今回の菅内閣のTPP協議参加で、食料の安全や自給率それに地産地消など農業の基本が、どこかに飛んでしまって、全く論議すら起きない。地球温暖化対策を口にする閣僚も国会議員もいない。先日まで書いたように、農業は本来風土に育まれた地域のものである。伝統や文化と呼ばれるまで時間はかかるが、育まれた多様な農業形態にはそれなりの理由がある。
農産物=食料が世界的な交易産品あるいは戦略物資となったのは、それまで風土が育んできた農業形態を大きく変えたからである。特にヨーロッパ人たちが、新天地に入り産業革命で成し遂げた圧倒的な機械で、広大な土地で大型農業を始めたことがないよりも大きい。世界の穀物の価格を先導するのは、アメリカやオーストラリアであり、時としてブラジルなどである。日本の農業を先導するのが、北海道であるのも同じ理由からである。
それまで住んでいた民族は今では少数民族となって、文化や文字や言葉や宗教それに土地までが奪われ、経済活動から外され細々と生きているだけである。ヨーロッパ人たちが近代になり国家を規定したが、国土や法律を持つことが条件とされた。そして国境や宗教や言葉や民族がそれらを形あるものにするとした。土地を私有化したり、成文化した法律や権力体制を持たないことが、多くの先住民の伝統であったがヨーロッパ文化は認めることがなかった。イスラム社会も、近代国家の定義から外れるものがかなりあり、これが彼らがキリスト文化を忌み嫌うことにもつながっている。
広大な土地を収奪し、資本投下をして重機で開墾した新興国家が、世界に食糧を売り込み始めた。この場合、貯蔵が可能な穀物が主な物資となる。
先ごろ閉会した、生物多様性条約第10回締約国会議でも、生物多様性の利益配分についても、先住民族への配慮がなされている。先住民族も持つ知識や伝統も利益を受ける権利があると決議されたのである。生物の多様性を認めるということは、少数民族への配慮も同じ目線でなされるものである。
この決議には、現在の問題が直接かかわるものではない。農業についても同様に多様性など、世界各国の持つ理由を容認するべきなのであるが、現在の経済活動に直接大きく係わるために、それを認めようとしない。関税撤廃のオンパレードである。農業を育んだ風土の多様性を認めないことは、食料を他国に委ねることになるのである。農民は自分たちのためだけに怒っているのではない。消費者たちはそのことを解ってもらいたいのである。