある種羨望の眼で歓迎されたものである。それが今は、何かあるとすぐに反日デモが起きる。いつからこんなことになったのだろう。
ことの起こりは、天安門事件である。1985年に就任したソビエトのゴルバチョフが行ったペレストロイカを受けて、胡耀邦総書記が「百花斉放・百家争鳴」と唱えて、言論の自由を推進したのである。これを鄧小平が共産党独裁にならないと反対し、胡耀邦を失脚させ李鵬を後釜に据えた。これに反対して起きたのが、この間に急逝した胡耀邦追悼集会を拡大し、大きな事件になったのが天安門事件である。
その後は中国共産党は、ナショナリズムを大きく打ち出したのであるが、その踏み台になったのが日本である。その後都合のいいことに、日本の国粋主義者の小泉純一郎が首相になって中国との関係は、極端に悪化した。小泉だけの責任ではないが、中国はこれを上手くナショナリズムの高揚に利用した。
鄧小平の意向を受けて、江沢民が国家主席になり少数民族の制圧と、改革開放が一層推進されることになる。今日に経済発展の基礎を築いたのである。この時期に教育を受けた世代が、今日の反日運動の主体となっている。彼らの反日運動は、国家体制に向けることのできないもどかしさの表現でもある。
又格差を大きくしたこの時期生まれた子供たちは、「80后(パーリンホー)」と呼ばれ、資本主義体制の恩恵を大きく受け入れた、新世代の出現ともなっている。80后は新しい中国の最先端技術やファッションそれにメディアにと、全く新しい世代として中国を動かせている。
こうして見ると、中国の反日感情など文化大革命に比べれば今の動きなど、大したことはない。彼らはいずれ気が付く時が来ると思われる。今日上海万博の閉幕に当たって、温首相が毎日通った日本の女性山田久美代さんの名を挙げて称賛している。中国の日本への新しいアプローチとも見ることが出来る。前原は無理としても、政府にこのシグナルを判断できる人物がいるかどうかである。
左のフォトアルバムに<晩秋の風連湖>をアップしました。